第11話 殺せ! 転売ヤー! (上)



 河内正かわちただしは転売ヤーである。



 転売ヤーとは商品の転売で利益を上げる者のことを指す、転売屋という名称の俗語だ。

 この呼称こしょうは正直言って好きではない。じゃあ何と呼ばれたいか……というと代案があるわけじゃないが、世間から軽んじられているようで嫌だった。

 彼は好きで転売をしているわけではない。

 元々集団行動が苦手でまわりに馴染めず、新卒で入った会社を退職、金に困って趣味で集めていた玩具やゲーム機、トレーディングカードなどを売り払った。

 それがこの世界に足を踏み入れたきっかけだ。

 はじめはプレミアがついているものをフリマサービスで売っていただけだったが、やがて少数生産されたレアな商品を積極的に買い占めるようになった。

 今では自宅兼倉庫代わりにマンションの一室を借り、アルバイトを三人雇っている。

 世間ではみ嫌われているが、うまく社会になじめなかった正からすれば、この仕事がなければ他にまともな収入を得る手段はない。

 親の年金をかすめ取るわけにもいかず、ほかにどうしようもなかったというのが本音だ。

 それに、この仕事も世間が思っているほど甘くはない。

 最近では転売対策がいろいろと講じられているし、売り時を逃せば大量の在庫を抱え込むことになる。生き残るためにはそれなりに必死にならなければいけないのだ。


「あの、河内さん」


 転売の手伝いをさせている大学生が、ノックもなしに入ってきた。

 学生時代の伝手で雇った若者で、買い占めのために行列に並ばせたり、在庫管理をさせたりしているのだが、どんな作業をさせても今ひとつ要領を得ないところがある。

 

「この注文なんですけど、本当に発送しちゃっていいんですか?」


 正はパソコンを使い、注文を入れてきた客とやり取りをしているところだった。


「なんだよ、またお前かよ。黙って指示通りに作業してればいいんだよ!」


 オドオドした態度はまるで会社員時代の自分のようだ。

 そう思うと無性にイライラして、力任せに怒鳴どなりつけていた。

 大学生はびくりと肩を震わせ、項垂うなだれた。


「ほんとですか。じゃあ、本人がそう言うなら仕方ないか……」


 そう言って青年は正に近づいてきて、マウスを握り締めた右手を


「…………え?」


 痛みはない。血も流れていない。

 まるでフィギュアの腕を外すみたいに、大した音も立てずに肘から下が関節から外れた。

 あまりにも無造作に過ぎて、はじめは何が起きているかわからなかったくらいだ。

 

「じゃあ、梱包こんぽうして送っちゃいますね。このサイズのダンボールあまってたかなあ」


 腕時計をつけたままの腕を、まるでマネキンのもののように小脇に抱え、大学生は部屋を出ていく。

 あまりにも非現実的な光景だった。


「あのー。左足も送ってくれって注文が来てるんですけどぉ、いいですよね」


 そう言いながら別の学生がにやにやと笑いながらやって来る。


「…………は? 何言ってんの? いいわけねえだろ」

「や、でも、今すごいんですって。プレミアが。ほんとすごくて。注文もジャンジャン来てて、ここで売っとかないと損ですって!」

「いや、いやいやいや。金の問題じゃないから」


 近づいてくる。でも、何かがおかしい。

 こんな男、雇っていたっけ。

 とっさに、正はベッドの上に放り出していたスマートフォンを掴む。

 その隙に男が正の左足に手を伸ばした。





 駅前の小奇麗なマンションに警察のパトカーが止まっている。

 通報のあった303号室の前には美女が立っていた。

 美女、としか形容しようがない美女だった。ゆるく巻かれたあでやかな長い黒髪に、ほっそりとした手足。肌は陶器のように白くて滑らかだ。長いまつげに彩られた瞳は限りなく澄んだブルー。ただでさえ華奢な体を際立たせる黒のドレスの上に、ミステリアスな漆黒しっこくのケープコートを羽織ってる。マニキュアは紫のグラデーション。立ち姿にはなんとも言えない気品がただよっている。


 彼女は全日本魔術連盟から派遣されてやってきた魔女である。


 警察から連盟に協力要請があり、同じく怪異退治組合やつか支部から派遣された狩人と合流する予定だった。

 狩人はやって来た。

 左のこめかみに傷がある。おなじみの若手狩人、宿毛湊すくもみなとである。

 そのうしろには、事務員の相模雪也さがみゆきやがおっかなびっくりくっついてやって来る。


「わぁ、本物の魔女さんだ! 僕、はじめてみました。よろしくお願いします!」


 相模くんは思わず歓喜かんきの声を上げた。

 目の前にいる女性はとても地方都市に存在しているとは思えぬ美貌びぼうで、そこに立っているだけで若い男性がついつい嬉しくなり、はしゃいでしまうのも無理からぬことだった。

 だが、同じくらい若いはずの宿毛湊は眉ひとつ動かさない。

 彼は目の前の美女の正体を見抜いていたから……かもしれない。


諫早いさはやさくら……いつもと顔が違うな……」


 彼は魔女の名前を呼んだ。

 魔女は苦痛に顔をゆがめる。


「この顔にするのに二時間くらいかかったわ……たるんだ下あごにリンパマッサージをほどこし、めちゃくちゃキツくて苦しい矯正下着をいて、バリクソに高いヘアトリートメントで髪をサラサラにして、ワンデイのカラーコンタクトも入れてきた……初対面の人が来ると思ってたからよ。あなたが来るならジャージを着て来た。努力を返してほしいんだけど…………」


 宿毛湊は頷いた。

 よくわからないが、ほとんど整形に近い努力があったのを感じ取ったからだ。


「相模さん、もっとめてあげてください」


 宿毛にうながされ、相模くんは大卒一年目の純粋無垢な瞳で諫早さくらを見つめた。


「お姉さん、めちゃくちゃ美人ですね……。あとで連絡先教えてください!」

「よろしい、許す!」


 許された。

 さて、このふたりがマンションの廊下で謎の邂逅かいこうを果たしたのには訳がある。

 発端は三時間前、303号室の住人から通報があった。

 住人はひどく取り乱しているようで「体を持っていかれる」「助けて」と叫んでいたそうだ。

 その後すぐに警察が到着したが、近隣住民からの情報提供で魔法絡みの事件である可能性が浮上し、組合と連盟の両方に応援の連絡がきた。

 こういう場合、退治組合が主導権を取るが、複雑な魔術が絡んでいた場合は連盟の出番になる。

 そういうわけで、諫早さくらと宿毛湊が現場でバッティングしたというわけだ。


「それにしても、狩人ひとりで大丈夫なの?」

「支部長は出張中で、他の狩人も別の現場でして……。現状確認して、無理そうなら現場を可能な限り保存しといてくださいとのことです。あのう、宿毛さん。少ないですけど僕が集めたベルマーク持って来ました。これ、足しにしてください」


 相模くんは、台紙にきちんと貼られたベルマークを取り出した。

 宿毛は無言で感激しながらベルマークの台紙をしっかりと受け取った。

 無表情を装っていたが、心ではなんていい人なんだろう、と感動していた。


「通報はもう三時間前になる。住人は転売行為で生計を立てていて、あまり外出せず周囲との関係を絶っていたという情報もある。少しまずいことになってるかもしれないから、相模さんは警察の方と駐車場まで退避してください」


 警察から鍵を受け取り、さくらと宿毛だけがそこに残った。


「一応きくけど、組合におまかせでいいのよね」

「サポートだけ頼む」


 二人は鍵を開けて、そっと室内に入った。

 明かりはついていない。玄関にはスニーカーが一足だけ置かれている。

 物の少ない部屋だった。

 ベッドやパソコンなどの家具が置かれているのは玄関が入ってすぐ左手の部屋だけで、ほかの部屋にはカーテンすらない。ダンボール箱がうず高く積まれているだけだ。

 リビングから、がしゃん、がしゃん、と、機械を動かしているかのような音が聞こえてくる。


「河内さん! 怪異退治組合です!」


 狩人は声をかけながら、音がしているリビングへと向かう。

 そこには、異常なものの姿があった。

 リビングの中心に河内正と思しき人物が立っていた。

 ただし、河内正本人だと思えるのは頭部だけだ。首から下、手や足や胴体はプラスチックの装甲でおおわれている。

 人間らしい柔らかな曲線はひとつもなく、四角いパーツが組み合わさり、青や赤でり分けられたそれは、まるでロボットだ。


「助けて……!」


 河内正は泣きながら助けを求めるが、装甲に覆われた体の反応は言葉とは違っていた。

 逆光で影になった正ロボはミサイルランチャーを構えた。

 プラスチック製のミサイルが射出され、宿毛とさくらをねらう。


「プロテクト!」


 金色に輝く指先で四角を描く。

 透明な盾が、プラスチックでできたミサイルを押しとどめる。

 ロボットはミサイルランチャーを捨て、拳を振り上げた。

 狩人の指先が、今度は金色の三角を描く。


「スロウ!」


 さくらもよく知ってる。物の動きを遅くする米国式メソッドの基礎の魔術だ。


二重詠唱ダブルカウント!」


 さくらは「おっ」と声を上げる。ダブルカウントとは、二つの呪文を同時に詠唱する米国式の基礎テクニックだった。これをやると効果も二倍になるが、難易度もはねあがる。呪文を二つ同時に唱えるということは、人間の頭の中を二つに割って、それぞれが魔法を使っている状態にするのと同じことだからだ。

 例えるなら右手と左手で別々の文章を書くようなもの、究極のマルチタスクといえるだろう。

 ロボットはまだゆっくりと拳を動かしている。


三重詠唱トリプルカウント二重奏デュオ


 河内正の様子をうかがいながら、宿毛はさらにスロウの呪文を一つ追加し、それでもロボットが抵抗するので、それを二重奏……つまり、二倍。

 六回同時にスロウをかけている状態にしてやっと停止させた。

 それだけやっても動きを止めないロボットもさることながら、宿毛湊の技量もなみなみならぬものがある。

 というか、さくらにはこのカウントというものができなくて、米国式をあきらめた過去があった。

 ダブルカウントすらできないさくらにとっては、六重がどれくらい難しいことなのか判断することすらできないわけが、連盟代表として現場に呼ばれた身としてはなんとなく魔法のことで負けてはいけない気がする。

 彼女は魔女らしくフフンと笑ってみせた。


「…………なかなかやるじゃない。確か、競技魔術の公式大会記録が十倍詠唱ディカプルカウントよね」

「それは、高校生のときの俺の記録だ」

「うっ、うそだ!!」


 さくらは叫んだ。

 ロボット人間――正確には体ロボット頭人間――が「助けてください~!」と泣いていたが、さくらはそれよりも自分のほうが絶対悲しい気持ちだという、何に対してかわからないプライドみたいなものを抱いて精神の均衡きんこうを保とうとしていた。

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