第51話 思い出アイスキャンデー


 あれは小学三年生のときのこと。

 地元の和菓子屋のおはぎが給食に提供されたことがあった。

 クラスメイトの女子が「あんた、アンコとか食べるの? キッモ!」と目の前でのたまった瞬間、彼女は学校に真面目に通って人間社会に出るというルートを捨てた。

 そして、そいつをおはぎの海にしずめた。


 諫早いさはやさくら、若かりし頃の思い出である。


 以来、彼女は社会というものに背を向けて生きてきた。

 そんな彼女が憎むコトバは、友情ときずなである。勝利は好きだ。

 しかし、友情と絆ほど唾棄だきすべきものはないと思っている。

 そして毎年、夏になると、この最悪な二つの存在がやつか町にあふれはじめるのだ。


 唐突だが、ご当地アイスをご存知だろうか。


 高知県のアイスクリンとか、岡山県の爆弾キャンディーとか、秋田県のババヘラアイスとか、どこかしらB級感ただようあの手の露天売りの氷菓子である。

 やつか町にもご当地アイスがある。

 それは『思い出アイスキャンデー』と呼ばれるものだ。

 夏の暑い日、帰り道にアイスキャンデーの屋台が唐突に現れる。

 味はとても美味しいのだが、何味とははっきり言えない。

 甘いような、っぱいような、香ばしいような、複雑な味わいがある。

 その屋台の特徴は、一度現れると二度目はなかなか現れないということだ。


 ぶっちゃけると、これはそういう怪異である。


 噂では、その人物が青春を楽しんだ夏の帰り道に現れると言われている。


 青春。


 諫早さくらが世界で三つ目に憎んでいる概念である。

 友情にしろきずなにしろ青春にしろ、小学三年生から他者との関係を断ち切ってきた彼女には全く縁がないしろものだ。必要だと思ったことさえない。

 だが、世間では青春の思い出とやらをもてはやし、人間としての成熟に欠かせないものとして友情や絆を取り上げる。

 そしてその全てを人生から切り捨てたさくらを異端児として扱うのだ。

 やつか町では『思い出アイスキャンデー』の屋台に何歳頃会ったか、どういう状況で会ったのか、というのが夏の定番の世間話であるが、さくらはそのすべての与太話に声を大にして答えたい。


 あやしい怪異から買うアイスなんざいらねえ! と。

 自分の金で買うコンビニアイスが最高だ! と……。


 そんな感じで、さくらは夏の間じゅう、り固まったコンプレックスと対人、対社会への憎悪を悶々もんもんと募らせていくのだった。

 そんなある日のことだった。

 時刻はすでに昼が近い。

 眠っていた間に、愛用のガラケーにメールが入っていた。

 送り主は怪異退治組合の厄介な狩人、宿毛湊すくもみなとである。


『いきなりで悪い。今からやつか海岸に来れるか? 水にれるから、水着を持って来てくれると助かる』


 また、何かしらの、妙ちきりんな怪異退治に協力しろとでもいうのだろう。

 当日のアポなしでも依頼を受けると思われているのはしゃくだ。

 が、なんだかんだ、魔女にとっても怪異退治組合は金払いのいい客である。

 なにしろ怪異退治には自治体の補助金が出るので、くいっぱぐれがない。


「やつか海岸のどのへんなのよ。くそっ、仕方ない。行ってやるか~……」


 さくらはベッドの上でうめき声をあげながら、どっかに転がりこんだ日焼け止めクリームを探しはじめた。





 快晴であった。

 やつか海岸には海水浴客がぼちぼち集まっている。

 やつかの海は怪異の海ではあるが、シーズンになると海水浴場として開放される。

 海の家もある。

 ただし、最近では地元の人しか集まらず、ちょっと寂しい海水浴場だ。

 やつかの海は特殊な環境で、キレイではあるのだが、普段は波が高くないのでサーフィンなどのウォータースポーツに向かず、のでもぐったりしても退屈なのである。塩水のプールみたいなものだ。

 さくらは日焼け止めクリームを全身に塗りたくり、ブランドもののサングラスをかけ、リゾート風の麦わら帽子をかぶり、UVカットカーディガンをなびかせながら浜辺に降り立った。黒の大人っぽい水着で、太腿ふともも贅肉ぜいにくはヒラヒラが隠してくれるやつだった。


「あっ、さくらさん! 来てくれたんですね!」


 どこかで見た気がする青年が、さくらに向かって大きく手を振った。

 それは水着を着てビニール製のボールを持った組合の事務員、相模さがみくんだった。

 相模くんはさくらのところへ、ご主人を見つけたシェットランドシープドッグの子犬みたいに駆けて来る。


「あら。あなたも来てたのね。怪異と狩人はどこなの?」


 さくらが訊ねると、相模くんは不思議そうに首を傾げた。


「狩人は二名ほど来てますけど、怪異ってなんですか?」

「………仕事じゃないの?」

「ちがいますけど。宿毛すくもさんならあそこですよ」


 指で示された先にはビーチパラソルの下で荷物番をしている不愛想ぶあいそうな青年狩人がいた。

 Tシャツに海パン姿だ。とても仕事のようには見えない。

 頭の上にはちゃいろい毛玉、マメタも乗っている。


「何なのよ、これはいったいどういうことなの、宿毛湊」

「…………どういうこと? 遊びの誘いだが」

「あんたメールの文面がおかしすぎるでしょ。じゃあこれ、ほんとに怪異退治の仕事じゃないの?」

「今日は組合の関係者で海水浴だ。午後から支部長がバーベキューセットを持ってきてくれるから、肉を焼くぞ。あと花火も買ってある」

「普通に海遊びのフルセットじゃない」

「うん」

「じゃあ、なんで私まで呼ぶのよ」

「なんでって……来たいかと思って……。ほかに用事があったなら済まなかった」

「いや、用事はないけど」

「じゃあ、いいじゃないか」


 宿毛湊はかたわらのクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出す。

 差し出された冷たいペットボトルを受け取りながらも、どこか釈然しゃくぜんとしない気持ちが残る。そんなさくらの背後から忍び寄る怪しい影があった。


「さくらさん。来てくれてめちゃくちゃ助かります……」


 耳元で低音のイイ声でささやいたのは、宿毛湊の後輩狩人、的矢樹まとやいつきだった。

 燦々さんさんたる陽光の下、どデカイ浮き輪を手にした浮かれた姿ながらも、何故か深いうれいを帯びた横顔である。


「うわ、あんたもいたの、イケメン」

「まあまあそう毛嫌いせずに。500円あげるのでもう半歩こっちに近づいて、サングラス外してニコって笑いかけてくれませんか? 僕に」

「なんだなんだ、その具体的な依頼リクエストは……」

「千円でどうです?」

「千円はほしいわ」


 さくらは指示通り、サングラスを外してにこやかに微笑みかけた。

 イケメン狩人も二年連続で新規狩人募集ポスターを飾った渾身こんしんの笑顔で魔女の視線を受け止めた。

 そうしていると、お互いの性格の難点が打ち消されて、ただの美男美女に見えた。

 しかし次の瞬間、ビーチ中の女性が舌打ちをしたのをさくらは聞き逃さなかった。

 嘘ではない。比喩ひゆでもない。

 浜辺で遊んでいるふうを装いながらも、虎視眈々こしたんたんとこちらを狙っていた女性たちが放つ「チッ」という音の協奏曲きょうそうきょくが潮風に乗って聞こえてきたのだ。

 的矢樹の表情がパッと明るくなる。


「いやあ、助かりました。水着になってからというもの、十分に一回は話しかけられてて、せっかく来たのに何もできないし流石にウザかったんですよね」


「五分に一回ですよ」と、虚無きょむを見つめる顔で相模くんが訂正する。


「やだ、これ後で刺されるんじゃないの?」

「意外と痛くないですよ~」

「聞きたくないんだけど!」


 的矢はマメタをひょいと拾い上げると、炎天下の砂浜に逃げていく。


「マメタくん、水泳で競争しよう。俺に勝てたら好きな闘技王のウルトラレアカードあげるよ」

「ほんと!? マメタかったらキラキラのカードくれるの?」

「うん。相模くんがね!」

「ちょっと!? 的矢さん、勝手なこと言わないでくださいっ」


 的矢とマメタ、遅れて相模くんが海に向かって走って行った。

 さくらはビニールシートの上にぺたりと腰をおろすと、溜息を吐いた。


「……なにこれ、まるで友達みたいじゃない」

「違うのか?」

「ちがうでしょ」

「そうか。それならそれでもいい」


 宿毛湊はそう答えたきり、穏やかにきらきら輝く水平線を見守っている。

 その後、さくらは波打ち際をぱちゃぱちゃしたり、水鉄砲に化けたマメタで遊んだり、軽く泳いで海の家の焼きそばを食べた。

 約束通り七尾ななお支部長がバーベキューセットと、ちょっといいお肉を運んできたので若者たちに混ざって肉の取り合いをし、魔法を使っていろいろちょろまかしたりした。

 夜になると花火もやった。

 くたくたになるまで遊んで、その帰り道。

 車で送るという申し出を断って、さくらはひとり歩いてアパート海風に向かっていた。なんとなく、ひとりになりたかったのだ。

 ぬるい潮風がほてった体をでていく。

 やつかの夏は夜になってもちっともすずしくならなくて、ひとりになっても何とも言葉にし難いモヤモヤしたものが心の中にあった。

 そのとき、海岸沿いの道路に、明るく輝く光が見えた。

 それは、小さなアイスキャンデー屋の屋台の明かりだった。

 首にタオルを巻いた小柄な紳士が、アイスキャンデーの入った袋を差し出す。

 アイスキャンデーはピンクと薄水色と黄色がぐるぐる混ざった不思議な色をしていた。


「……いらないわ。買わないわよ、そんなもの。私は友達なんていないの。絶対に青春なんてしない孤高ここうの女なのよ」


 紳士はにこにこ笑いながら、ぐいっとアイスキャンデーを押しつけてくる。

 さくらは舌打ちして、アイスキャンデーを受け取った。

 アイスキャンデーは冷たくて甘い。

 楽しかったな、もっと遊びたいなという気持ちをいい具合に冷やして、心のちょうどいいところに納めてくれるようだった。


「くそーっ、おいしいじゃない!」


 なんとも決まりが悪そうに、さくらは思いっきり悪態あくたいを吐いてから、帰路についたのだった。

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