第9話 転生チケット



 宿毛湊すくもみなとは休日、必ず公園に出かけていく。


 とくに運動をするでもなく、もちろん遊具で遊んだりもしない。

 顔に傷のある若い男性が遊具で遊んでいたらきっと怖いだろう。

 新しい怪談が生まれそうなので、遊具には近寄らない。

 じゃあ何をするかというと、ベンチに座って煙草たばこを二、三本吸うだけである。

 それだけでもまあまあな威圧感があるが、その間に公園に集まった児童たちから『ポイントカード』の買い取りをするという大事な仕事をしなければならないのだ。

 ポイントカード……。お店で買い物をしたときにスタンプを押してもらい、たまると特典がもらえたり、割引サービスが受けられるお得な四角いカード、あれである。

 最近はポイントカードも電子化が進んでアプリと一体型になっているのも多いが、やつか町は田舎で個人商店が多いため、未だに紙製の手作り感あふれるポイントカードが生き残っている。

 このポイントカードを、主に小学校低学年の児童から現金で買い取っているのである。


 なんでそんなことをしているかというと、これが『魔法』のになるからだ。


 宿毛湊が狩りで使う魔法は『米国式』と呼ばれるもので、その名の通りアメリカを発祥地とするものだ。

 米国式魔術メソッドの最大の特徴は魔術を使うために用いられる資源、つまり『リソース』にある。かつて魔術を使うために必要だったもの――たとえば『魔力』のような個人的な資質や、生贄の儀式などは米国式では用いられない。


 米国式で用いられるのは、金だ。


 金、ゴールド。貨幣、財貨。

 才能も、生贄いけにえに使われるヤギも、結局は金銭でまかなうことができるものなのだから、だったら最初っから金で魔術を使おう、というのが米国式魔術メソッドなのだ。

 これはややこしい儀式や信仰心がなくても誰でも扱えるので、競技魔術の世界でも広く取り入られている。

 毎年夏にやる『全日本高校魔術競技会』なんかも、出場選手の大半が米国式だ。

 ただ毎回毎回、財布から魔法を出していると、いくら金があっても足りないので、その代替手段として怪異退治組合はポイントカードの使用を推奨すいしょうし、市民からの寄付を募っている。(ベルマークでもよい。)

 しかし寄付は年々集まりが悪くなっており、組合からの支給を当てにしていてはらちが明かないので、宿毛は秘密裏に子供たちからの直接買い取りという強硬手段に出ているというわけである。

 この日、子どもたちから買い取ったポイントカードは三枚。

 公園の近くにある和菓子屋の、満タンになったカードは二百円で引き取った。

 役目を終えれば用はないとばかりに、子供たちのサッカーにまじろうとしてボールになってしまっているマメタを回収すると、ポイントカードのたばを手に立ち上がる。


「スクモのおじちゃーん!」


 そこに、自転車を押した小学生が近づいてきた。スポーツ刈りに眼鏡めがね。ぶかぶかの赤いジャンパーを着て、歯を見せて笑っている。


「お兄さんだ」

「スクモのおじさん、これ見てこれー!」


 スクモのおじさんはぐっと悲しみを飲み込んだ。

 小学生男子は残酷だ。

 一度おじさん認定した人物のことは、二度とお兄さんだとは思ってくれない。

 保険証を見せつけても無駄だ。


 彼の名前は伊根勝則いねかつのり


 キラキラネームが乱舞する世間の流行とは無縁で、友だちから『かっちゃん』と呼ばれる稀少な小学生男子だ。来年中学一年生になる。

 かっちゃんは手にしたオレンジ色の紙きれをぶんぶん振り回していた。

 宿毛は紙切れを受け取った。

 形はコンサートや映画のチケットのような長細い長方形。

 オレンジ色一色で刷られており、絵や図柄はなく、『転生チケット一日分』と書かれており、片側に切り取り線が入っていた。


「転生チケットか。めずらしいな」

「ねーねー、それ本物ー?」


 宿毛はチケットを透かしてみた。

 全日本魔術連盟の透かし文字と刻印が浮かび上がった。

 『転生チケット』は魔術連盟が発売した公認ジョークグッズだ。『異世界転生もの』と呼ばれる小説がインターネットでウケているのを見た協会の魔術師の誰かが面白半分で売り出した。

 異世界には行けないが、チケットを使うことで期間限定で転生気分が味わえる。

 あくまで気分で一日しか効果はないが、ほかの生命体に自分の意識を乗り移らせる効果があった。

 発売から三日後には発禁処分を食らい、回収騒ぎになった代物だ。

 発売開始から禁止になるまでが記録的に速く、今では逆にプレミアがついてしまい、偽物まで流通しているありさまだった。


「これは本物だ。どこで手に入れた?」

「あのねー、メムカリで中古のデュエルカードを買ったのー。そしたらオマケでもらった! お母さんがニセモノかもしれないからスクモのおじさんに聞いてから使えって! これ使えるのー?」

「使えるが、問題の多い魔術だ。生命の定義が曖昧あいまいで、人間に転生するかどうかはわからない。犬や猫になるかもしれない」

「じゃあマメタになれるかもだねー! ありがとー!」


 かっちゃんは思いがけない俊敏しゅんびんさでチケットを奪い返すと自転車にまたがり、風のように去っていく。


「おいこら、危ないから絶対使うんじゃない! 使うんじゃないぞ!」


 宿毛は公園の外まで追って行ったが、かっちゃんのほうがだいぶ速い。

 近所の目もある。早々に追跡をあきらめた。





 かっちゃんはスクモのおじさんの忠告にしたがい、転生チケットを使わずに、机の引き出しの奥深くにしまっておいた――そんなことあるわけがない。

 金曜日の晩に夕飯を食べ、風呂に入り、寝る前に元気よくチケットをもぎった。

 お母さんには、事前に「スクモのおじさんがいいって言ったから、転生チケット使いまーす!」と元気に宣言しておいての犯行だ。

 ちなみに六年生になったのに、低学年となんら変わりない小学生男子の子育てに疲れ果てていたお母さんは、判断力がいちじるしく低下しており「あらそう、じゃあ明日のごはんはいらないわね」とだけ答えて弟の世話に戻った。

 これでかっちゃんを止める者はいなくなった。


 少年はワクワクしながら眠りについた。


 べつに今の自分に満足していないというわけではないが、ほかの生き物になれるというのが楽しそうに思えた。犬や猫になるなんて、ほかの人間になるよりずっと身軽で楽しそうだ。

 翌朝、かっちゃんは自分の意識はそのままに、別の生き物になっていた。

 『転生』したのだ。

 そこは真っ暗な世界だった。

 しばらくすると、そもそも目が開けられないことに気がついた。

 目というものがないのだ。

 かろうじてモゾモゾ体を動かすことはできるのだが、手で何かに触ったり、歩いたりということができない。

 むしろ、足のある側は、どこかに強固にくっつけられていて離れることができなかった。

 細長い体の感じはヒモに近い。

 でも、ミミズやイモムシのように自由にうねるということはできない。


 ということは、一日中、モゾモゾしてなきゃいけないのだろうか……。


 がっかりしていたかっちゃんだが、周囲が突然明るくなった。

 目に光は見えてこないが、体全体に明るくなった雰囲気を感じた。

 自分の足が固定された土台が大きく動き、かっちゃんは逆さまになった。

 機械が動くんじゃなく、もっとなめらかで柔らかい動きだった。

 おそらく、土台だと思ってたものは自分よりはるかに大きな生き物だ。

 たぶん、自分はコバンザメみたいに、何か大きいものにくっついている生命体なんじゃないだろうかとかっちゃんは推測する。

 土台が再び移動した。

 どしん、どしんとリズミカルに動くこの感じには、覚えがある。

 間違いない、土台は二本足で歩いている。


「お母さん、おはよう」


 土台が小さい声でしゃべった。しかもその声は、ものすごく聞き覚えがあった。


(あれ、もしかしてこれ、お父さんじゃない?)


 かっちゃんは、どうやらお父さんの体のどこかに付着している『何か』に転生してしまったようだ。ノミとか、ダニとかだろうか。

 しかし、ノミやダニが付着しているお父さんというのは嫌なものだし、もしそうならもっと自由に動けていいはずだと思い直した。


「かっちゃんとよっちゃんは?」

「まだよく寝てるよ。起こさないでね。はいこれ朝ごはん」


 お母さんの声も聞こえてくる。

 よっちゃんは、弟のあだ名だ。

 かっちゃんのお父さんは工場で働いていて、朝はやくに出かけたり土日に働きに出ていくこともよくある。そういうときは子供たち二人を起こさないよう、朝ごはん用のおにぎりを握ってもらって、ひっそりと出かけていくのだった。


「元気に行っておいで。いってらっしゃい」

「かっちゃんとよっちゃんのこと、よろしくね」


 お父さんはおにぎりをかばんにしまうと、上着を着こんだ。

 大好きなアウトドアブランドの防風ジャンパーだ。

 もう冬ではないけれど、まだ太陽が出ないうちに自転車に乗ると、肌寒くてかなわないんだと、お父さんが愚痴ぐちるところをかっちゃんは何度も見たことがあった。

 お父さんはひんやりとした空気の中に出ていった。

 そしてコーポの自転車置き場に行って、マウンテンバイクにまたがった。

 朝ははやいし、残業も何時間もあるし、体力的にもきついけど……でも、お父さんは一生懸命に働いている。そして節約のために会社には自転車で通っている。

 かっちゃんの目から見ても、働き者でいいお父さんだ。

 ただ、問題がひとつある。

 かっちゃんの推理によると、現在、かっちゃんはお父さんの体に密着してくっついている状態だ。そして服の下にいる。いったん明るくなったあと、お父さんが着替えをして再び暗くなったことから、そう考えられる。

 あくまでも、お父さんはいいお父さんだ。

 だが……年齢相応に、体がくさいのだ。

 お父さんは一生けんめいに自転車をこぎはじめた。

 妻のため、息子のため。一生懸命になればなるほど、汗をかく。

 かっちゃんの周囲も、汗が皮膚の上ににじみ、ムレてきた。ふつうのムレ方ではない。


 かっちゃんは、確信した。


(ここは――ここは、お父さんのワキだ! 僕はお父さんの脇毛になっている!)


 このときの絶望は、言葉では言い表せない。


 後日、かっちゃんは公園で、スクモのおじさんから「昔、髪の毛や爪は妖怪だと思われていた。自分の意志ではないのに勝手に伸びてくるからだ」という豆知識を聞いた。

 転生チケットは雑な作りをしているので、妖怪脇毛にも生命体判定がおりたんだろう、とも。

 しかしそんな言葉は何のなぐさめにもならない。

 かっちゃんはお小遣いをため、お父さんの誕生日に体臭を抑える効果があるデオドラントソープを買った。

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