第3話 イヤフォンなくしおじさん(小)



 諫早いさはやさくらは使いなれたイヤフォンをなくした。



 ワイヤレスじゃなく、長ったらしいコードがついた昔ながらのやつである。

 ワイヤレスイヤフォンが部屋のどこかに転がっていってしまい、どうしても見当たらないときの控え用として、いつもさくらのそばにいてくれる都合のいい彼くんみたいな存在だった。


「そんな、まさか。たしかにスーツケースに入れてたはずなのに……!」


 既に捜索対象となり、玄関前に広げられたキャリーケースからは、汚れた下着や肌着がこぼれだしている。

 しかし、目的のものはどこにも見当たらない。

 ほかにも上着やズボンのポケットや、玄関近くの棚、机の上の小物入れをひっくりかえすが、出て来るのはコンビニのレシートや大量の使用済み電池でんち、大袋で買って食べきたチョコレート菓子なんかである。

 まじめで神経質な諸君らにはコードつきのイヤフォンという絶妙に存在感のある代物を見失うということ自体が考えにくいだろうが、無いのだから探すより仕方がない。


「やぁ~だ~~も~~~~、コンビニで買う? いや。あれでもう同じの買うの五個目だよ。変なあだ名がついちゃう。絶対どこかにあるはず!」


 確かにあるだろう。

 同じのが五つ。

 そうして一時間ほど経過した。

 目的のものは、なぜか冷蔵庫の中からみつかった。

 一番上の棚の、賞味期限が切れた味噌みそのパックの横にあった。

 諫早さくらの脳内に、冷蔵庫にイヤフォンをしまった記憶はない。

 そもそも、イヤフォンを味噌のとなりに収納するなんて、理性的な人間のすることではない。すくなくともビールのロング缶一本は空けた人間のすることだ。


「なんでこんなところに……?」


 冷蔵庫の奥に手を伸ばしたとき、背後に妙な気配を感じた。


 たたたっ。


 振り返ると、小さな影が駆けていく。

 諫早さくらは携帯電話を手に取った。断じて、スマートフォンではない。

 彼女は最近の文明というものを憎んでいるので、ガラケーである。





 怪異退治組合やつか支部から派遣されてやってきたのは、宿毛すくもなにがしとかいう若手狩人であった。

 薄青いつなぎに帽子をかぶり、軽トラを運転してやって来た。

 彼はアパート204号室の前に立つ諫早さくらと向き合った。

 彼女は大抵の平日の昼間、いつも同じ黒い縦じまのタートルネックを着て、分厚いレンズの黒ぶちめがねをかけ、ボサボサの長い髪を振り乱した姿で過ごしている。

 狩人は鋭い両目をすがめてみせた。


「見たことがある気がする……どこかで……」

「今年に入って三度目よ! 何か文句ある!?」


 さくらは怒鳴った。

 三度目の再会、しかも一度目は退治される側、依頼は二度目なので、やり取りもむだにスムーズだ。

 204号室内は惨憺さんたんたるありさまだった。

 力無く床に倒れ、息絶えた開きっぱなしのキャリーケース。ソファの上で無残な姿をさらす洗濯物。シンクに積まれた空き缶。すべての棚が開きっぱなしのクローゼット、床に置かれたままの買い物ぶくろ……。かろうじて、下着などのセンシティブかつプライベートなものだけが、押し入れの奥ふかくにそっと秘められている。


「狩人よりも警察を呼んだほうがいいんじゃないだろうか」

「何も盗まれていないわ。この前、探し物をしたときの後片づけをしていないだけよ」


 狩人は無言のまま、静かに衝撃を受けていた。


「それで、今度は?」

「小さなおじさんが出たの」


 さくらは、真剣な様子で言った。

 小さなおじさん……。

 それは比較的最近姿を現した現代妖怪の一種である。

 姿形は中年男性をそのまま小型にしたもので、特に何をするでもないが、不意に現れては住人を驚かす。古くは小人と呼ばれていたものの変容した姿であろう。

 諫早さくらはイヤフォンを手に室内を走っている姿をみたと主張する。


「やばい薬をやっていたわけでも、酒を飲んだくれていたわけでもないわよ」

「実は、最近、小さなおじさんに進化した新種が現れたという注意喚起が組合の中で回ってるんだ」


 狩人はブルーのバインダーから、明らかに家庭用のプリンターでられたと思われるチラシをさくらに手渡す。

 そこには、尻を丸出しにしたおじさんがイヤフォンを大切そうに抱いている写真が白黒で掲載されている。妖精でなければ、絶対に許されない写真だ。


「無くなっているのは、イヤフォンだけか?」

「そういえば、リップクリームもないわ。すぐ無くすから、五つか六つくらいはあるはずなのに、ひとつも見当たらない。爪切りとか、ケータイの充電器とかも」


 狩人はプライベートに干渉する点については特に何も言わずに「準備が必要だ」とだけ言って軽トラで出かけていった。

 それから一時間もせずに、近くにある百円ショップ、ダイモンの袋を提げて帰って来た。

 袋の中には机の上に置けるようなプラスチックの四角い容器が二つ入っていた。

 彼はその容器の外側に、黄色い幅広のテープを貼って、黒い油性マジックで『イヤフォン』と書いた。もうひとつには赤いテープを貼って『リップクリーム』と書いた。その作業が、無くしたものの種類の数だけ続く。


「家中のイヤフォンとリップクリームやその他もろもろを入れて管理するんだ。無くしづらい環境を作っておくと、おじさんもいずれいなくなる」

「小さいおじさんが盗むからイヤフォンがなくなるのかしら、それともイヤフォンは元々なくしやすい物の代表だから……?」

「君の場合、ワイヤレスイヤフォンが三つもあるのに、コードつきイヤフォンも五つあるという環境が異常だと思う」


 さくらは、聞こえなかったふりをした。


「小さなおじさんは、今は小さい。だが、このまま進化を続けるとどうなるかはわからない。なにしろ大元は妖精族だからな。国外の似たような事例では小物だけでなく、概念とかを盗みだすようになった」

「概念」

「『人が無くしてはいけない大切な何か』とかを盗んでいくので、何が盗まれたかは未だに解明されていないということだ」


 さくらは、意外と深刻な事態だったんだな、と思いなおした。

 そう。意外と深刻なのだ。

 狩人はそれだけ言うとさっさと帰って行った。

 さくらはそれから、この家の中からどうやってイヤフォンやリップクリームを探し出すかをテレビドラマのりためていた奴を眺めながら考えた。

 地道に探すのは骨が折れるので、置き配無限吸収呪文を再利用することにした。

 こうして、アパート海風204号室からイヤフォンとリップクリームやその他もろもろが失われることはなくなり、諫早さくらはこれ以降、さも自分は片付け上手なんです、というような顔をして生きている。


 具体的には、SNSでライフハックを発信しているということである。


 ちなみに、SNSはパソコンでやっている。

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