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リリミゾハギが無事に男児を出産したと聞いて、ジョゼシラはホッと胸を撫で下ろした。これでビルセゼルトの心配事がまた一つ減った。
春の訪れとともに街人を苦しめていた疫病も徐々に影を潜め、隔離されていた患者たち全てが、そろそろ家族のもとに戻り、生還と再会を喜び合っている頃だろう。
北の魔導士ギルドの長ホヴァセンシルから書簡が届いたのは冬の初めだった。
―― 貴国にて
今般、思いもよらぬことより、貴国疫病禍の原因を着き止め、消失するに至らしめた。これより先、当該疫病が再発することはないと断言する。
今回の疫病禍は、遺憾ながら当ギルド所属魔女の
貴国にとって許しがたき事、罪人の引き渡し及び処罰を望まれると承知するところであるが、これにてご
ご存知の通り、当ギルドは立ち上がって間もなく、体制
しかしながら当ギルドの責任は免れるものではなく、補償の義務を痛感するものである。別紙目録にて補償内容を通知するとともに、ご不満があれば協議させていただきたい
当ギルドの不祥事にて、貴国に多大なる損害を与えたる事、陳謝してもしきれるものに
末筆にて心苦しいものの、罹患者及び関係者の皆様がたに心よりの謝罪とお見舞い、また、犠牲者及び関係者の皆様がたに深厚なる謝意と弔意を申し上げる ――
補償内容は充分すぎるものだった。ビルセゼルトは北ギルドを追及するのは得策ではないと、ホヴァセンシルの申し出を受諾すると決めた。
南ギルドの中には、さらなる追求と当事者の引き渡しを求めるべきと声高に唱える者もあったが、ビルセゼルトはそれを許さなかった。
「北ギルドは責任を認めている。当該魔女を制裁したとも言っている。そして充分すぎるほどの補償を提示しているのだ」
疫病が
補償額は北ギルドの経済力で支払える額を超えていると、ビルセゼルトは目算している。ギルド長ホヴァセンシルや北の魔女ジャグジニアが私財を融通したのだろう。元凶の魔女からも取り立てているかもしれない。
元凶の魔女・・・それが誰なのか、北ギルドは明らかにしなかったが、諜報によると西の統括魔女ドウカルネスがホヴァセンシルに呼び出されていることが判っていて、ビルセゼルトはドウカルネスだろうと推測していた。
北の魔女の居城で、何が起こったか、そこまでの情報はつかめなかったが、他に動きがなかったことを考えると、そう考えるのが妥当だった。
ドウカルネスは九日間戦争の前哨戦で、死者を出すなというホヴァセンシルの指示を無視し、犠牲者を出している。しかもその中には、事故とはなっているものの、ホヴァセンシルの叔祖母で前東の魔女デリアカルネとジャグジニアの両親も含まれる。そんな魔女なのだ、やりかねないと、ビルセゼルトは思っていた。
とにかく疫病禍についてはひと段落していた。北からの補償を受け取り、分配を済ませ、街に活気が戻り始める。そしてその頃からリリミゾハギの体調が思わしくなくなった。
溜まりに溜まった疲れが表に出てきたのだと癒術魔導士には言われたらしい。懐妊していたものの、ノンスアルティムの屋敷に移ってからも治癒薬の開発を続けていたリリミゾハギだった。
新たに癒術魔導士を雇い入れた、心配ない、と事も無げにビルセゼルトは言っていたが、それがいつもの強がりだとジョゼシラには判っていた。
きっと心は不安で震えている、それを少しでも見せてくれたなら、どうとでも励ますのに・・・かと言って、不安なのでしょう、などと、とても言えない。そんな事をすればあの人のプライドを傷つける。
なぜ私に甘えない? 私にさえ安心して本心を語れない? ジョゼシラの思いはこの時もビルセゼルトに届いていない。
「リリミゾハギが俺の子を
リリミゾハギの存在をジョゼシラに伝えたあの日、そう言ってビルセゼルトはジョゼシラから目を背けた。
「ノンスアルティムの別荘に迎えようと思う。生まれた子を後継と定めたい」
「そう・・・」
予想だにしていなかったビルセゼルトの申し出に、どれほどジョゼシラの心が乱れたことか。
リリミゾハギ・・・いつかビルセゼルトが言っていた魔女。薬草学者で疫病の特効薬の開発者、アウトレネルがビルセゼルトに気があると言った女。
あの時、ビルセゼルトは『そんなことがあるはずがない』と腹を立てた。それなのに、いつの間に?
聞きたいことは山ほどあった。けれど、一つでも問えば自分が取り乱さずにいられるとは思えなかった。それに、本心から知りたいのはたった一つだ、とも思った。その
押し黙ってしまったジョゼシラをビルセゼルトがチラリと見る。そのビルセゼルトを見てジョゼシラが思う。情けない男・・・
私の承諾を得られないのではないかと怖れている。後ろめたいのだ、私以外の女に愛を与えたことが。
そんな事、今さらだ。責めれば、女と情を交わす前に戻れるのか?
あぁ、だけど・・・こんな情けない男でも、私はあなたを愛している。あなたの傍を離れずに、あなたを支えて生きていきたい。それに私は、あなたが子を欲しがっていることを知っている。
「それで、出産はいつ頃?」
落ち着いたジョゼシラの声に、恐る恐るビルセゼルトがジョゼシラを見る。今度はジョゼシラが目を背けた。
「春の終わりごろと聞いている」
「ノンスアルティムもその頃には暖かくなっている。あそこなら夏も涼しい・・・」
「ジョゼ・・・」
「子ができたなら仕方ない。あなたの好きなようにするといい」
ビルセゼルトの顔を見ずにジョゼシラはそう言った。見たら言えないと思った。これが精一杯だった。これ以上何か言えば、余計なことを口走ってしまうかもしれない。
多くの言葉を
後ろめたいと感じてくれる今は、まだ私への愛が消えたわけではない。ここで
そのジョゼシラをビルセゼルトが抱き締める。抱き締められながら、なにも言って欲しくないとジョゼシラが思う。そして言うべき言葉が見つけられないビルセゼルトは何も言えない。
いや、聞きたい言葉、言いたい言葉は互いにあった。でも今、それを聞いたところで信じられないと思い、言ったとところで信じて貰えないと思っていた。たとえ魔女、魔導士が、嘘を口にできないと判っていても。
―― 愛しているのはおまえだけだ・・・
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