第7話 一粒万倍ミント



 諫早いさはやさくらは一粒万倍いちりゅうまんばい日にミントを植えた。



 これだけ書いたら他に何も言うことは無いのだが、一応説明しておくと、一粒万倍日とは暦上の吉日のひとつで、その意味は『一粒の種もみが万倍になって実る』というものである。

 この日を仕事はじめにしたり宝くじを買ったりすると良いことがあると言われている。

 新しい財布を買うのもいいらしい。


 そして、ミントは非常に繁殖力の強いハーブである。

 種からも増えるし、竹や笹みたいに地下茎からも新しい芽が伸びる。

 おまけに草が倒れても地面に接していればそこから根が出る。

 その繁殖力の強さは葉っぱ一枚を庭に落としただけで根を張るほどで『ミントテロ』なる造語を生み出した。

 しかもこの植物の厄介な点は他の種類の植物から栄養を奪い、枯らしてしまうところにある。

 植えたが最後、庭一面がミントの草原になってしまうのだ。


 ただでさえ万倍で増えがちなミントを、さくらは一粒万倍日に植えた。


 もちろん彼女にもむべき事情というものがある。

 さくらは生まれてから一度も植物を上手に育てられたことがない。

 サボテンですら彼女の手にかかれば茶色く枯れて死んでいくのだ。

 小学生のときは、彼女が育てたアサガオ、ミニトマト、クラスで植えたヒマワリが次々に枯れていったことから、まわりから『死神』と呼ばれていた。

 上手に植物を育てる人間の手を『緑の手』と呼ぶことがあるが、だとしたらさくらの手は何色なのだろう。パステルカラーでないことは確かだ。

 植物と共存することはとっくの昔にあきらめていたが「ミントを枯らした人類は歴史上存在しない」という噂を聞きつけ、久しぶりに命とたわむれたくなった彼女はアパートの庭――隣の住宅との隙間にある何もないスペース――に種をまいた。


 やつか町役場では一粒万倍日になるとスピーカーを積んだ車を出して『本日は一粒万倍日です』とアナウンスして回ることになっている。

 最近の若者は暦のことをあまり知らない。

 その例にもれず、さくらもあまり暦にはこだわらずに生きて来た。

 一応は魔女なのだが、あまりこだわりのない魔女なのだ。

 だから役場のアナウンスを耳にしても「ふーん、縁起のいい日なのね」としか思わなかった。


 数週間後、彼女はミント畑のさわやかな香りに包まれて目を覚ました。

 アパート海風は緑色の葉っぱの海に飲み込まれていた。

 庭は言うまでもなく、駐車場や部屋の中にまで入り込んで繁っている。


 さくらは建具の隙間からはみ出し、天井を覆わんと襲い来る葉っぱの大群を見つめた。

 そしてベッドに横になったまま、枕元にできたミントの藪をかきわけ、緑に埋没まいぼつしたガラケーを手に取った。

 そして怪異退治組合の番号を押し、事務員が「業者を呼んでください」と冷たい声で言うのを聞いたのだった。





「何か文句を言いたいようね。呼び出せるような知り合いがほかにいなかったのよ! もちろん相応の日当は払うわ!」


 さくらは涙目になりながらそうまくし立てた。

 軽トラの荷台にホームセンターで購入した除草剤とシャベル、スコップ、軍手などを山積みにし、アスファルトの割れ目から生えたミントを踏み越えて宿毛湊すくもみなとはやってきた。

 怪異退治組合はさくらの頼みを拒否したが、個人用の連絡先に呼び出しをかけてきたのである。

 狩人は赤いスコップをさくらに押しつけた。


「ひたすら手で抜き取るしかない」

「えーっ、この量を、手で? 屋根まで覆われてるのよ。魔法を使っちゃだめなの?」

「俺は使ってもいいが、君はだめだ。手作業でミントを抜く大変さを思い知れ。今日だけで作業が終わらなければ明日も、明後日もな。これにこりたらやつか町でミントを植えるな。しかも一粒万倍日にはなおのことだ」

「ううう…………! 悪いのは私じゃなく一粒万倍日よ!」

「言い訳よりほかに何か言わなければならないことがあるんじゃないか?」

「…………もの知らずで大変申し訳ありませんでした。除草作業を手伝ってください」


 さくらは泣きながらミントを抜いた。

 抜いて、抜いて、抜きまくった。

 土を掘り返し、根っこを取り除き、除草剤をいた。

 種がこぼれないよう、細心の注意を払って大量のミントをビニール袋に詰めた。


 土がフカフカになった後も、彼女には回収したミントを使ってアロマキャンドルや石鹸せっけんを作り、アパート住人や隣近所に配って回る大切な仕事が待ちかまえている。


 さくらの毎日に安寧あんねいが訪れる日はまだまだ遠い。

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