第64話 チェーンメール


 的矢樹のプライベートはけっこう無である。


 せわしない事務所のシフト通りに働き、休日も『的矢しか見えない』とかいうあやしい通報があれば働き、他支部の応援にも出かけ、仕事とプライベートの境界が限りなく薄くなっているのである。休みたいと思わないこともないのだが、これでも結構キャリアのことを考えるタイプなので、稀少なケースは若くて体力のあるうちに当たっておきたい。

 そういうわけで、たまに完全なお休みがやってきても何をする気にもなれずに昼や夕方まで寝ていることが多かった。

 部屋の中も趣味のミニ四駆スペースが雑然としているだけで、あとは無印良品のモデルハウスかってくらいに物がない。食器も三枚しかない。そもそも冷蔵庫の中に食料がなく、ミネラルウォーターしか入ってない。

 おなかが減ったら繁華街に出るか、商店街をブラブラするか、宿毛先輩に連絡したら、誰かが夕飯を食べさせてくれるだろうと思っている。

 そんな彼だから――ある夜、私用のパソコンにチェーンメールが届いたときも冒頭のほうをちょっと読んだだけで無視して閉じてしまった。

 メールの冒頭は『このメールの内容と同じものを五人の人物に送信しなければ』ではじまっていた。続きは読まなくてもわかる。メールを送らなければ、不幸になるとか、幸福になるとか書いてあるのだ。

 ちょっと懐かしい、いわゆる「不幸の手紙」とか「幸運の手紙」の類のものだ。

 大抵の場合は手紙を拡散させて不安を煽ることが目的の、魔術とも呪いとも関係ない悪意100%のまがい物なのだ。

 が、いちおう狩人の手元に届いたものは事務所に報告する義務があった。しかしいったん報告するとなると、体調の変化などの報告もせねばならず、ちょっとめんどくさいのである。


 華麗にスルーを決め込み、翌日、出勤時に事件は起きた。


 その日は的矢樹が事務所の鍵開け当番であった。いつもより30分くらい出勤が早まるのだが、まだ余裕があると思ったのでコンビニに寄ってコーヒーを買った。それから事務所に向かうと、すでに玄関では金髪ショートヘアでメンズファッションに身を包んだ十代の少女……アルバイトの賀田さんが待っていた。


「あ、おはようございま~す。すみません賀田さん、俺コンビニに寄ってて。今、カギ開けますね~」


 鍵を開けると、賀田さんは無言で事務所に入って行った。

 完全なる無言である。

 知っての通り、賀田さんは的矢樹のことが嫌いである。

 イケメンだからという身も蓋もない理由もさることながら、独自調べでは、どうやら現在育児休暇中の守江さんという女性狩人と仲がよかったようで、入れ替わりで事務所に入った的矢のことを毛嫌いしているのではないか、という情報がある。

 しかしどんな事情があるにせよ、これまでは最低限のコミュニケーションは取れていた。具体的には出勤・退勤時の挨拶である。

 それもなしで、完全に無視、というのはヒドい。

 的矢樹は腕時計を見た。事務所を開ける時刻を五分ほど過ぎていた。

 五分……。

 この五分に彼女は腹を立てたのだろうか。


 コンビニのコーヒーを買ったわずかな時間がいけないのか?

 それともただ虫の居所が悪いだけか?

 はたまた、本格的に嫌われるようなことを何かしたのだろうか?


 一度話し合うべきかもしれない。七尾支部長の人柄的にも、本部からの出向という形でやつかに来ている的矢が守江さんの現場復帰を阻むことは考えられないだろう。


 それとも、賀田さんと比較的年齢が近い相模さがみくんあたりに相談して様子見か?


 狩人は頭を悩ませていた。日頃、周囲とワンテンポずれてるとか、サイコパスだとか言われている彼だが、頭の中では実はあんがい色々考えているのである。

 ただ、考えているタイミングはあまり良くなかった。


「おい、的矢! まーとーや!」


 七尾支部長が声を荒げた。朝の定例ミーティングの最中だったのだ。


「えーっと、すいません、聞いてませんでした」

「おまえ、昨日現場から直帰したろ。報告は?」

「あ、それか……えっと……」

「もういい、さっさと報告書を上げろ。ったく、前々からちょっとだらしねえ奴だと思ってたが、そんなんじゃ社会人としても通用しねえぞ。死にたくなきゃ狩人やめろ!」


 的矢は無言でショックを受けた。七尾支部長は常日頃から的矢にきびしい。なんでかはわからないが、とにかくきびしい。しかし基本は、宿毛湊と同じく狩人としての実力は認めていてくれたはずだ。

 ミーティングの最中に考え事をしていた非は確かにあるが……でも今日はちょっと厳しすぎる。


「あの、的矢さん、この間提出してもらった書類なんですけど」


 呆然としている的矢に相模くんが声をかけてる。

 こういうとき、すかさずフォローを入れてくれるのが相模くんだ。

 手にしている書類は的矢がかなりがんばった案件に関するもので、相模くんはいつもそういうのを見つけては褒めてくれるのだった。

 しかし今日は様子が違った。


「間違ってるところがあるんですよね。言いにくいんですけど、もう四回目ですから……そろそろ覚えてください」


 言葉の端に、隠しようのない棘がある。

 おかしい。こんなのってない。

 的矢樹は泣き出したいような気持になり――ふと気がついた。

 これ、怪異じゃないか? と。


「俺に見えないってことは……呪術系じゃない。よくわかんないけど魔術か現代怪異かなにか……!」


 頭の中に浮かんだのは、チェーンメールの件だ。

 突然立ち上がり、血走った目で周囲を見回す狩人を、みんな息をのんで見守る。異常なものを見る目つきである。


「支部長、俺、早退します!」


 返事も聞かず、彼は事務所を飛び出した。





 その頃、とある単身者用マンションの一室では、動画配信者がファンに語りかけていた。目立つことを意識したオレンジと緑の奇怪なツートンカラーな頭、それなのにたるんだ体つきを隠そうとして黒のパーカーばかり着ている、自己主張と矛盾のかたまりのような男は……。


「どもどもホリシンの魔法工学で遊ぼ! にようこそ~! みんなハッピーマジックハッピー工学!」


 ホリシンである。


「今日はですね~、モザイクを消す魔法を披露したいと思いまーす!」


 モザイクというのはアレである。動画とか漫画とか犯罪者の顔とか、やばいものを隠すときに使われるモザイクである。彼は動画の視聴回数を伸ばすため、世界で一番消してはならないものを消そうとしていた。

 ただ……彼の名誉のためにいうが、モザイクを消そうとしたのは単なる出来心である。積極的に消したかったわけではなく、スケベ心でもなく、ただただひたすらに、研究として面白そうだったからやってみただけなのだ。彼は大学卒業後もそのへんの、研究者としてのアカデミックな気質が抜けてないのである。

 コメント欄はたちまち騒然となった。 

 こうしてホリシンが一か月温めていた企画で大炎上し逮捕され、拘置所でビデ倫からの刺客に始末される直前、配信用防音ルームの部屋が音を立てて開いた。


「ホリシンさーんっ!」


 ノートパソコン片手に部屋に突入してきたのは、的矢樹である。

 

「どわっ! どっかで見たイイイイイイケメンっ! なぜここに~!?」


 ホリシンはフローリングの床を転がりながら、ゲーミングチェアの後ろに隠れた。

 メッシュ生地のせいで見え見えであるが、とにかく隠れた。

 コメント欄はお祭り騒ぎである。謎のイケメン登場にも湧いていたが、それよりもホリシンの身を案ずるコメントが多かった。


「鍵は警察の要請で管理会社が開けてくれました」

「警察!? 不法侵入じゃないんですか!?」

「ロケットマンション事件とサマーアイランド事件の件でホリシンさん、矯正施設への入居を断って経過観察処分になりましたよね。担当区域の狩人であれば正当な理由があれば、住人の許諾がなくとも居室に踏み込むことができるんです。お忘れのようですが僕は狩人です」

「制度をあますことなく利用してくるイケメン怖い……!!」

「さっそくですけど、メールの発信元を特定したいんです。ホリシンさんならできますよね」

「法律を持ち出したくせに自分はヤバイ臭いがする案件押し付けてくるぅ~! 送信元を特定して何する気ですか!?」

「ものすごく腹が立ってるので、ちょっとここでは言えないようなことをします」

「助けて、イケメン怖いよ~!」


 泣き出したホリシンを何とか宥めすかし、狩人はチェーンメールを見せた。


『このメールと同じ文面を五人の人物に送信しなければ、あなたは二倍、人に嫌われるでしょう』


 ごくシンプルな文面であった。

 ホリシンの涙はすぐさま引っ込んだ。


「二倍……人に嫌われる……。それだけ……?」

「それだけって何ですか! 俺にとっては死活問題なんですよ!」


 的矢樹は褒められるの大好き人間である。

 褒められるために狩人をやっている。というか、すべての行動理由がそこに行き着く。他人に親切にするのも、恵まれた容姿を最大限に生かしてスマートにふるまうのも、ぜんぶ褒められるためである。

 それが彼にとっては至上命題なわけだが、そのために自宅に不法侵入され、配信の邪魔をされるほうはたまったものではないだろう。


「ホリシンさん、何とかしてください。一緒にサマーアイランドで三百年以上共に暮らし、大統領政府を運営した仲じゃないですか」

「その記憶、魔法治療で消さなかったんですね……よく耐えられますね……。とはいえ僕は後天的魔法使いでして……映画に出てくるような凄腕ハッカーでもないので、ぶっちゃけなんとも……そもそも本当に魔術かどうかも定かじゃ……あっ」

「なんですか、どうしたんですか、ささいなことでも報告してください、僕は大統領なんですよ」

「落ち着いてください、アナタ今は大統領じゃないです。そういえばですけど、昔、似たようなチェーンメール型の呪文を考案した魔法使いが矯正施設送りになって、その後改心して全てのメールの回収を発表した事件があったんですよ。連絡取ってみますね」


 その後、一時間せずにホリシンの元に連絡があって、的矢樹に送られたチェーンメールが『チェーンメール型嫌われ呪文』であることが明らかになった。解除の呪文も同封されており、この件にはあっさりと片がつくことになったのである。


「これで呪文の効果は解除されたと思いますよ……。メールの発信元とかは弁護士さんを介してください」

「ありがとうございます。ホリシンさん……でも、二倍嫌われてるのに、俺にどうして優しくしてくれたんですか?」

「……………いや、イケメン苦手だから、二倍イケメンに見えたりはしてましたけど……自分はサマーアイランドの件しかあなたへの印象がないので…………」


 二倍にしようにも、感情の振れ幅がゼロに近いほぼ他人だったため、あまり呪文がきかなかったのである。ただそれだけであるが、人に褒められたい、が至上命題な男は感極まってホリシンをぎゅっと抱きしめた。


 なんかいいにおいがした。

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