第33話 借りて来た猫になった諫早さくら


「うちで夕ご飯を一緒に食べない? ぜひお友達も一緒に」


 そんなふうに週末、宮川五依里みやがわいよりから誘われた宿毛湊すくもみなとは、誰を誘うか小一時間ほど考えた。


 まず頭に浮かんだのは「出会いが無い」が最近の口癖の相模さがみくんだ。

 しかし女性一人暮らしの新居に、夜、男二人で上がりこむというのはどうも不躾ぶしつけな行いのように思える。

 五依里も会社員時代の友人を招くと言っていたが、その友達も女性だった場合、へんな下心があるように思われかねない。

 同じ理由で的矢樹まとやいつきを連れていくという案も却下された。

 そもそも宮川五依里とは特別に親しい間柄というほどでもない。

 妙な因縁によって取り持たれた関係性で、いまひとつ、五依里の気持ちの置き所というものがわかりかねているところがある。

 それで、最終手段として諫早いさはやさくらが呼び出されたのだった。


「正しい選択だったわね、宿毛湊……。お呼ばれに相応しい付き添いは、この街で私のほかにはいないでしょう……」


 当日、諫早さくらは例の整形級メイクに加え、長い黒髪をヘアアイロンでふわふわに巻いて、首元を大きなリボンで飾った可愛いワンピースを着て、さらに手土産のワインを持って現れた。


「あなたは黙って立ってると不良に見えて、女性からすると怖いだろうから、かわいい目に仕上げてみたわ」

「そうだな。今日はよろしく頼む」

「あら、なんだか素直ね」

「正直言って、宮川さんと何を話していいのかわからない。女性どうし、間に入ってくれると凄く助かるんだ……」

「黙ってニコニコしてりゃいいじゃないの」

「それが難しいんだ」


 素直に頭を下げた狩人に戸惑いながらも、頼られて悪い気分ではない。

 宮川宅に到着するまで、さくらは足取りも軽く、上機嫌であった。

 しかし、その玄関に立った途端、さくらの表情が曇った。


「大きなおうち。ご家族も同居していらっしゃるの?」

「いや。宮川さんは一人暮らしだ」


 宿毛湊は、宮川五依里が努力して自分ひとりの力で家を建てたことや、現在はフリーのデザイナーとして、そしてアーティストとしても活動していることをかいつまんで説明する。


「そう……」


 さくらは小さな声で返事をした。


「大丈夫か?」

「ええ、大丈夫に決まってるでしょ……」


 しかし、明らかに先ほどまでの威勢いせいがなくなっている。

 インターフォンを鳴らすと、五依里が玄関先まで出迎えに現れた。

 ベージュのシンプルなスウェットにタイトな黒のパンツという動きやすい格好で、大きなフープピアスで耳元を華やかに飾っていた。


「宿毛くん、いらっしゃい。あらっ、かわいい人……」

「こんばんは。こっちは魔女の……さくら?」


 五依里を見て、さくらは無言で一歩後退し、湊の背中に隠れてしまった。


「もしかして、彼女さん?」

「いや、そうじゃないんだが……。おい、何してるんだ」


 さくらは湊の背中に隠れたまま出て来ない。


「さくらさんっていうの? 緊張しちゃったのかな。玄関先で話しこむのも何だから、中にどうぞ」


 実際はさくらのほうが年上なのに、五依里は完全に年下扱いだ。

 しかし、このときのさくらの内心は、緊張とは少し違っていた。


 さくらはこのとき、宮川五依里に圧倒されていたのだ。


 彼女は古ぼけた築二十余年のアパートにほとんど引きこもり状態で、怠惰たいだに暮らし、魔法がなければ脱ぎ捨てた下着がそのへんに転がっているような生活を続けてきた。


 しかし、宮川五依里はどうだ。

 ただならない努力によって二十代にして一城の主だ。


 その家にしたって、どこにでもあるような建売の住宅ではない。

 デザイナーという職業らしく、細部まで彼女のこだわりが詰め込まれている。調度品もすべてが計算されていて、水差しの配置にすらセンスを感じるではないか。まるで女性誌で特集されているような、自立した女性の丁寧な暮らしそのものだ。

 何より彼女自身が綺麗だった。

 普段着なんて毛玉のついたジャージしか持っていない、美しく装うのも外出時だけのさくらにとって、五依里はそう、いわば異次元の存在だった。

 案内された天井が高くて広々としたリビングには、宮川五依里がかつて勤めていた会社の同僚たちが談笑していた。

 男女混じって四人くらい。

 いずれも、やっぱり五依里の友人なんだな、とわかる雰囲気を持っていた。

 つまり、この空間にはちゃんとした五人の大人が滞在しているという計算になる。

 しかもキッチンからは何やらおいしそうなにおいもする。

 まさか五依里は、こんなちゃんとした大人たちを手作りの料理でもてなそうというのか。

 その瞬間、豚キムチが得意料理のさくらの心の器は限界を越えた。


「…………にゃーん」


 そんな鳴き声が聞こえた。

 次の瞬間、さくらの姿は宿毛湊の背中から消えていた。


「さくら…………!?」


 湊と五依里が振り返ったとき、そこには一匹の黒猫がいた。

 首のところに大きなリボンをつけた猫が、フローリングの上にぐてんと横になっている。


「猫!」

「さくら、どうしたんだ。調子が悪いのか?」


 湊が呼びかけるが、黒猫は目を閉じたまま、軟体動物のように体をくねらせている。

 猫としてもされるがままで、抱き上げると大人しくふところで丸くなった。


になってしまった……」


 狩人も、呆然とするしかない。

 五依里もびっくりしていたが、彼女も奇妙な土地の住人だ。

 それほど時を置かずに、それがさくらなのだということを受け入れたようだった。


「あのね、宿毛くん……ちゅーるがあるんだけど、あげてもいいかな……」

「さすがにそれは……」


 猫になったさくらは、狩人の腕の中で「にゃーん」と鳴いた。


 その後、さくらはコンビニで買った鬼ころしを舐めて元の姿に戻ったという。

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