20

「何か問題でも起きましたか?」


その夕刻、待ち構えていたソラテシラにビルセゼルトはまずそう言った。ソラテシラの怒りをあおったのは間違いない。


「ジョゼシラの体調が思わしくないと、城から使いが来たので帰城し、付き添っておりました。どこに問題が?」


に落ちないが、明らかになっている事柄と合致する。ソラテシラは、まずはビルセゼルトの話を聞くことにした。


魔女の居室から出てきたビルセゼルトは、燃えるような赤い髪がますます力を蓄え、さらに熱を帯びたように見えた。瞳が放つ鋭い光には重さが加わっている。少し面窶おもやつれしているようだが、また力が増した、と居並ぶ者たちに思わせた。


ビルセゼルトに詰め寄るソラテシラ、かたわらにはダガンネジブ、そして居室前に集まっていた者たちが少し離れて取り巻き、ビルセゼルトとソラテシラを見守っている。


「ギルドにも、ジョゼシラの体調不良の件とあわせ、向こう5日間、南の魔女の城にて過ごすと連絡済みの事、どこかに行き違いがあったのではないでしょうか」


これにはネクルドロアが顔色を変える。それが真実だとしたら、自分がここにいるのは間抜けな話になる。サッとその場を離れ、火のルートに向かった。ギルドの事務方に確認するためだ。


「ジョゼシラは・・・先ほど復調のきざしが見えたところ。明日には通常に戻りましょう。ご心配なく」


言葉を選んだビルセゼルトにソラテシラが、やっと反撃のチャンスが来たとばかりに詰め寄る。


「ジョゼシラの体調不良とは、具体的にどのようなものか?」

「・・・申し上げられません」

「ほう・・・なぜ言えない?」

ソラテシラの瞳が意地悪くビルセゼルトを見る。それをビルセゼルトがにらみ返す。


「言いたくないから申し上げられないと答えました」

ビルセゼルトの言葉に、周囲に動揺が走った。ソラテシラの質問に返答を拒ばむとは・・・


統括魔女を降りたとはいえ、ソラテシラの力の強さはまだ衰えを知らない。魔女、魔導士からの尊敬が消えたわけでもない。そのソラテシラにギルド長が逆らった――


「体調不良と言う、ごく個人的なことを、なにゆえこのように大勢が集まる場所で口にできるでしょう。妻を守るべき夫が、軽々しく口にできるはずもありません。体制にまで影響するような重篤じゅうとくな症状ならいざ知らず、数日で回復する程度なら、わざわざおおやけにすることもありますまい」


もっともなビルセゼルトの言い分に、ソラテシラは鼻白み、周囲はホッとし、ダガンネジブは苦笑する。


と、ここにネクルドロアが戻り、ギルドで確認してきたことを告げる。

「南ギルドの管理部に確認したところ、パラネルラム様が『確かにそう承知している』と仰っているとのことです」

パラネルラムは管理部の責任者だ。

「という事で、私はギルドに戻ります。出る幕はなかったようだ」


ビルセゼルトめ、いつの間にパラネルラムを抱きこんだ? そう思ったが、それをここで口にするネクルドロアではない。言ったところで自分に利はない。


ビルセゼルトとソラテシラの言い合いを見ていたい気もするが、二人が喧嘩けんかになった時、居合わせればトバッチリを受けるかもしれない。


ダガンネジブもいるのだから、ひょっとしたらビルセゼルトが負けるところを見る事ができるかもしれないが、そうなった場合、なぜビルセゼルトを守らなかったと責められる可能性もある。


ネクルドロアはギルドの警護魔導士、ギルド長ビルセゼルトを警護するのも勤めのうちだ。


「では、人払いを。わたくしはジョゼシラの母、ジョゼシラが不調なら、それを知る権利があるはずです」

ソラテシラが、なおもビルセゼルトを責める声を後ろに聞いて、ネクルドロアは姿を消した。


「では、人払いを――いや、魔女の居室にてお話ししましょう」


ソラテシラにそう答えながら、ビルセゼルトは内心穏やかではない。ソラテシラ、ダガンネジブを相手に、誤魔化ごまかせる自信がない。ジョゼシラの声をダガンネジブに聞かせたのは、今となっては失策だった。


すでに二人はなにをか知っている。


舅姑きゅうこを入室させる前にビルセゼルトは魔導術で一瞬にして室内を整え、この4日間の痕跡こんせきを消した。さらに記憶の巻き戻しが無効になるよう部屋に施術している。


全て無言無動作で一瞬の事だが、術の発動に二人の客人は気づくはずだ。ビルセゼルトと言えど、そこまで二人を防ぎきれない。そんなリスクがあったとしても、この部屋と、奥の寝室で繰り広げられた閨事ねやごとを見られたくない。


城は持ち主である南の魔女の意向に逆らう事はないし、不利になる術は無効にする。城はビルセゼルトの記憶の巻き戻しを無効にする術を受け入れている、城の意思もまたビルセゼルトと同じという事だ。


どんなにソラテシラとダガンネジブが強力な魔導術を使ってもこの部屋で起こったことが巻き戻され、のぞき見られることはない。それが少しビルセゼルトを落ち着かせてくれた


そもそもビルセゼルト自身、どうしてこうなったか判らない。いや、判らなかった。


事が起き、そして終わった今、ある程度の予測はできる。だが、それは結論ではない。裏付けの必要を感じていた。そして裏付けの目星めぼしもついている。


あの日、この部屋に足を踏み入れた途端、異変が起きていると感じた。


(これはなんだ? ジョゼシラの術ではない。城の意思でもない・・・)


居室にジョゼシラの姿はなかった。そしてビルセゼルトの足は吸い込まれるように寝室へと向かっていた。自分の意思で歩いているわけじゃない、と感じた。だが止められない。


寝室ではジョゼシラが寝台に横たわり、入ってきたビルセゼルトを見ていた。ジョゼシラはこの異変に飲み込まれている。そしてビルセゼルトも飲み込まれていた。


異変はビルセゼルトをジョゼシラへと向かわせ、その手をジョゼシラに触れさせた。


ジョゼシラが目を閉じ、ビルセゼルトはジョゼシラの唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねていった ――


何度も押し寄せるあらがいきれない欲望、まるで磁石のS極とN極のように密着したまま離せない身体。


意識は快楽を得るためにだけ働き、休むことがなかった。血のたぎりが頂点を迎え、弾けた後の一瞬、ビルセゼルトは意識を取り戻したが、異変はジョゼシラを離さない。


ビルセゼルトの届かない呼びかけはジョゼシラによってなかったものにされ、再度ビルセゼルトを異変にいざなった。声は相手を呼ぶ声と密かな鳴喘あえぎだけになる。


離れることなく求めあい導きあい、愛しあった。身体だけでなく、確かに心も満たされるのに、心身ともにすぐにまた愛を欲した。


まじわりの中、眠る事もなく2日を過ごした。そして2日目の夜半、ようやく異変がジョゼシラに休むことを許したとビルセゼルトは感じている。ジョゼシラの目がビルセゼルトに問いかけるのを感じたのだ。


「何か食べて、何か飲もう」

ビルセゼルトの声にジョゼシラがうなずく。


それでもぬくもりを求め身体が離れる事がない。ビルセゼルトがジョゼシラを抱く手を離すこともない。


魔導術を使いビルセゼルトは、そのままの体勢で居室のソファーに移り、テーブルに厨房ちゅうぼうから適当に食べ物と飲み物を移動させた。


異変が目的を果たすのも間近だと感じていた。そのためにジョゼシラの体力を回復させる必要がある。食事する余裕を異変が与えたのはそのためだとビルセゼルトは推測した。


ジョゼシラはれ始めている、そう感じていた。ビルセゼルトを包み込むジョゼシラは、いつになく熱を帯び、厚みを増し、深い奥へと引き込んでくる。


結ばれたままたがいの口に食物を運び、杯を運んだ。咀嚼そしゃくして嚥下えんげすれば、またその口に自分の口か、食物か飲み物を運んだ。


そして飲食するものがなくなれば、再び相手を味わう事に没頭していった。


異変が目的を果たしたとビルセゼルトが感じたのは4日目の事だった。身体が溶けてしまいそうな快楽とともにジョゼシラの胎内たいないに自分が取り込まれていくのを感じた。そして思った。これが異変の目的なのだと。


ジョゼシラは痙攣けいれんするようにビルセゼルトを飲み込み、異変の手助けをしたように見えた。そしてその衝撃で気を失い、それを見届けたビルセゼルトも、深い倦怠けんたいを覚え、睡魔に身をゆだねた。


ビルセゼルトが目を覚ました時、ジョゼシラはまだ眠っていた。その顔を見詰め、ほほで、やはり愛しているとビルセゼルトはしみじみと感じている。


立て続けに際限さいげんなく欲望を満たしたのに、愛しさが込み上げてくる。


頬を撫でるビルセゼルトの手に気が付いたジョゼシラがボンヤリとビルセゼルトを見る。

「・・・ビリー」

そして腕をビルセゼルトの背中に回す。


「ビリー・・・大好き。あなたを愛してる」


重ねられた唇にビルセゼルトが応える。異変の気配は既に消え失せている。


今度こそ二人は、互いの意思で愛を確かめあった。それは快楽を伴いながら、求めるものは別の物だった。心に沁み込んでいく心地よい命の息吹・・・


ダガンネジブの呼びかけにビルセゼルトが気が付いたのは、その最中さいちゅうだった。


ジョゼシラへの愛より優先できるものなどない。それであの対応になった。そして、そのジョゼシラは今、再び眠りについている。ゆっくり眠らせてやりたい。


―― さて、どうこの二人を言いくるめるか。


舅姑きゅうこに紅茶をすすめながら、ビルセゼルトはうまい言い訳はないものか、頭を巡らせていた。

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