四月二十二日(金)深夜 藤石の部屋

 忠志と敬太はそびえ立つタワーマンションを見上げた。


 タクシーの精算を済ませて、小柄な男――確か藤石と紹介された――が二人に近寄ると怪訝な顔をして言った。


「何してんだ。行くぞ」


 敬太が藤石を振り返る。


「ティラノさん、こんな所に住んでいるんですか?」

「は?んなわけあるか。こっちだよ」


 指が差された方向に、タワーマンションの五分の一程度の賃貸マンションが見えた。それでも、綺麗な外観をしている。

 さっさと歩く藤石の後を、二人は慌てて追いかけた。

 小柄なくせに何でこんなスピードで歩けるのだろう。

 藤石はマンションのエントランスで郵便物を取り出し、無言でエレベーターまで進むと三階のボタンを押した。

 忠志も敬太も無言である。自分はともかく、敬太が異常に緊張しているのが何だかおかしかった。お互い、初めて友人以外の家に泊めてもらうのだ。しかも、ゲームセンターで知り合っただけの他人だ。


 忠志は藤石の後ろ姿を見つめた。


 一六〇センチくらいしかないんじゃないか。けれど、さっきから見せられる威圧感のようなものは何なんだ。あの強面の堀江とも対等に話をしていたし、本当はすごくおっかない人なのかもしれない。

 この背丈、この顔立ち、真っ赤な眼鏡。すでに充分に不可解な人間だが。


 部屋に到着すると、藤石は少し待つように言った。突然押しかけたのだから、片付けなど気にしなくてもいいのにと忠志は思った。ところが二分と経たずにドアが開けられ、二人は招き入れられた。部屋の中は予想以上に整理整頓されていた。


 歩きながら藤石が説明する。


「ここがトイレ、ここが洗面所と風呂。ここが台所。あっちがテレビのある部屋。こっちは俺が寝る所。以上です。解散」

「ええっ」


 忠志も敬太も思わず声を上げた。


「解散って、どうしたら良いんですか」

「ティラノさん、もっとこう何かあるでしょう?」


 すると藤石は眠そうな目で二人を見た。


「何だよ。面倒なガキどもだな。もてなせって言うのか?腹減ってんのかよ」

「そうじゃないですってば。ただ、どうしたら……」


 わかったわかったと藤石は忠志と敬太を奥のテレビがある部屋に通した。


 丸いテーブルに座布団が二つ並んでいる。二人はそこに座った。意味もなく、敬太を見ると、友人もうんうんと首を動かした。

 しばらくすると、部屋着になった藤石が顔をのぞかせた。あの真っ赤な眼鏡は外されていた。


「お前ら何時に寝てるの?もう寝るならそこで適当に横になっていいぞ。毛布なら貸してやるから」

「いや、オレはまだ平気ッス。忠志は?」

「僕もまだ大丈夫です」


 それを聞くと藤石が不快な顔をした。


「何だよ寝ないのかよ。俺が寝られないじゃんか」

「う、すみません」


 しかし、藤石はキッチンに引っ込むとグラスを三つとペットボトルのコーラを持って来て、二人の前に座った。

 コーラを注ぎながら、藤石が言う。


「もし、この状況がお前らの両親に知れて、大騒ぎになったら俺は未成年者誘拐とかになるのかなあ。カッコ悪りぃなあ」


 その言葉に忠志はギョッとした。


「そ、そんな。助けてもらったのに」

「世間様ってのは甘くないんだよ。お前達は楽しいお泊り気分かもしれないけど、一般人は未成年を保護したら警察や学校や児童相談所に連絡する義務があるわけ。この国の未成年者に対する決まりは徹底しているからな。何でかといえば、お泊り気分のお前らに責任がないからだよ」


 敬太が不思議そうな顔をした。


「責任がないって、どういう意味ですか」

「お前らが何か起こしても、結局は、親や周囲の大人の責任にされちまうってこと。責任を果たすことすらガキどもには許されていないわけ。だから、迷惑かけるなって言われるんだよ。大人は子供のために何でもやってくれて当たり前、とか思うなよ。少なくとも、中学出たならそこは自覚しておけ」


 いきなり説教された。しかも辛辣だ。

 忠志は黙るしかなかったが、敬太は藤石に食ってかかった。


「でも、うちのお袋なんかこの前だって警察から連絡しても、結局は繋がらなかったんですよ?責任とかそんな自覚もないに決まってるんだ」


 藤石はコーラを飲みながら眠そうな目で敬太を見つめた。


「だからって、お前が騒ぎを起こして良い理由にはならないだろうが」

「そ、そうかもしれないッスけど」

「いいかねチャパツ。お前の家庭がどういうものか俺は知らないし、興味もない。不満があるなら自分で母親に直接ぶつけろ。父親はいないのか」

「それっぽい奴ならいるけど、アイツのことは良く知らねえもん。ほとんど一緒に住んでなかったと思うし。名字も違うし」


 ふうんと藤石はコーラのおかわりを注いだ。二人のやりとりを見て、忠志は心が締め付けられた。藤石にとってはやはり他人事なのだ。家庭のことなど口を出す立場ではないという認識なのだろうが、もう少し優しさがあってもいいのにと思った。


 藤石は敬太のグラスにコーラを注ぎながら言った。


「まあ、ゲーセンで遊ぶ程度なら平気か。友達選びも間違ってないようだしな」


 忠志のグラスにもコーラが注がれる。


「チャパツが悪さしなきゃそれで良い。母親やその謎の父親は気にするな。そのうちお前にも理解できるかもしれないから」


 その一瞬の柔らかな笑みが、あの機嫌が悪そうな顔とあまりにギャップがあったので、忠志はつい見とれてしまった。


 敬太が藤石に詰め寄った。


「オレがアイツを理解できるって……ほ、本当ですかティラノさん」

「どうかな。嘘かもな」

「どっちなんですか?オレはどうしたら良いですか」

「だから、言いたいことは親に言いなさいって。我慢できるなら我慢しろ。単に一人で考えて悩んでキレて暴れて俺の家に来られても困るんだよ」

「す、すみません」

「お前たちの特権は、相手を間違えずに相談さえすれば、誰かしら助けてくれるってところだ。大人になったら、聞き流されちまう方が多いけどな」

「……」


 藤石の顔は意地悪く笑っていたが、敬太の表情が少し緩んだようにも思えた。忠志も心のどこかが少し軽くなった。

 回りくどいやり取りだったが、藤石は話を聞いてくれると言っているのだろう。


 ふと、敬太と目が合った。


「そういや、忠志は何で今日は家出したんだっけ?」

「えっ」


 すると、藤石も眠そうな視線を向けてきた。忠志は何をどこから話せば良いかわからず、しどろもどろになった。


「あ、いや。大したことじゃないんだけど」

「だって、お前みたいな真面目な人間が家出するくらいなんだろ?聞いてもらっちゃえよティラノさんに」

「チャパツは何を勘違いしているか知らんが、ここは青少年相談センターじゃないぞ」

「え?ティラノさんが話を聞いてくれる前フリだったんじゃないんですか?」


 忠志はそれでも藤石の意見を聞いてみたかった。


 ――女々しい。


 酷評も覚悟しなくてはいけないかもしれないけど。


「あの、実は僕の家のことなんですけど……」

「そりゃ、そうだろう」

「だから家出したんだよな?」


 二人の声が合わさった。不要な前置きだったかもしれない。


「もう昔から住んでいる家なんですが、何か最近になってお隣とトラブルになっているようで」


 忠志は、例の黒服の男の話を思い出しながら、たどたどしく切り出した。


「よくわからないんですけど、僕の家の庭が、お隣さんちに、飛び出している……というか、はみ出しているというか……そういう状況みたいなんです。えっと、それでその庭の部分は実際はお隣さんの土地で……それを返すとか返さないとか――っていうのを、何か変な人が家に来て説明していました。それで、その話は結局流れたらしいんですが、今度は母親が、トラブルになるくらいなら、今の家を売ってマンション買いたいとか言い出して。僕はあの家に住み続けたいから反対して、それで喧嘩して」


 上手く伝えられたとは思えないが、これ以上の説明も無理だった。


 一息ついたところで、敬太が忠志の肩を揺さぶった。


「おいおい、よくわからないけど忠志の方が大変じゃんかよ。何で今まで黙ってたんだよ」

「ご、ごめん。黙ってたわけじゃないよ。話すタイミングが合わなくて」

「何だよその変な人って。さっきみたいなヤクザっぽい人か?」


 忠志は堀江の顔を浮かべて打ち消した。


「全然違うよ。確かに黒尽くめで長い前髪を垂らした怪しい人だけど、悪い人じゃなさそうだったよ。あと、すごく低い声だった」


 その瞬間、目の前の藤石が、コーラを盛大に吹き出した。


「だ、大丈夫ですか?」


 藤石は咳き込みながら片手で応じた。


「すまん。ちょっと考え事をしていた」

「そんなあティラノさん。忠志の話を聞いてなかったんですか?」


 ところが、藤石はやや深刻な顔(疲れたというべきか)で忠志を見た。


「それで?」

「それでって、母親とそのことで喧嘩したから、家を飛び出したんです」

「そうじゃない。土地の境界線の話はもう出てないのか?」

「え、たぶん。はい」

「お前の親は庭を引っ込めるつもりがないんだな」

「そうですね。それよりも家を売ることしか考えてません」


 藤石は少し考え込んだ。

 どうしたのだろう。


「なあ忠志、そうしたら引越しとかしちゃうのか?寂しくなるじゃんか」

「まだ決まったわけじゃないよ。それに僕だって絶対にあの家は離れたくないんだから」

「なぜだ?」


 頬杖をついて藤石が忠志を見つめている。

 忠志はとっさにごまかそうとしてしまった。


「いや、あの特に理由があるわけじゃ」

「まあ、そうだろうな。住み慣れている家だもんな」


 藤石は一人で勝手に納得して、空いたグラスを片付けキッチンに消えた。


 忠志は少し後悔した。もっと上手に話が出来ていれば、藤石の見解を聞くことができたかもしれない。しかし、家の売買のことなど、それこそ他人が口出し出来る話ではない。


 元より諦めるしかなかった。

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