第60話 諫早さくらと三枚のおふだ(1)



 ななほし町に『元祖天狗てんぐ系ラーメン男道おとこみち』という名前のラーメン屋ができた。

 店員は全員、男道と書かれたTシャツかタンクトップにタオルを頭に巻いた暑苦しい姿で、女性店員はいない。なんなら女性客の姿もない。

 提供されるラーメンは、豚骨醤油のスープに粗みじんにした唐辛子と生タマネギをトッピングした天狗ラーメンである。

 それほど繁盛している様子もなかったが、オープンしてから一か月ほどで、やつか駅前にも二店舗目を出した。

 ひそかに繁華街にも『天狗系居酒屋男の日常ダンディズム』が出店し、まちがいなく系列店と思われた。店員はやはりみんな筋肉質な男性で、どちらの店舗も玄関先に『アルバイト募集』の広告が掲げられており、時給990円と書かれたところにマジックで×が書かれ840円に訂正されている。

 これはやつか町の最低賃金を20円も下回っていた。

 何やら異様な気配を放つこれらの天狗系店舗は、平穏なやつかに汗臭い噂の風を吹かせていた。


 怪異退治組合やつか支部でも、お昼時になるとこの店のことが話題にあがった。

 しかし、反応はあまり好意的ではない。


「新しいお店だから気になるけど、入りにくいですよね。あの店……」


 相模さがみくんが言うと、賀田かたさんも頷く。店員が男性だと十代の女性には近寄り難いにちがいない。しかし相模くんも入りたくないとなると、店は男女の別なく排他的な空気を感じさせているようだ。

 二人の世間話に顔を上げたのは、七尾支部長である。

 今日の扇子には『恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ』と書かれていた。


「なんだ、とうとうやつか町にも店舗ができたのか。天狗系」

「えっ、支部長、ご存知なんですか?」

「知ってるも何も、全国チェーンだからな。一応。それに、あそこの社長はやつか出身なんだよ」

「ええっ」


 相模くんは驚いた。全国チェーンだったということもそうだが、経営者がやつか町の出身だというのはまったくの寝耳に水だったからだ。

 しかし不思議なものだ。

 全国に店舗を持つ外食チェーンの社長、なんて目立つ存在がいたなら、狭いやつか町で噂にならないはずがないのに、そのような噂はこれまで一切耳にしたことがなかったのだ。

 不可解な顔をして首を傾げている相模君の前で、支部長は長財布を開いた。

 一万円札を引き出すと、軽く折りたたんで狩人の的矢樹に差し出す。


「おい的矢、みんな連れて食いに行ってくれ」

「あ~、はいはい。ありがたく頂戴しま~す」


 何においても適当な的矢樹は、軽く受け取ってぺこりと頭を下げた。


「えっ、支部長、悪いですよ」

「い~んですよ、相模くん。これも仕事のうちですから」

「え、お仕事?」

「天狗系ってね、ほんものの天狗が経営してるんですよ」

「天狗……? 天狗ってあの……?」

「そう、あの天狗です」


 的矢樹がうなずいた。

 天狗とは、天狗である。赤い鼻の長ーいお面に代表される、神様とも妖怪ともなんとも言えない伝説上の存在である。


「狩人的に言うと、天狗道てんぐどうの使い手、ということになる。天狗道というのは連中が使ういわゆる妖術、現代風にいうと天狗式魔術メソッドだ」


 業界一年目の相模くんのために支部長が説明してくれる。


「天狗の正体は堕落した修験者や僧侶だと言われているように、天狗には先天的なのもいれば、主張を積んで後天的になるやつもいる。見た目も最近のやつは大して人間と変わりない。そこのところは魔女と同じだな。おまけに道場を構えて積極的に天狗式魔術メソッドを広めようとしとる者もいるくらいだ」

「この間買った雑誌にも特集記事が載ってましたよ」


 的矢樹が取り出した旅行雑誌の『特集・デトックス旅』というコーナーには『天狗道一日体験コース』というものが掲載されていた。山の中で修行や断食をしつつ天狗道の体験をして、地元野菜をふんだんに使った食事を楽しんで帰る、という、エコやロハスを意識したコースらしい。あまりにもナチュラルに天狗道が取り入れられているので一見しただけだと読み流してしまいそうだ。


「さっきも言った通り、天狗ラーメンの創業者はやつか町出身だ。県境に天狗山っていうのがあるだろう」

「はい。小学生のとき、遠足で行きました。兄弟の天狗が住んでるっていう伝説がある山ですよね。たしか兄のほうが海開丸うみびらきまる、弟のほうが海仕舞丸うみじまいまるでしたっけ」


 一度聞いたら忘れようが無いほど、なんとも特徴的な名前の兄弟である。

 山のほうも正しくは天狗山ではないのだが、正式な名前がなんであるか忘れられてしまうほど親しまれている山だ。噂では、料亭があるとかないとか。


「その伝説の天狗の片割れが、そうなんだ。弟のほうだ」

「えええっ」

「兄弟仲がめっぽう悪くてな。何十年かまえにとうとう兄貴と決裂して、弟は外に出てったんだ。それから外食チェーンを経営しはじめて、音信不通だったんだが……どうやら戻ってきたようだな」


 支部長が的矢樹のほうに思わせぶりな視線を投げる。


「支部長が気に掛けるっていうことは、べつに和解したわけじゃないんですよね~?」

「どういうつもりなのか皆目見当もつかん。幸いなるかな、お前さんの錫杖なら、いざってときも天狗に対して強く出れるだろう。俺は面が割れてるから、それとなく見張っといてくれ」

「了解で~す」


 的矢はにやりと笑う。

 なんとなく相模くんは不安を覚えた。

 支部長が身銭を切ってまで店を見張らせるというのもそうだし、何より、的矢樹の雰囲気が少し刺々しくなったように感じられた。口調や穏やかな物腰はいつも通りだけれど、内側はまるで知らない別人の物のように思える。

 そしてそれは、やつか町に嵐が吹く前兆なのではないかという気がするのだ。

 嫌な予感は思いがけないほどはやく的中した。


 その日の午後、速達の郵便が届いた。

 白い滑らかな封筒が二通あるのを見た相模くんは、思わず絶句した。


「…………!?」


 ほとんど同時に事務所の前に見覚えのある軽トラが乱暴に停まったかと思うと、滅多なことでは――安売りの卵が持って帰る途中で全部割れてしまっていたときでも――顔色を変えない宿毛湊が血相を変えてやってきたのである。


諫早いさはやさくらが誘拐された!」


 相模くんは手の中の封筒を取り落とした。

 それは、諫早さくらと噂の天狗系外食チェーン社長の結婚式の招待状であった。





 時はさかのぼり、天狗系ラーメン男道やつか町店オープン直前のことだ。

 オープン直前の新店舗には、海仕舞丸の怒鳴り声が響き渡っていた。


「このっ! 役立たずどもめ!! やつか町での出店がわしにとってどれほど、どれほど大事なことかわかっとらんのか、ウスノロ、無能な給料泥棒どもめが!!」


 拳を振り上げて怒鳴るのは、身長150センチほどの小男である。

 しかし背が小さいながら、胴体は樽のよう、振り上げた腕も丸太のよう、怒りのあまり真っ赤に腫れた顔は小型の爆弾のようであった。

 厨房の床に正座させられているのはいずれも弟子の天狗たちである。

 みんな体格がよく、なかには180センチは越えようかという若者もいるが、みんな体を縮こまらせて子どものようにべそをかいている。

 それというのも、あと一時間で新店舗がオープンするというのに、目玉の天狗ラーメンに使う沖縄県産の唐辛子が、発注ミスで未だに届いていないことが原因である。

 完璧主義の海仕舞丸にとっては、これは許しがたいミスであった。

 そしてひとつのミスがわかると、日付が変わるまで我を失ったように店員たちを詰るというのも、いつものことであった。

 最近では店員が次々に辞めていってしまい、チェーン店全店の味が落ちて行っているのであるが、海仕舞丸にはその原因が自分であるなどという発想はまるでないのである。


「わしはこの仕事に命をかけておるのだぞっ!」

「まあまあ、海仕舞社長――そのへんでよろしいじゃありませんか」

「よくないっ、わしの店は、わしの料理は完璧でなければならん! あの腐れ兄貴に一泡吹かせるのじゃっ!」

「では、こうしたらいかがでしょう。沖縄には、わたしの取引先がありますから、すぐに特上のを持ってこさせますよ。十キロもあれば十分でしょう?」


 カウンターのむこうから、穏やかな声がかかる。

 怒り狂った声のあいまに、ぬるりと入り込む不思議な声音である。

 海仕舞丸は屋号がプリントされた前掛けを脱ぎ、店員に叩きつけると、カウンターの表に向かった。


「申し訳ないっ、与那覇よなはさんが来てくださって助かった!」


 見かけだけ古い材木を使い重厚さを演出した玄関口には、大きな花輪がいくつも並んでいる。そのうちのひとつに『怪異コンサルタント 与那覇』の名前があった。


「海仕舞丸様には長年御贔屓にして頂いておりますから、お祝いのお花を自分の足で直接届けるのは当然のことですとも」


 カウンターに座っていたのは、傍らに銀色のアタッシュケースを置き、この暑いのにタートルネックを着こんだ人物であった。顔立ちは女性のように柔和なのに、手のひらは骨ばっている。男とも女とも言えず、一見しただけでは何者かもわからない。

 その人物が指を鳴らすと、玄関を叩く音がした。店員が慌てて戸を開くと、石垣島産の唐辛子を詰めたダンボール箱を持った泥人形が立っていた。

 目も鼻も口もない、真っ黒な人影は、かすかに全身からガソリンの臭いを漂わせていた。人形はたじろぐ天狗の前にダンボール箱を店先に置くと、商店街の中を去っていった。

 異様な風体であるのに、通りすがる人間は全くその存在に気がついていない。


「あれは……?」

「あれもわたしが取り扱う商品です。ご案内してもよろしいのですが、天狗の弟子たちを多く抱えてらっしゃる海仕舞社長には必要ないものかと存じます」


 そう説明する与那覇の瞳は妙にめている。

 海仕舞丸は大物ぶってうなずいたが、内心は肝を冷やしている。

 沖縄からやつかまで行き来するとなれば、移動だけでどう見積もっても一日仕事だ。それを一瞬でこなすとなると、妖力が少なく地面から3センチほど浮くのがせいぜいの天狗道場の弟子たちには到底、無理というものである。

 それでなくとも力を失いつつある本物の妖怪たちにとっては、なかなか骨が折れる仕事となりつつあるだろう。


「ところで社長、肝心の話をいたしましょう。この度、満を持しての帰郷は、社長にとって故郷に錦を掲げる、いわば凱旋ということになりますでしょう。天狗山でくすぶっておられる兄君も、ずいぶんくやしい思いをしたのではありませんか?」


 海仕舞丸は新店舗オープンに先駆けて、里帰りをしたときのことを思い出した。

 故郷を離れたときは、田舎の出のぱっとしない若造であった海仕舞丸も、今では社長と呼ばれ、何百人という社員兼弟子をしたがえるまでになった。身に着けるもの全てがブランド物だし、車だって持っているし、東京の一等地にマンションも買った。

 しかし兄はやつか店オープンの報告をする弟を前にしても大して動揺せず「いいんじゃないか」と言ったきりであった。

 そのときの衝撃といったらない。


「与那覇殿、里を出てからというもの、あんたには何かにつけて世話になったが……。わしは未だに夢を果たせぬままじゃ」

「まあ、弱気なことを仰いますね。社長にはわたしがついているじゃありませんか」


 海仕舞丸は深いため息を吐いた。

 彼が兄と離れ山を去ったのは、何かにつけて兄貴風を吹かせる海開丸をぎゃふんと言わせるためである。そして都会に出て右も左もわからぬ海仕舞丸を、社長の座に押し上げたのがこの『怪異コンサルタント』であった。


「海仕舞社長、わたしから改めて提案させていただきます。社長は長く郷里を離れていた身。反面、お兄様はその間は山に留まり地盤を固く保ってらっしゃいました。お兄様が社長の帰還に動揺しないのは、海開丸こそが天狗山の主であるという確固とした安心感があるからでしょう」

「ああ、そうだ。わしとあいつ、二人で天狗山の主であるというに、海開丸といったら――」


 積もる恨みつらみを遮り、与那覇は続ける。


「そうであれば、海仕舞社長がその立場をそっくりもらい受ければよいのです。社長こそが真の山の主であると怪異どもに知らしめるのですよ」

「しかし――どうやって?」

「結婚です」

「結婚?」

「ええ、兄上は未だ独身でらっしゃる。ここは新店舗オープンと同時に嫁取りをし、海仕舞社長の立場が盤石であると広く伝えるのです。ちょうどいいことに、やつか町には社長と釣り合いの取れそうながひとりいるのですよ」


 与那覇は笑っていた。紙切れ一枚の、薄ら笑いである。

 寒々しい笑い方だと海仕舞は一瞬思ったが、すぐにそういう感情は煮溶かされていた。与那覇は妖怪ではなく、人である。人であるはずなのに、その言葉を聞いていると、その言葉が全て不動の真実かのように聞こえてくるのであった。

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