第2話 泣き女は片方の靴下のために泣く



 やつか町はなんの変哲もない地方の町である。



 おとなりのななほし町のほうがちょっと栄えていて、やつか町はどちらかというと山寄りで田舎だ。

 ただ、300年ほど前、やつか町の南側が海になった関係で、ほかの土地より怪異が多いと言われている。

 アパート海風204号室に住む諫早いさはやさくらもまた、ここのところずっと怪異に悩まされていた。


「うー……ううう~~~~っ…………」


 使っていない和室のほうから、女の嗚咽おえつが聞こえてくる。

 和室は一年中カーテンも閉め切って、押し入れを開け閉めする以外には立ち入っていない。最近一週間ほどアパートを留守にしたせいもあって、知らないあいだに現代妖怪のたぐいが入り込んでしまったのだろう。

 なんとかしなければいけないな、とは思いつつ、いざとなると『面倒くさい』が先にたつ。それに世間では、怪異というものは構ってやると増長し、見てみぬふりをしていればやがて力をうしなって消滅するものだと思われている。

 それでは、と無視を決め込むこと一週間がった。


「うー……ううう~~~~っ、うっうっうっ」


 やつか湾がきらめくさわやかな朝も、昼も、健やかな眠りを堪能たんのうするはずの真夜中も泣き声は止まない。心なしか声が大きくなっている気もする。

 さらに一週間経過した朝、真夜中の騒音問題について大家が苦情を言いにきた。

 管理会社とも相談した上で、怪異退治組合を呼ぶことになった。




 

 怪異退治組合から派遣されてやってきたのは、宿毛なにがしとかいう若手狩人であった。

 薄青いつなぎと帽子をかぶった青年だった。

 左のこめかみ付近に傷があり、そのせいで左目が引きつったように見えた。

 それでもってそんなに背が高くもなく、手足も長くなかった。

 さくらはコンプレックスが多いので、若くてシュッとした奴が来たらどうしよう、と思っていただけに、正直に言うと、ほっとした。

 狩人は応対に出た諫早さくらをじっと見つめた。


「どこかで見たことがある気がするな」

「そうかしら。気にすることないわよ」


 狩人は得心したようにうなずいた。

 ふたりはとりあえず和室を開けてみることにした。


「うう~! うっうっうっ」


 薄暗い部屋の隅で、真っ白なワンピースを着て、ざんばら髪を振り乱した女が声を上げて泣いている。しっかりと自己主張をしてくるわりに、下半身のほうはけていて足がない。


「泣き女だな」

「えっ、あれが?」


 諫早さくらは分厚い眼鏡の奥の瞳を輝かせ、嬉しそうに言った。


「魔女なのに泣き女もしらないのか?」

「知っているのと、見たことあるのはちがうもん」


 青年がちょっと呆れたふうに言うと、さくらはふてくされた。


「知っていると思うが」


 と、宿毛青年は前置きして説明する。


「泣き女は死を予告する女妖怪だと言われている。死を間近にした者のところに現れて叫び声を上げる」

「えっ、じゃあ、死ぬの? 私?」

「妖怪の力が弱まった現代では、泣き女が死を予言したという報告はない。それに妖怪も個性を大事にする時代だからな」

「個性を?」

「う、うううう~~~~っっ」


 そのあいだも泣き女はなげきの声を上げている。

 そして、さも悲劇的だというように両手に乗せたあるものを見せつけてきた。

 それは靴下だった。サイケデリックな色あいをした五本指ソックスで、さくらが去年の十一月ごろ購入したものの右足だった。ワゴンセールで一足二百五十円という破格の値段だったが、足の指をいちいち所定の位置に押し込まなければいけないのが面倒くさく、滅多にいていない。


「ふむ……。下着の収納場所を見せてくれるか?」

「あなたは何を言っているの?」

「靴下の収納場所だけでいい」


 洗濯機の横に靴下だけを入れたかごがある。

 さくらが出してきたそれを見て、宿毛青年は肩を落として悲しそうな顔をした。


「後家さんだらけだ……」

「まあっ、何て言葉を使うの! 信じられない。若いくせに」

「言わないか? 片方だけになった靴下のことをそういうふうに」

「知識としては知っているけど」


 言葉のチョイスがやたらと古臭いなあ、ほんとに二十代か? といぶかしむさくらであった。

 さて、さくらの靴下入れの中身は、青年が言う通り片方だけのものが多かった。


「履いているうちに、何故か、片方だけになってしまうのよね。それで、ちょくちょく新しいのを買うんだけど、そのうち片方だけになってしまうの。何故なのかわからないけどね」

「だけど、これはひどい。まるで戦没者遺族会みたいなありさまだ……。ふだん、右足と左足、別々のをはいているんじゃないのか?」

「まさか」


 さくらは大げさに驚いてみせた。

 どうしても両方同じのがないときは、そういう日もある。


「あの泣き女は、片割れを無くした靴下のために泣いているんだ。こういう雑な性格をした住人が住んでいるズボラな家によく出てくるんだ」

「寛容な性格と言ってちょうだい。どうしたらいいの?」

「離れ離れになった靴下を、ふたつ一緒にしてやるしかない」


 ふたりは靴下入れをひっくり返し、孤独な靴下たちの神経衰弱をはじめた。

 これがなかなかの難事業だった。

 靴下は、靴下入れだけに入っているとは限らない。

 そう言うと信じられないかもしれないが、大雑把な人間というのは、とことん大雑把なのだ。彼ら彼女らは二つ一組の靴下をばらばらの場所に干すし、バラバラのままそれぞれ二回に分けて洗うことさえある。そもそも、干し終わったあとの靴下を何日もソファの上に放り出したまま、ということも頻繁に起こり得る。

 そんなわけで靴下は靴下入れだけじゃなく、家中に散らばっている。

 テレビ台の下とか、洗濯機の裏とか、Tシャツを入れる棚のTシャツとTシャツの間に入っていたりもする。

 さくらの場合、買うときも適当なので、似たような素材、似たような柄の、丈違いみたいな靴下ばかり買う。考えなしなのだ。

 これが神経衰弱の難易度を上げる。

 すべての神経衰弱が終わるまで、三時間かかった。

 むしろ三時間ですんでよかったほうだ。


「ううう~~~~、ううっ…………」

「さあ。靴下は、すべて元通りになったぞ」


 宿毛青年が優しく語りかける。

 戦争に引き裂かれた二人は全て、伴侶を得たのだ。見つからなかったものは、らちが明かないので駐車場で焼却処分した。戦争は悲劇しか生まない。


「ううううう~~~~ッ!」


 しかし、それでも泣き女は泣き止まない。

 悲しげにかぶりをふり、枯れた柳の枝みたいな指の上に、小さな電子機器を乗せて狩人に差し出すのだ。

 片方だけになったワイヤレスイヤフォンである。


「あっそれ、五か月くらい前に家の中で無くしたやつ!」


 宿毛青年は静かに雷に打たれたように両目を見開き、ツチノコに向ける目つきでさくらのことを見つめた。

 ワイヤレスイヤフォンをみつけるために、それから二時間費やした。

 片方だけになったワイヤレスイヤフォンは三個もあった。


「なくしたら買い替えて済むような、安価なものではないと思う」


 宿毛青年のまっすぐな言葉は、さくらの心を傷つけた。

 かくしてアパート海風に現れた泣き女が引き起こした騒動は、あるべきところへ終着した……かのように見えた。

 ワイヤレスイヤフォンの発掘作業を終えても、泣き女は退却しなかったのである。


「うっうっう……」

「おかしいな。ここまでしつこいタイプははじめてだ。それとも、本当に死を予告しているのか?」


 魔女と狩人は頭を悩ませた。

 時刻はすでに夕方で、外はオレンジ色の光で満たされている。

 不意に、魔女の頭にひらめくものがあった。


「…………まさか、あれか!?」


 心理的な衝撃のせいで来客がいるのに野太い声が出た。


「どうした。この部屋にはまだ片割れだけになったものがあるのか?」

「ここから先は私だけでやるわ! あんたは帰って!」

「依頼完了を確認しないと、組合に報告できない」

「後で写メを送るから!」

「写メってなんだ?」

「いいから!」


 さくらはなかばむりやり、狩人をアパートから追い出した。

 この青年には、これからさくらがすることを見せたくなかったのだ。

 靴下とワイヤレスイヤフォンのお見合いを終えたこの部屋の中には、まだ孤独に嘆く者たちがいる。


 ずばり、下着である。


 女性用の下着は、ブラジャーとパンティで同じ色やデザインのものがセットになっている商品が多い。

 後のことはわかりきった話だが、あえて言う。言わねばならない。

 さくらは二つセットの下着を、別々に使っている。同じデザインのものを下着入れから探し出して身に着けるのが面倒くさいのだ。だったら似たような柄や色のものを選べばいいのだが、その時々で安いのを買うから、紫色のやたらセクシーなブラに、黄色のヒマワリ柄のパンティをはくはめになる。

 これだけは、若い男性に知られるわけにはいかない。

 知られたら、辛うじて保っている何かが壊れてしまう気がする。


 アパート海風204号室にあるすべての下着が揃う頃、やつか町は夜明けを迎えた。

 

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