第63話 諫早さくらと三枚のおふだ(終)


 諫早さくらは天狗の金で贅沢三昧を堪能していたが、三日目には現実に直面することになった。


「奥方様、そろそろ結婚式の御準備を…………」


 そう言って目の前に花嫁衣裳一式が差し出されたのである。


「えっ…………い、いやよ、私、結婚式はウェディングドレスって決めてるから……」

「ウェディングドレスもありますけど」

「ええっ」


 白無垢にしろウェディングドレスにしろ、こうして目の前に並べられる段になってようやく、さくらは海仕舞丸と結婚するのだという現実を認識した。天狗だとかいうのはともかくとして、相手はあの海仕舞丸である。センスの悪いラーメン屋や居酒屋を経営し、機嫌が悪いと誰かれかまわず怒鳴りちらし、有頂天になっては自叙伝を自費出版している小太りのジジイである。


「わ…………わかったわ。着替えるからひとりにして頂戴」


 そう言って手下たちを追い出しはしたが、ここを切り抜ける上手い方法が見当たらない。

 ガラケーは取り上げられて魔法は使えず、魔法の道具もここにはない。


「八方塞がり…………か…………」


 しかも、天狗たちが用意したウェディングドレスが最悪だった。

 一応は着替えてみたが、五段のフリルスカートに肩のところは昔のディズニープリンスのごとく丸く膨らんでいる。まるで昭和のセンスである。

 これを着て、小さな爆弾みたいな禿げ頭の天狗と夫婦杯をかわすなんて、悪夢以外の何ものでもなかった。むしろ想像すると笑えてくる。

 しかもこれは怪異どうしの契りだ。夫婦杯をかわしてしまえば反故にするのは難しい。

 どうしたものか痛む頭を抱えて考えこんでいると、部屋の入口から「ぎゃっ!」という声が上がった。


「誰!?」

「静かに。俺だ」


 座敷牢の鉄格子を開け、見覚えのある繋ぎ姿の若者が入ってくる。

 黒白のツートンカラーの長髪に、左のこめかみ付近にある派手な傷が妙に懐かしく感じられる。


「宿毛湊……あたしを助けに来てくれたの……?」

「話してる暇はない。麓に相模さんが車で待機してくれている。そこまで逃げ切るぞ」

「っていうか、どうしてあんたしかいないわけ」

「日頃の行いが悪いからだ。行くぞ」


 熨斗紙が巻かれたマメタを発見した狩人はほっとした溜息を吐く。

 そしてこっそりと座敷牢を抜け出した。

 鉄格子のそばには驚いた姿勢のまま固まっている下っ端天狗がいる。

 宿毛湊とさくらが鉄格子を抜け出したそのとき、廊下の奥に三人組の人影が見えた。


「おい、おまえら! 何してるっ!?」

「スロウ、トリプルカウント!」


 金色の三角形が天狗たちの足を止める。

 その隙にさくらとマメタ、そして宿毛湊は料亭を逃げ出して、急な斜面を転がるように駆け降りていく。

 事前の調査では料亭の裏手から細い道が伸びているという話だったが、どうみても獣道、それもカモシカが通るような獣道だった。気を抜けば落下して死にそうなところに、さくらはウェディングドレス姿である。


「あたし、もう走れないわよ!」

「なんでそんな格好をしてるんだ!」

「仕方ないじゃない、これでも花嫁なんだから!」


 仕方なく宿毛湊が抱えて走るが、引き出物状態のマメタをもいるのでなかなか速度が出ない。そうこうしてるうちに、背後に追手の姿が見えた。


「待てーっ!」

「不届き者め、奥方様を離せ!」


 米国式メソッドによる魔法は、基本的には術者が離れれば解除されてしまう。

 魔法を使えば足止めはできるが、逃げれば距離が離れるので無効となる。あまり効果的な戦術とはいえないのだ。


「いくら魔法を使ってもきりがない、せっかく相模さんがくれたベルマークが勿体ないな……」

「言ってる場合かっ!」

「仕方がない。これを使うか」


 宿毛湊は懐から三枚のお札を抜いた。


「何よ、何かあるならさっさと使いなさいよっ」

「使ってもいいんだな」

「いいに決まってるでしょう。っていうかなんで私に聞くのよ」

「言質をとっておきたかったからだ。それ」


 狩人の手から、札の一枚目が放たれる。

 後ろを追ってきていたラーメン屋の店員が、狩人の放った四角いお札を受け止める。


「なんだコレは…………? う、うわーっ!」

「どうした、大丈夫かっ。ああっ……こ、これは! ひっひいいいい!」

「恐ろしい、恐ろしいようっ!」


 札を目にした瞬間、天狗は声をあげて苦しみ始めた。助けに駆け寄った仲間も、お札を目にした瞬間、叫び声を上げる。

 たちまち、あたりは狂乱の声で埋め尽くされた。


「え、なになに、めちゃくちゃ苦しんでるじゃない。あんた、あれ何投げたのよ? 対天狗特効兵器?」

「いいから行くぞ」


 再び斜面を降りていくと、今度は天狗系居酒屋の店員たちが追いついてくる。


「待てー! 奥方様を離せ!」


 宿毛湊はさくらを地面に下ろすと、再びお札を抜いた。

 投げつける瞬間、さくらにもその札の裏面……いや、表面が見えた。


「あっ……あんた、それは、その写真は!!」

「ぐわあぁああああーーーーッ!!」


 一瞬だけ見えたそれは、お札ではなく、写真であった。

 諫早さくらの写真だ。しかも大昔に一度だけ撮った、高校の制服姿の写真である。

 ただの制服姿ではない。当時流行していた細眉メイクのために眉毛を全部剃り上げ、ルーズソックスを履いた姿である。


「ぎゃあああああああっ!!」


 諫早さくらは狩人に担がれながら野太い悲鳴を上げた。


「あっ、あんた、なんてモノをっ!!」

「ちなみに最初に撒いたのはスッピンで寝起きの写真だ」

「ぐおあああああああっ! 嘘だーっ!」

「嘘じゃない。メイク時よりも目が二回りは小さく、ショボショボしている」

「説明せんでいいっ!」


 宿毛湊が持ち出したのは、結婚式までの期間、諫早さくらの実家に連絡してかき集めた『諫早さくらの恥ずかしい写真コレクション』であった。

 天狗たちの動向がおかしかったことや、さくらの性格を考えると、さくらが天狗御殿で女性慣れしていないウブな天狗相手に調子に乗っているのは明らかである。

 そこで、天狗たちの目が覚めるよう、極めて衝撃的な写真のコレクションを用意したのである。

 そこに写し出されているのは、化粧と矯正下着を剥いだただの素の諫早さくらなのであるが……。女性に対して過度な幻想を抱いている純粋な若い天狗たちには効果覿面の特効薬になるだろう。

 もう少しで麓、というところで狩人の足が止まった。

 不気味な風が周囲に巻き起こり、唸り声を上げたのだ。

 手近な木の幹にしがみついてしのいでいると、天狗の声が聞こえた。


「待てい! わしが来たからには花嫁は返してもらう! 若い天狗と同じようにはいかんぞ!」


 現れたのは、黒い翼を生やした海仕舞丸であった。

 手には天狗の羽団扇まで握られている。


「誇り高き天狗山の主よ、聞け。どうして魔女と結婚しようと思ったかは知らないが、こいつはお前の思い通りになる女ではないぞ」


 狩人が言う。もちろんそのことは海仕舞丸もじゅうぶんにわかっていた。諫早さくらとの結婚なぞ、こちらから願い下げだと心底思う。

 しかし事ここにいたって、プライドがじゃまをして引くこともできない。


「花嫁を結婚直前にさらわれたなんぞ、知られたら末代までの恥じゃ!」

「では、この女の正体を見せてやろう。末代までの恥と、さくらと結婚するのと、どちらがいいか選ぶがいい」

「いやいや、やめろ、まじでやめろ! あたしが死んじゃうから、社会的に!」


 宿毛湊はそう言って、さくらの制止もきかずに最後のお札を投げた。

 自宅アパートで、高校時代のジャージを着て、ホルモン鍋を食ってビールをたらふく飲み、人目をはばからずゲップをする諫早さくらの写真が宙に舞う。

 それを手にした途端、海仕舞丸は地面に膝を突いた。

 手から、羽団扇がぼとりと落ちる。

 戦闘不能である。心が折れたのだ。

 それを見届けて、狩人は一気に斜面を駆け下りる。

 藪を抜け出た先に、扉を開け、エンジンをかけたまま相模くんが待機していた。

 後部座席に放心状態の諫早さくらとマメタを押し込み、助手席に飛び込む。


「相模さん、出してくれ!」

「さくらさん、いったいどうしたんですか!?」


 ボロボロの花嫁衣裳をまとったまま、後部座席にひっくり返ったさくらは力無く天井を見つめ、涙を一滴たらした。


「私……もう二度とお嫁にいけない……!」


 そう呟く姿をバックミラー越しに、相模くんは(きっと天狗に辛い目にあわされたんだな)という可哀想な目で見ていた。が、諫早さくらを社会的に死に追いやり、致命傷を与えたのは、どちらかというと隣で疲労困憊している狩人のほうなのであった。


 こうして諫早さくら誘拐事件は幕を下ろした。


 天狗の結婚式は取りやめになり、怪異たちの間では海仕舞丸が結婚式の直前に花嫁を人間にさらわれたという噂が広まった。

 もちろんそれは天狗の沽券にかかわることである。

 しかし、海仕舞丸には、もう仕返しをしようという気力は残っていなかった。

 天狗御殿では、さくらのみっともない写真を手にうつむく弟、海仕舞丸の姿があった。兄、海開丸はその写真を見て、すべてを悟ったようであった。

 それから憔悴して項垂れる弟に声をかけた。


「弟よ、兄はお前が誇らしいぞ……。結婚が破談になったのはくやしいが、あの人間はその娘のことを心底愛していたのだろうな。お前も、それがわかっていたから、二人を行かせてやったのだろう?」


 そういうことではなかったが、そういうことにするほかなかった。

 もはや海仕舞丸は天狗としての面子をすべて失い、鼻を折るほかなくなったのだ。しかし心の底では、この女を嫁にしなくて本当に良かったと思っており、内心は極めて複雑だった。

 このようなとき、そばに残るのは、なんだかんだ家族だけなのかもしれない。





 その後、この事件の余波は怪異退治組合やつか支部をひそやかに襲った。


「おい、宿毛。お前、諫早さくらと結婚しないか?」


 七尾支部長がまじめな顔してそんなことを言いだしたのである。


「嫌ですけど」

「天狗たちとの今後を円滑に進めるためだ。落とし所としては、愛し合っていた人間の恋人が魔女をさらっていってしまった、海仕舞丸は男気をみせてそれを見送った、というのがちょうどいいんだがな。まあ、書類だけでいいから」

「嫌です」

「そこを何とか」

「絶対無理です」


 押し問答をする二人を遠目に、的矢樹がごくごく小さな声で、それでいて眉ひとつ動かさない真顔で「いいなあ」と言ったのを、相模くんは聞かなかったふりでやり過ごしたのだった。



 なお、事件の裏で糸を引いていた怪異コンサルタントの行方は杳として知れない。

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