第13話 夏期魔術競技大会高校生の部



 が高校生だった頃、世間では空前の魔法ブームが起きていた。



 ロボコン、鳥人間コンテスト、高校生クイズ大会。

 それらと並んで、全日本魔術連盟が主催する魔術競技大会も、かつては若者のあこがれを一身に集め、無責任な大人たちが過ぎ去った青春を味わう場として機能していた。


 ブームの追い風に押されて雨後うごのタケノコみたいに日本各地に大小様々な魔術研究会や同好会が組織された。『まじゅけん!』という地方都市に住む若者が夏期大会を目指す内容の青春マンガが大ヒットし、アニメになり、実写映画化も果たし、社会現象と呼ばれた。

 競技魔術の世界をかけらも知らない人々がこぞって特番の録画予約をし「予定調和じゃない人生のドラマがあるよね」などといっているのを横目にすると、もしかしてこれはかなりくだらない出来事なのではないかと正気に戻りそうになった。

 だが、それが高校生という子供なんだか大人なんだかわからない時期の、インターネットがそれほど頼りにはならなかった時代の世界の全てだった。



 宮川五依里みやがわいよりは、かつて私立七星ななほし女子高等学校魔術研究部の代表選手だった。



 魔法に触れたのは高校に入ってからだ。

 当時は地区予選でも企業のスカウトが集まる時代で、うまくすればタダで都会行きの切符きっぷが手に入るかもしれないという不純な動機で部に入り、いつしかのめりこんだ。


 あれは忘れもしない。

 高校二年、夏期大会。

 高校生が参加することができる連盟主催の大会としては最大規模のもので、五依里いよりが参加した初めての公式試合になった。

 その地区予選、ここで負ければ後が無いという試合で審判が「カウント」を宣言した。

 当時の七星女子魔術研究部は部員数が少なく、練習試合で三重詠唱トリプルカウントを成功させたのは五依里しかいない。

 当時の選手なら、誰しもカウントルールの過酷さは記憶にあるだろう。

 ダブルカウントでさえ、頭がまっぷたつに割れるような負荷がかかる。

 トリプルになると、宣言した段階で両肩を巨大な手で押さえつけられているような恐怖感が湧き起こり、全身が引き裂かれるような苦痛を感じるのだ。


「スロウ、四重クアドラプルカウント!」


 先輩たちをどうしても、県大会までは進ませてあげたい。

 五依里はその一心でカウントルールに挑んだ。

 個人練習でしか成功したことのないクアドラプルカウントを宣言したのは、魔法の使い過ぎですでに限界がきていて、はやく勝負を決めたかったからだ。

 五依里の前には、丸い硝子玉がらすだまをそれぞれ長さの違う糸で吊るした振り子が二十個並んでいる。

 審判が細長い板を使い、硝子玉を持ち上げて揺らす。

 波を描きながら揺れる硝子玉が、右側から四つ、五依里が使ったスロウの呪文を受けてゆっくり動きを止めていく。

 最後のひとつも大ぶりなスイングがゆっくりと弱まり――決まった。

 審判が成功を宣言した。

 会場が歓声かんせいに包まれる。

 当たりまえだ。

 クアドラプル成功という、テレビの中継が入る東京の本戦でだってなかなかお目にかかれないものを披露したのだから。


「県立北やつか高校、選手交代します」


 対戦相手は最後まで残していた交代枠を使った。


 北やつか高校、二年生、すくもみなと――そうアナウンスが入る。


 どんな字を書くんだろう。

 隣席に見知らぬ生徒が座った。

 たぶん、個人戦にもチーム戦にも出ていない。

 制服は他の子たちと同じだけど、髪の毛を伸ばしてブリーチかけたりしてて、なんかめちゃくちゃチャラい奴だな、というのが五依里の印象だった。

 彼は着席するなり、ポケットからハンカチを取り出して無言でこちらに差し出してきた。


「ん……」


 反対の手で、鼻を示す。鼻?


「血が止まらないとレフェリーストップで記録無効になるよ」


 気がつかないうちに五依里は鼻血を出していた。

 やばい、と思ったが、うつむいた瞬間に大粒の血液がスカートに落ちた。


「絶対に止まるから、落ち着いて深呼吸して。しっかり鼻を押さえてそのまま目線を下に。喉に流れてきた血は飲み込まないで、俺のハンカチ使っていいから吐いて」


 隣席の男の子は、優しく語りかけてくる。

 敵のくせに、なんだ。優しくしてくれただけなのに、むかむかした。

 しかし、アドバイスの通りにしたら五分ほどで出血は止まった。

 試合が再開する。

 このときもまだ、五依里は自分の勝利を確信していたと思う。


「県立北やつか高校、カウントは?」

「スロウ、十倍詠唱ディカプルカウント


 周囲がざわつくのがわかった。

 主に審判とか、大会運営側の大人たちだ。

 振り子の玉を支えてる審判の手がかすかに震えたのがわかる。

 プレッシャーをかけるためだろう。

 たとえディカプルを宣言して、できなくても、四つ振り子が止まればクアドラプル成功とみなされる。


 でも、宿毛湊すくもみなとの前に置かれた振り子は止まった。


 五依里のときのような微かな震えは微塵みじんもなく、気持ちが悪いくらいの精度で、半分の振り子が空中で停止している。

 五依里がクアドラプルを成功したときのような歓声はどこにも無い。

 なんというか、お通夜つやみたいな空気だった。

 大人たちは目の前で見てるものが信じられない、という空気。

 選手控え席の生徒たちは「やっぱりな」という顔。

 それまでは知らなかったが、宿毛湊は界隈では有名人だったらしい。

 魔術研究部の正規のメンバーじゃないくせに、競技会になると助っ人参戦してくる。

 北やつかの悪魔とか、カウントの鬼とか、そんなふうに呼ばれていて、個人練習では十五回詠唱を成功させたとか、なんとか……。

 北やつかの魔術研究部ははじめから宿毛湊を出すつもりで判定に持ち込んだこと、それが常套じょうとう手段だということ……そんなことも知らずに泣きじゃくりながら控え席に戻った五依里を、先輩は「あ~あ、やられちゃったね。気にしないほうがいいよ、あいつサイコパスだから」とつまらなさそうに言って迎えた。

 その乾いた口ぶりからすると、はじめから五依里に期待してなかったのは明らかだった。

 知らないのは世間知らずな彼女だけで、誰もかれもが負けると思って見つめる中、自分だけが使命感を帯びていたのだと気づいた。

 からからになるまで泣いた後は、ひとりだけ有頂天うちょうてんになっていた虚無感と恥ずかしさが同時に襲ってきた。

 その後、大会アナウンスが、先ほどの記録が大会記録になると告げた。

 宿毛湊は優勝校を差し置いて連盟の記者からインタビューを受けていた。

 競技中、どんなことを考えていましたか、と問われたときの返事が忘れられない。


「やつかの海」


 と、彼は答えた。


『海は、どんな岸辺にも寄せては返す』

『やつかの砂浜のことも忘れない』


 まったく意味がわからなかった。

 わからなかったし、わかりたいとも思わなかったことで、五依里は魔術研究部をやめる決心がついた。

 これまで、自分はなかなかやれるほうだと思っていた。

 はっきり言って、部では一番だと思っていたし、もしかしたら東京の強豪校でだって通じると思っていた。

 

 でも違った。五依里には感じ取れない、何かものすごく広くて、わけがわからなくて、理解の及ばない世界が東京なんか行かなくてもすぐそばにあった。

 そしてその世界のことに、まったく興味がもてない自分がいた。





 その後、風のうわさで宿毛湊が怪異退治組合の東京本部に引き抜かれたと聞いた。

 うらやましくて、悔しかった。

 どうして自分にはああいう才能がないのかと親をうらんだりもした。


 部をやめた後も、その試合はいわゆる黒歴史となって記憶と生活の中に居座り続けた。

 いつの間にか撮影されていた試合中の写真が公式ホームページに堂々どうどう掲載され、親戚中に笑いものにされて、自分自身でもやめておけばいいのにチラチラ見ては叫び出したくなるような屈辱くつじょくみしめた。

 それも、ただの叫びではない。

 「ギニャー!」とか「アニャニャニャー!」みたいなわけのわからないやつだ。

 悔しすぎてとてもこんなところにはいられないと高校卒業後、地元を飛び出して専門学校に通い、デザイナーになって気が狂うぐらいに働き、フリーランスになって戻ってきて当てつけのように家を建てた。


 やつかの海が見える大きな家だ。

 庭にヘンな空き缶が落ちている妙な土地だが、家族や友だちも「まだ若いのに立派だ」と言ってくれた。それで、ようやく、気持ちの整理がついた。


 身近になった砂浜を散歩していると、作業着を着た若い男性とすれ違う。

 コンビニの袋を片手に昼食中だったり、砂浜に座り込んで海をぼんやり見てるときもある。


 挨拶あいさつはすれど、名乗ったりはしない。

 むこうも、軽く会釈えしゃくをするだけ。


 何回かすれ違い、彼女はようやくそれが誰なのかに思い当たった。


 あれは宿毛湊だ。


 何故気がつかなかったかというと、雰囲気ふんいきがまるで別人だったのと、左のこめかみにある傷跡のせいだった。かなり深い。

 左目が引きつれて見えて、それで印象が違って見えているのだ。

 あれは高校生のときは、絶対になかったものだと断言できる。

 あのあと、何かが起きて、カウントの天才に傷をつけたのだ。


 それから何日かして、五依里はやつかの海が見える窓辺に手製の振り子を置いた。

 競技用のシンプルなものではなく、五色のガラス玉が虹みたいに光を散らしている。


 その日、彼女はスケッチブックを片手に散歩に出かけた。

 グラスアートの作品作りのためにモチーフを探していたところ、砂浜で昼寝をしている宿毛湊をみつけた。

 胸元で茶色い毛玉が丸くなっている。


「お隣、いいですか」


 宮川五依里は日傘の下から声をかけた。

 宿毛湊は顔の上に置いていた帽子を取り、相手が誰だかわかると、びっくりしたような表情を浮かべた。

 やはり、その顔には傷がある。無視できないくらいくらい深い傷あとだ。

 あれから何があったのだろう。

 わからないし、聞く権利もないだろう。

 その傷を見ると、あの頃の五依里が無責任にあこがれていた夢の手触りを思い出した。


 自分が世界の中心のように思えた。

 目に見えるものが世界のすべてだった。


 夢をかなえたら、きらきらと世界が虹色に輝いて、すべてが終わるんじゃないかと思っていた。その先も人生は続くのだということを何ひとつわかっていなかった……。

 

 海は、どんな岸辺にも寄せては返す。


 この岸辺では、スケッチブックを向けられたマメタが宿毛湊の腹の上でかっこいいポーズを披露している。


 波の音は止まることがない。

 潮風が誰も知らないずっと向こうまで吹きわたっていく。

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