19

前の東の魔女であり、前南の魔女でもあるソラテシラがその夫、妖幻の魔導士ダガンネジブを伴い、南の魔女の居城に来たのは、その翌日の正午近くの事だった。


折悪く本拠から離れ、ソラテシラ、ダガンネジブ双方の所領の視察に夫婦そろって出かけており、居所を探し出すのに手間取っていた。


おおよその話を聞いていたソラテシラは、到着時にはすでに激怒しており、それを隠すこともなかった。怒気を帯びた光を全身から発している。


「統括魔女が理由を明らかにせず、任務を放棄するとは言語道断」


その声も恐ろしく、聞く者を震え上がらせる。耳にこびり付き、消そうとしても簡単に消えなかった。


それでも冷静な部分を残していたようで、周囲の者を叱りつけたところでらちが明かないと、魔女の居室前に進み出る。


≪魔女ソラテシラが命じる。扉よ、開け≫


無言無動作を常とするソラテシラだ。それが声を発し、名を明らかにしたうえで、てのひらかざし唱えれば、生じた神秘力の大きさは周囲にもひしひしと伝わっている。


だが、扉はびくとも動かない。思わずソラテシラは、チッと舌打ちした。


「ここは南の魔女の居城。城はもとより南の魔女の命にしか耳を傾けない。さて、どうしたものか・・・」


考え込むソラテシラに、成り行きを見守っていたネクルドロアが遠慮がちに言う。


「もし扉が開いても、更に結界が張り巡らされ・・・」

「黙れ!」

言葉の途中でソラテシラが怒鳴りつける。


「南の魔女だけでなく、偉大な魔導士が一緒なのだ。その程度の備えをしないはずもない。判っている!」


ここで、ダガンネジブがこっそり笑った。ラテのヤツ、とうとうビルセゼルトを『偉大な魔導士』と認めた。誰が言いだしたか知らないが、いつからかビルセゼルトは『偉大な』と呼ばれるようになっている。そんな贈り名など、あの若造には早すぎる、ソラテシラはよくそう言ったものだ。


「あのビリーなら大丈夫とは思うけど、いつ慢心まんしんが彼を捕らえるか・・・それに、人のねたみは怖いものです」


ソラテシラがビルセゼルトを『若造』と呼ぶのは彼の実力を認めないのではなく、認めた上で心配しての言葉だと、知っているのはダガンネジブだけだろう。本心を隠さず話す相手は夫のみのソラテシラだ。


辛辣しんらつなソラテシラに、ビルセゼルトは『義母上には頭が上がる事がありません』といつも苦笑いしていた。


何事にものないビルセゼルトの事だ、魔女魔導士が嘘を吐けない存在だとしても、社交辞令なら言える。社交辞令だろう、と探りを入れれば本心を知る事もできるが、えてしなかった。心配しながらも、ソラテシラはビルセゼルトを信用しているのだとダガンネジブは見ていた。


が、ここで、この不祥事ふしょうじだ。ジョゼシラはともかく、ジョゼシラをぎょせる夫と見込んだビルセゼルトが簡単に巻き込まれている。


ソラテシラの怒りは、ジョゼシラよりもビルセゼルトに向いているとダガンネジブは感じていた。首謀者はどう見ても娘のジョゼシラなのに、だ。


「あなた! そんなところで何をニヤニヤしているのです?」


急にソラテシラの矛先ほこさきが自分に向き、ダガンネジブはこころうちでさらに笑う。来やがった、ラテのヤツ、自分じゃどうにもならないらしい。


「こちらに来て、少しは知恵を絞りなさい」

「判った、判った。そう怒鳴るな。美貌が台無しだぞ」


ダガンネジブが穏やかにそう言って微笑めば、ソラテシラも言葉に詰まる。


ソラテシラに恋焦がれたダガンネジブの情熱に負けて一緒になったソラテシラだが、婚姻の誓いのあとは、むしろソラテシラが8歳も年下のダガンネジブに夢中になった。それが今でも続いている。


「で? 何かいい案はあるか?」


一瞬、ダガンネジブに見惚れたことなどなかったことにして、ソラテシラが尊大な態度を見せる。


「そうさなぁ・・・」


ソラテシラを焦らすようにそう言うと、ダガンネジブは周囲を見渡した。そろそろソラテシラが再び怒鳴り始めるかというとき、ダガンネジブが言った。

「給仕係をここへ・・・」


ダガンネジブは給仕係からいくつか聞き出すと、ソラテシラに言った。


「ビルセゼルトが部屋にこもってからは、二人分の食事と、何本かのワインが消えているそうだ。食事する冷静さを失っていないってことだ」

「・・・それがなんだと? ジョゼシラは5日目、ビルセゼルトは4日目。空腹にもなる事でしょうよ。それにしてもワイン? あの男、何を考えているの?」

「まぁ、そう怒りなさんな」


さらに言い募りそうなソラテシラを手でなだめ、ダガンネジブが黙り込む。黒い瞳が光りを放ったのは、何か術を使ったからだ。が、それもわずかな時間で、すぐにダガンネジブは術を解いた。その直後・・・


「あ・・・」

と、ソラテシラが声を漏らす。


ズンッと空気が重くなり、陣地の保護術が更新された気配がする。そしてすぐさま強化された。


「ジョゼシラが応答したのですか?」

「いや、アイツにはそんな余裕もなさそうだ。ビリーを捕まえた。あの野郎!」


珍しくダガンネジブが声を荒げる。抑えていたものが徐々に頭をもたげたようで、最後は怒鳴り声になり、同時に雷鳴がとどろいて、周囲を震えさせる。いかずちを伴わなかったのは、ダガンネジブが辛うじて自分を抑えたからだろう。


「ダグ・・・何があったというのです?」

青ざめたソラテシラがダガンネジブの腕にすがる。

「うるさい! 俺はもう帰る。居たければおまえは残れ」

「ダグ!」


姿を消させるものかとソラテシラがダガンネジブの腕に回した手に力をめる。ダガンネジブが顔をしかめた。


「馬鹿力め・・・判った、話すから腕を離せ」

おろおろと見守っている魔女魔導士たちを見渡しながら、ダガンネジブがソラテシラの肩を抱く。そしてゆっくりと歩き、周囲と距離を置く。


「ジョゼは全く反応しなかった。だからビルセゼルトに送言したら、『義父ちち上を無視するわけにはいきませんね』と、アイツ、返言してきやがった」

小さな声でダガンネジブが話し始める。


「いいから早く出てこい、と言ったらアイツ、今は手が離せません、と答えた」


何をしているのだと聞いても、話せるようなことではない、と言う。陣地の結界がほころんだらどうする、と問えば、忘れていた、今すぐに、と答えた。


今すぐ施術できるなら、部屋から出る事もできるだろう、とたたみかけたら、術ならこの場でも掛けられる、とシレッと言うだけだ。


せめて何をしているかを明かせと、俺は言った。


「すると、しつこいおかただ、と言った後、アイツ、別の音を俺に聞かせた」

「別の音?」

「うぬぅ・・・」


再び怒りをたぎらせそうなダガンネジブをソラテシラが宥める。

「あなた・・・他の者たちに知られたくない話なのでしょう? 怒鳴ってはいけません」

「・・・そうだな。おまえも怒鳴るなよ。ビルセゼルトが俺に聞かせたのは、ジョゼシラのあえぎ声だ」


「ど・・・どういう事? ビルセゼルトはジョゼシラに何かしているという事? あの男は九日間戦争の時も、ジョゼをなぐる事で夫婦喧嘩を収めた。まさか?」

「いや・・・」

ダガンネジブがまたも口籠くちごもる。


「あれは、毎晩おまえが俺に聞かせる、あの声と同じだ」

これ以上もないかと言うほど、顔を顰めてダガンネジブが言い捨てる。


「ビリーのヤツ、俺に、俺の娘の・・・思わず、送伝術を絶ち切っちまった。ビリーの思惑通りだ・・・ん? ラテ、どうした?」

呆然とするソラテシアにダガンネジブが問う。


「いいえ・・・それではこの4日間、二人はその、ずっと、むつみあっていたと? おのれの役目も果たさずに?」

「ん、まぁ、多分・・・そう言う事だな」


ソラテシラに話したのは失敗だったかと、ダガンネジブが警戒する。ただでさえ、ソラテシラは激怒していたのだ。その火に油をそそいだのではないか?


ダガンネジブの心配は杞憂きゆうに終わる。やがて夫を見たソラテシラが、

「やはりビルセゼルトで間違いなかった、ということですね」

と静かに言った。


そして、

「確かに、大きな声で話せるようなことじゃないわね。手を離せないのも無理はないわね」

と、苦笑し、続けた。


「陣地の保護術は既に更新され、ビルセゼルトが上乗せした強化術も完璧以上。あの二人なら、すぐに遅延した仕事もこなすことでしょう・・・ダグ、あなたは随分面白くなかったようだけど、怒る事ではないわ。あなたの娘のジョゼシラは、幸せを全身で表現あらわしているのだから・・・」

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