四月二十二日(金)夜 ゲームギャラクシー

 敬太に泊めてもらえるかどうか、打診のメールを送ってみると、とりあえず駅まで来いという返信があった。急な申し出にも関わらず了承してくれた敬太に感謝したが、すぐさま失敗したと悔やんだ。友人にも家庭内に問題があるのを忘れていた。


 ――何とかなるだろう。


 今思えば母親に対して大胆な嘘をついたものだ。それほど逃げ出したかったということか。


 簡単に着替えを用意すると、忠志は家を出た。自転車で行こうかと考えたが、明日は空模様が怪しいようなことを天気予報でも言っていたので、結局は歩いて行くことにした。忠志より敬太の家の方が離れているため、遅れることもないはずだ。


 空にはぼんやりとした月がかかっていた。

 あれが朧月夜か。

 そんなような歌を母がよく歌っていた。

 歌の歌詞が思い出せないまま、忠志は駅前にたどり着いた。


 金曜日の夜。いつもより人が多い。

 グループで騒いでいる若者があちこちで見られた。その中を縫うように歩き、カフェの前まで行くと、驚いたことに敬太が店から現れた。


「あ、来た来た」

「あれ?どうしたの?」


 忠志が急に立ち止まったため、後ろのサラリーマンが激突した。

 互いに詫びを言い合うと、忠志は友人に向き直った。


「敬太、ずいぶん早くない?バスで来たとか?」

「うんにゃ。最初からここにいたんだ。そしたら、お前からメッセが来たからさ」


 忠志は納得したが、敬太の様子がおかしいことに気づいた。


「どうしたの?」

「わりぃけど、家には泊めてやれねえのよ。ネットカフェでオールしようぜ」


 忠志が首をかしげたのを見て、敬太は言いにくそうに続けた。


「お袋がアイツを連れて来てんだ」

「アイツ?」


 敬太は苦笑いした。


「前にも話した元親父だよ。そういう時は自主的に家出してるって話しただろ。まあ、友達の家に泊まるって嘘をついたりしてな」

「えっ」


 互いに嘘をついて、互いに泊まる家を確保できなかったということか。


「ちくしょう、タイミング悪いよなあ。まあこういうこともあるってことで」


 敬太は笑った。

 忠志はそんな友人の家庭環境を再認識した。


「何か、ひどいね」

「オレんちか?そう思うよな?でも金ねえし、出て行くわけにいかねえし」


 交差点で立ち止まった敬太はビルのネオンを見上げて言った。


「最近、うすうす感づいてきたんだけどよ、たぶん、お袋は水商売でもやってんだな。毎晩家にいない理由ってそれくらいじゃね?あれってそんなに儲かるのかな」


 忠志は言葉を選びながら慎重に返した。


「まだ、そう決まったわけじゃないよ。夜勤の工場かもしれない」


 しかし友人は大笑いして否定した。


「あんな色目を使った女がそんな仕事するかよ。別に良いんだ。関係ねえよ」


 信号が変わった。

 一斉に人が歩き出す。


「それにさ、ちょっと考えさせられたんだ。夕方のニュースで養護施設の子供たちの特集を見てたらさ、オレんちより悲惨な家なんかいっぱいあるんだよな。兄弟でもバラバラに引き離されたりしてさ」


 敬太は何か考え込むように腕組みをした。

 こんな不良のような格好をしていても、敬太はどこまでも純粋なのだ。

 忠志は、何も言えない。

 人とすれ違うたびに肩がぶつかる。


「お袋は、たまに小遣いもくれるし、好きなもの食えるうちはまだ幸せだよな。ただ、そういう気を遣われるのも面倒じゃん?これでも一応、いい子を演じたりしてるんだけど、疲れちまうんだよなぁ」


 繁華街に入ると、人混みがさらに増した。


 敬太が思い出したような顔で忠志を見た。


「そういや、お前はどうしたんだよ。外泊とか珍しいんじゃねえの?」

「ちょっと、母親と喧嘩した」


 敬太が声を上げて笑った。


「お前、母親と喧嘩って女の子かよ!何があったんだ?」

「それは」


 大笑いされて恥ずかしくなった。確かに、敬太に比べれば小さい理由だ。

 それでも意を決して話そうとした時、敬太が歓声を上げた。


「おい!ギャラクシーがワンプレイ五十円になってる!寄っていこうぜ!」


 見ると、行きつけのゲームセンターが休日前のキャンペーンをやっていた。料金が安くなっているおかげで、店内は大変な賑わいだった。


 敬太は忠志の返答を聞くこともなく、中に入っていってしまった。


 ――まあ、いいか。


 無駄に心配をかけるのもイヤだった。忠志自身、何もかも忘れたい気分でもあった。


 大音量の店内に入った矢先、あまりの人混みに忠志は敬太を見失った。コスプレの撮影会まで行われているようで、人の流れがいつもと違うせいかもしれない。


 その時、奥の方から突然罵声が聞こえた。


「このガキ!ふざけてんのかよっ」


 瞬時にそのそばから人が離れていく。空いたスペースには床に転がっている敬太がいた。


「いってえな!何だよ!だから謝ったじゃねえかよ!」

「人にぶつかっておいて、その詫びの入れ方が気に入らねえなあ」


 年齢は大学生かもっと上だろうか。六人くらいのグループが敬太を囲んでいた。


 ――またかよ!


 派手な色の服に、鼻や唇、あごにまでピアスをつけているチンピラ集団だった。前回と違い、明らかに勝ち目などないし、おそらく敬太に非がありそうだった。

 店員の姿も見当たらない。それでも忠志は店員を探しに店の中を駆け回った。人にぶつかり、マシンにぶつかり、忠志はその度に頭を下げた。どうやら、各フロアでゲーム大会なども行なわれているためか、店員も巡回するほどの余裕がないらしい。


 再び敬太がいる場所に戻ろうか迷っていた時、忠志はクレーンゲームのそばに見覚えのある男を見つけた。


 小柄なビジネススーツ、真っ赤な眼鏡フレーム。


 ――あれは。


 その隣では中腰でゲームに夢中の男が騒いでいた。


 白のスーツと紫の派手なネクタイ。さらに薄い色が入ったサングラスをしている。しかも出っ歯だった。


 どう見ても、裏社会に精通していそうな人物が天を仰いで叫んでいる。


「ぎゃーっ!。惜しい!今の惜しかったよね?フジちゃんっ」

「あー、惜しいですねえ。ハイハイ、もう帰りましょうよ」

「イヤ、おれは絶対に諦めねえ!娘のために、あのパープルベアニーちゃんミニを手に入れるんだ」

「何ですか、これ。熊とウサギの合体でベアニー?」

「今の女子供はみんなこれに夢中なのだ」

「でもねえ。堀江さん、もう三千円は使ってますよ」


 ゆっくり忠志が近づくと、小柄な男が気づいた。


「あ」

「テ、ティラノさんですよね?」

「違う」

「そんな!」


 忠志はそっぽを向いた小柄な男の前に回りこんだ。


「ティラノさん、お願いしますっ。助けてください!敬太がまたピンチなんです!」

「知りません」


 すると、出っ歯のサングラス男がこっちを見た。


「フジちゃん、さっきからティラノって何さ?この子、知り合いなの?」

「いやいや。あ、堀江さん。もうクレーン動いてますよ」


 おぉう、と慌てて出っ歯男はプレイに集中し出した。

 真っ赤な眼鏡をかけた秀麗な顔が、不機嫌な様相に変わり、忠志を睨みつけた。


「……自業自得って言葉、国語の先生に教えてもらえ。それに今、俺は大人の付き合いで忙しいんだよ」


 ぎゃあとサングラスの男が悲鳴を上げた。


「くそーっ。何でだあ!」

「堀江さん、買った方が早いですって」

「いや、フジちゃん。こいつは非売品なんだぜ。買えないものにこそ価値があるっていうだろう!」


 再び男が小銭を投入した。

 すでに二人とも忠志を見向きもしなかった。


 ――どうして大人っていつも子供の話を聞いてくれないんだ。


 忠志は急に怒りが湧いてきた。そして、足を大きく広げて構えるサングラス男を思いっ切り押しのけた。


 二人の大人が声を荒らげる。

「うぉ!何すんだよ!」

「おい、横入りだぞ」


 忠志はそれを無視して、動き出すクレーンを一番下にあるパープルベアニーに照準を合わせた。下がり始めたクレーンがそのぬいぐるみを醜く押しつぶすと、その上に乗っていたイエローベアニーがバランスを崩し、ぬいぐるみの山がわずかに傾いた。そして二回目の操作で、その山の一角を押し潰すと、一番上になっていた巨大なパープルベアニーがなだれ込むように投下口に落下してきた。


 二人の大人が目を丸くした。

「ちょ、え?」

「プロか?」


 忠志は呆然とするサングラスの男にパープルベアニーを手渡した。


「友達が危ないんです。た、助けてください。それと……ゴメンなさい」


 正面から見た男は完全にそのスジの人間にしか見えなかった。忠志は自分がしたことを後悔し、今さらながら身体が震えだした。


 しかし、サングラスの男――堀江は突然忠志を力強く抱きしめた。


「ぐっ」

「素晴らしい腕前だっ!感動したぞ少年!よし、君の友人を助けに行こう!どこにいるのだ?」

「あ、あのお菓子ボックスのマシンの近くです」


 よぉしと堀江が巨大なぬいぐるみを抱いたまま人混みに消えて行った。

 慌てて小柄な男も後を追う。


「冗談じゃない。何されるかわからん」

「そ、そんなに怖い人なんですか?」

「逆だ。あの人は風貌こそあんなだけど、心優しいマイホームパパだ。チンピラにやられて怪我でもされたら、今後の俺の仕事に響くだろうが」


 忠志も敬太が気になった。

 もう、やられてしまったんじゃないだろうか。


 その時、人混みの中から、


「あぁっ?聞こえねえよ!もういっぺん言ってみろ!」


 という怒声が聞こえた。


 そして、その輪の中にはスマートホンを右手に、ぬいぐるみを左手に抱える堀江と、おびえる敬太とチンピラグループが立っていた。


 堀江が再び電話口に向かって声を張り上げた。


「何?例の件がどうした。は?全員死んでるって?ウリがそう言ってるだと?何だよ、この前と話が全然違うじゃねか!ああ?だったら、生き残ってるヤツらを動かすしかねえだろ!二億が動くんだぜ?何とかして月内にものにしろよ!」


 ピッと音をさせて堀江はスマートホンを切った。

 そして忠志を振り返った。


「友達ってのは誰だい?」

「あ、い。え、そこの彼です」


 忠志が指差すと、堀江はチンピラの中から敬太を引っ張り出した。

「ひいっ」

 友人が怯えた声を発した。


「よし、救出したぜ」


 堀江はそう言うと、敬太を忠志の隣に立たせた。そしてチンピラ達に目を向けたとたんに、集団は一斉にフロアに散って行った。


「ん?もういいのかな」

「堀江さん。完全に誤解されましたね」


 横で小柄な男が座り込みながら腹を抱えて笑っていた。


「フジちゃん笑わないでよ。いきなり電話が来てさあ、土地を二億で仕入れる予定だったのに、その名義人が全員死んでるらしいんだよ。そうしたら売買の前に相続の手続きでしょう?月内までに契約と登記したいのに、間に合うかなあ」

「そりゃ大変ッスね。というか、早くここから離れましょう。本業の人だと誤解されます」


 二人のやり取りの傍ら、押し黙っていた敬太は、堀江をそっと指差して忠志に小さな声で尋ねた。


「お、おい。何なんだよ、この怖い人」


 説明をしようとしたところで、小柄な男がフロアの先に何か見つけた。


「ふむ、ヤバいかもな。堀江さん、やっぱり目立ち過ぎたみたいです」


 騒ぎを聞いて店員と警官の姿が人混みの向こうから近づいてくるのがチラチラ見えた。この前の警官とは違うようだが、二度も三度も同じ目に遭うのは、何としても避けたかった。


「ティラノさん!ヤバいですよ!」

「そう言ってるだろうが」

「早く裏から出ましょうっ」

「お、ちょっと待ってくれよぉ」


 忠志たちは慌しく裏の入り口に向かった。堀江の姿に人混みが勝手によけてくれる。店を飛び出し、暗い細い路地を無我夢中で走った。


 その途中で堀江が脱落した。肩で苦しそうに息をしている。


「ち、ちょっと待ってよ。何で逃げる必要あるの?おれは人助けしたのよ」


 忠志は堀江に頭を下げた。


「あの、本当ありがとうございます!すみませんでした」

「おお、少年。気にするな!謝礼ももらったわけだし」


 すると、小柄で秀麗な顔の男が、眠そうな目で忠志と敬太を睨みつけた。やはり肩で息をしている。


「お前らな。温厚な俺でもさすがに怒るぞ」

「まあまあ、フジちゃん。ここはおれに免じて許してやってよ。ささ、君達は早く帰りなさい」


 それを聞いて、忠志も敬太も黙りこんだ。すると、のどかな鳥のさえずりが堀江の胸元から聞こえてきた。

 堀江はメールを確認すると、怒りの形相でどこかに電話をした。


「延期だとぉ!ざけんな!テメー真面目に仕事してんのかよっ」


 相手によって口調が変わるらしい。しばらく相手と話していた堀江は、スマートホンを少し離すと小柄な男に向かって言った。


「フジちゃん、ちょっと会社戻るわ。何か揉めてるみたいだし」

「そうですか。結局大変なことになってるんですね」

「その子たちのこと、頼むね」


 堀江は忠志と敬太にウインクをした(が、不器用らしく、ウインクというより睨みをきかせただけで、とても怖かった)。


 頭が痛そうな顔をして、小柄な男が言った。


「まったく。お前ら家はどこだ。タクシー代出してやるから帰れ」

「ティラノさん、オレたち今日は帰れないんです」


 敬太は男にしがみついた。忠志も懇願した。


「ネットカフェに泊まる予定だったんですけど、あのエリアに戻ったらまた警察のお世話になっちゃいますよ」

「願ったり叶ったりだよ」


 小柄な男は冷たく言い放った。

 すると、堀江が間に割って入った。


「フジちゃん。おれは少年たちの心が痛いほどわかるぜ。親や学校に反発したくなる年頃なんだよ。おれもそうやって迷惑かけながら生きてきたしな。本当ならおれが助けてやりたいくらいだ」


 なあ、と堀江は忠志と敬太を振り返った。

 その時、


「むむっ。新手の追っ手か」


 堀江が駆け出した。

 忠志も暗がりから人が近づいてくる気配を感じた。再び四人は全速力でその場を離れ、大通りに向かう。堀江は走りながら苦しそうに叫んだ。


「フジちゃん頼むよ!今度の、タワーマンションの案件、少し、回すからさ!」

「えっ!それ本当ですか?」


 小柄な男が初めて嬉々とした声を出した。


 交差点まで来ると、堀江は右側の路地に向かった。


「し、少年たちよ、ここでお別れだ。あとはイケメン藤石先生の言うことを聞くのだぞ」

「え?」

「先生?」


 忠志と敬太が小柄な男を見つめると、男は片手を上げタクシーを止めていた。


 そして二人に向かって言った。


「特別だ。俺んちに泊めてやる」

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