第10話 異界からのポイ捨て



 相模雪也さがみゆきやは怪異退治組合の事務員である。



 大学は県外に出ていたのだが就職活動がうまくいかず、両親が七尾ななお支部長の知りあいだったこともあり、やつか町に帰ってきた。

 今はひとり暮らしだが、両親からは同居したいオーラをひしひしと感じる毎日である。

 もちろん彼らは悪い人間ではない。

 愛情深く、誠実だし、とても親切で子ども思いでもある。

 なのだが、昔から、雪也はふたりと一緒にいると息苦しくなることがあった。

 仲が悪いわけじゃない。学生時代、地元を離れていたときも誕生日や季節のイベントの度にちょっとしたプレゼントを送りあい、長い休みのときはかならず帰省するよう心がけていた。

 薄給ながら、初めてのボーナスが出たら家族旅行に出かける予定だ。

 ただ、その旅行のことを考えると、頭の奥が少し重たく感じられ、首があらぬ方向にかたむいていくわけだが……。


 さて、彼には日課がある。

 といっても、組合の事務員としての仕事の一環だ。

 毎朝出勤したあと、事務所の近所にある、とある家を訪ねていく。

 宮川という表札の出た新築の家だ。

 

「おはようございます、宮川みやがわさん。怪異退治組合です」


 庭に声をかけると、塀越しに宮川さんが顔を出す。

 ショートヘアが似合う女性は、最近やつか町に越してきた。

 デザイナー兼グラスアートアーティストをしていて、自宅は工房を兼ねている。

 玄関先には彼女が作った素敵なランプが飾ってあった。

 海の上を優雅に飛ぶ海鳥のデザインだ。

 この家はやつか湾のすぐそばに建っている。

 だからランプも、おそらくやつかの海がモチーフなのだろう。


「おはようございます、相模くん。今日もありますよ。同じのがみっつ、お庭に落ちてました」


 宮川さんはオレンジ色の空き缶を三つ、うれしそうに取り出した。

 相模くんはそれを事務所から持ってきたゴミ袋に回収する。

 缶にはオレンジらしき柑橘かんきつ系の果物の絵と、商品名らしき青い文字がデカデカと、奥から手前に向けて飛び出しているように見えるデザインで描かれている。

 らしい、というのは、文字が全く読めないからだ。

 あきらかに日本語ではない。

 七尾支部長によると、日本語どころか、このような言語を用いているのは全世界を見渡してもそうである。成分表らしいものも、何かのパーセンテージを表示しているんじゃないかと思しき数字も、全く未知のものだ。

 この家の庭には、そんなふうに、どこから来たのかわからない空き缶が捨てられていることがあった。

 もちろん誰が捨てたのかもわからない。

 いつも住人が目を離したすきに、ぽつねんと空き缶が落ちている。数も種類もまちまちで、今回のようにジュースっぽい空き缶だったり、お酒だったり、はたまた内容物が全くわからないようなデザインのものもある。

 その現象は家が建つ前、この土地が更地さらちだった頃からずっと続いていて、現れた空き缶は組合が回収することになっていた。

 回収した缶は、まとめて大学の研究機関に送っている。


「あのう、こんなこと聞いていいのかわかりませんが、宮川さんは怖くないんですか? 自分の庭に、こんな変なものが落ちていて……」

「そういうことが起きるっていうのは事前に聞いてましたし、そのおかげで土地が安く手に入りましたから」


 宮川さんは、不安のかけらもない表情だ。

 それどころか、


「日本にはあまり無い奇抜きばつなデザインが多いので、勉強になるんですよ」


 そう言ってにっこりとほほ笑んでいる。

 このあたりの感性は、芸術家ならではのものなのだろうか。

 相模くんには今ひとつ理解できない。

 自分だったら……とてもそんないわくのある土地を買ってまで家を建てよう、という気にはなれない。もしもそんなことをしようとしたら、保守的な両親がなんて言うか……とまで考えて、相模くんは思考を振り払った。


「何か異変があったら、事務所に連絡してくださいね。すぐに、うちの腕利き狩人を派遣しますから」

「心配してくれてありがとう。でも本当に大丈夫。最近は段々傾向がつかめてきた気がするし」

「傾向というと?」

「やっぱり、海が荒れているときは、出現率が上がってる気がするんです」


 宮川さんは何やら、ドラマに出てくる名探偵みたいな、自信ありげなしぐさをみせながら言った。

 相模くんは家の前の、白い砂浜に繋がる小道の先を見つめた。

 やつか湾は、三百年前に現れた謎の海である。

 海であるが、本当に海なのかは誰も知らない。

 古い地図上では、そこには山があり『やつか村』という集落があったことになっているが、突然あらわれた海に飲み込まれた形になっている。

 この海は、日本海にも、太平洋にも、いかなる内海にも接続していないし、位置的にするはずがない。やつか町は完全なる内陸部にあるのだ。

 だが、海はある。砂浜に立って沖を見れば、水平線まで見える。

 どこに繋がっているか未だにわかってない海だった。


「どこか異世界の人が、ポイ捨てしてるんじゃないかしら。それが波に流されて、ちょうどここに辿たどり着くの」


 宮川さんは言った。

 任務を終えた相模くんはポケットに両手を突っ込み、事務所までの道をぽてぽてと帰りながら、そのことについて考えた。

 異世界の誰かが、こっち側に空き缶をポイ捨てしてる可能性についてだ。

 怪異とは関係なく、ポイ捨てというのは、ゴミを捨てたって構わない場所だと思うからこそやるのだろう。

 たとえば放棄された田んぼとか、なんにもない空き地とかだ。

 

 だとしたら異世界のやつらは、こっちの世界のことをどうでもいい更地みたいなものだと考えているのかもしれない。


 そう考えると、妙に腹立たしいような、むなしいような気持ちになった。

 誰もが自分なりに必死にこの世界でうまくやっていこうとしているというのに、異世界人にしてみたら……。今朝方、相模くんの母親がメールでリンクを送ってきた高級リゾートホテルのウェブサイトのことも、あれもこれも……。

 

「どうでもいいか、そうですか……」


 相模くんは呟いて、長いため息を吐いた。

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