15

疲れた顔で帰ってくるのはいつもと同じだが、今日はそれに不機嫌が加わっている。


北の魔女の居城、魔女の居室に戻ってきた夫の顔を見て、北の魔女ジャグジニアは思った。


どんなに疲れていようと、面白くないことがあろうと、不機嫌を顔に出すことのない夫にしては珍しい事だ。


何かあったのかと問いたい気持ちを抑え、触らない方がいい、ジャグジニアがそう思っていたのに、不機嫌の原因をホヴァセンシルは自分から口にした。


「ビルセゼルトが第二夫人を持ったそうだ」

グラスのビールを飲み干して、ホヴァセンシルがつぶやいた。


「その女はすでに妊娠しているのだと」

「・・・ジョゼシラがよく許しましたね」


ジャグジニアの言葉にホヴァセンシルはフンと鼻を鳴らす。


「ビリーは生まれた子の性別にかかわらず、後継に指名するそうだ」

「ホビス、それがそんなに腹立たしいのはなぜ?」


空いたグラスにビールを注ぎ足しながらジャグジニアが恐る恐る問う。もしや、自分も同じように子を産んでくれる女が欲しいと言い出さないか、ジャグジニアの心が震える。


「あのビリーが、だ。そしてあのジョゼが、だ。ビリーはジョゼと婚約してからずっと、ジョゼの焼きもちに手を焼いていた。それなのに第二夫人? ジョゼ以外と子をもうける? 俺には信じられない」


そうだろうか、とジャグジニアは思う。『ずっとあなたが好きだった。あなたに憧れ続けていた』そう私に言っておきながら、ひと月もしないうちに別の女、ジョゼシラと婚約したビルセゼルトだ。


あの時はギルドに強要されてだった。ならば今回も、何か政治的思惑があるのかもしれない。それくらいの事、あのビルセゼルトならやってのけそうだ。


だが、ホヴァセンシルにそれを言うわけにはいかない。夫は私とビルセゼルトの間に、そんなことがあったなんて知らないはずだ。


「ひょっとしたら・・・ジョゼは子どもが産めない、とか?」


だからそう言ってみた。ジョゼシラからそんな話を聞いた事はないが、可能性がないわけではないはずだ。


「もし、そうだとしても、だ」


二杯目のビールに手を伸ばしながら、ホヴァセンシルはますます顔をしかめる。


「なぜ相手を選ばない。ビリーの子なら王家の直系となる。後継となれば、将来多くの特権を得る。広く知られているわけじゃないが、ビリーがそれを承知していないはずはない」


「やはり王家の次の当主はビリーなのですか?」

「・・・サリオネルトは死んだ。直系を名乗れるのはビリーしか残っていない。そして実質、すでに領主だ。領主の務めを果たせなくなった父親の仕事を代行している」


「サリオネルトの息子は?」

ホヴァセンシルが妻の顔をまじまじと見た。


「ビリーの父親は連れ合いを亡くしてから、かなり弱った。世を去るのも間近だろうと言われている。そうなるとビリーが正式に当主となる。生きているかさえはっきりしないサリオネルトの息子を数に入れる余裕がない」


「・・・それで、ビリーの相手とはどんな魔女なのです? まさか、魔女ですらない、という事ではないのでしょう?」


「あぁ、魔女だ。それだけが救いだな。白金しろがねりょうで一学年下だった魔女だそうだ。ビリーの領地内で薬売りをしていた魔女なんだと」


「白金寮? 薬売り? まさか学生の頃からの仲?」


ホヴァセンシルが苦笑する。


「学生の頃からと言うのはないな。アイツはそんな器用なヤツじゃあなかった。疫病対策で領地に足を運んでいるうち、深い仲になったらしい」

「そう・・・疫病対策に薬売り、関わり合いを持っても仕方なさそうね」


内心ホッとしたことを夫に悟られないよう、ジャグジニアは平静を装う。学生の頃からだとしたら、『ずっと憧れていた』という言葉を信じ、心ときめかせた自分が惨めでならない。あの時感じた苦しさがよみがえってくる。


「それにしても、本当に・・・よくジョゼシラが許したわね」

「ところがジョゼがどんな反応をしたかの情報がさっぱりだ。東の魔女でジョゼシラの母親ソラテシアが激怒して、それをなだめた夫ダガンネジブと大喧嘩になった、って話はあった」


「男は男の味方をした、ってこと?」

「ダガンネジブは噂通り、ソラテシラ一本鎗いっぽんやりだそうだ。男の立場でビリーを擁護ようごしたとは考えられない。感情を取ればソラテシラと同じだが、政治的配慮を取ったと考えた方がしっくりくる」


話をするうち落ち着いたのか、ホヴァセンシルが食事を始める。牛フィレ肉のソテーを切り分けて口に運び始めた。


「・・・そうさな、ジョゼが子どもを産めないのだとしたら、それが確定しているのなら、ビリーが他に女を作っても、ジョゼも何も言えないかもしれないな」


「・・・」


言葉が途切れたジャグジニアをホヴァセンシルが見る。


「どうした? 顔色が悪いぞ」

「あなたも・・・」


ジャグジニアの声が震える。

「このまま私に子ができなかったら、あなたもよその女に産ませる?」


「!」

ホヴァセンシルが一瞬キョトンとしてフォークを皿に置く。そしてすぐに笑いだす。


「ないない、ありえない。そんな事を心配していたのか? なんか歯切れが悪いと思ったら・・・俺はおまえがいればそれでいい。そりゃあ、子どもが出来れば嬉しいけれど、いなきゃダメだってもんでもない。


それに幸いなことに、俺には弟のクリア――クリエンシルがいた。アイツが俺の代わりに王族たる我が家を継承してくれた」


「お義母さまはご不満だったようですけどね」


「まぁ、そう言うな。お袋は親父が生きている頃から、いや、ずっと昔からだな、ちょっと性格がひねくれていたんだ。


親父と一緒になんかなりたくなかった、と口では言っていたけれど、本当は親父に惚れて一緒になった。クリアを当主にすると決めた時、きっとホッとしたと思うよ」


「ホッとした? なぜ?」

「クリアは魔導士としては俺の足元にも及ばない。魔導士として今以上は望めないだろう。だが、領主となれば身分は保証される。お袋は、クリアの行く末に安堵しただろう」


「クリアだって精進を重ねているわ。高位魔導士になったじゃない」

「そうだね、努力を怠らないのはあいつのいいところだ。だが、高位魔導士どまりだ。最高位には辿り着けない」


「最高位でなくてはだめ?」


「ダメじゃないさ。だが、クリアの子どもたちを考えると、これで良かったと思うよ。親が領主でもない魔導士となると魔導士界でも立場が弱くなることは判っているだろう? 俺の子なら、最高位魔導士の子という事で多少は優遇される。おまえの子なら、統括魔女の子という事でもっと優遇される。あとは本人次第となる」


「そうね、だからビルセゼルトはいつも優遇されるのだわ。魔導士学校の卒業前から次のギルド長に指名された」


なんでまた話をビルセゼルトに戻してしまったのだろう。ジャグジニアは自分でも不思議だったが、口を突いて出てしまった言葉は取り返せない。この人が相手では時間の巻き戻しを使ったところで、有効に作用するはずがない。見破られるのがオチだ。


「ま、ビリーが王家の直系だってのもあっただろうけど、何しろアイツは魔導士として突出してた。次期ギルド長に指名されたのも、それが最大の理由だろうね」


ところで、とホヴァセンシルが話を変えて、ジャグジニアをホッとさせたのも束の間、さらにジャグジニアは冷や汗をかくことになる。


「南の陣地の疫病はまだ収束しないらしいね。病状を食い止めるのには成功して、死に至ることもなくなったらしいけど、完治には至らず、感染したら日常生活はおくれないままだとか」

「そんな状態なのに、女に手を出す余裕はあったってことね」


「うーーん、そんな状態だから、かも知れないぞ。ビリーの相手は薬売りだと言ったが、薬草の研究者でもある。で、感染者の皮膚に処方している軟膏の開発者らしい。だから親しくなったのだろうね」


なるほど、とジャグジニアは思った。ビルセゼルトが女に近づいたのは、女に開発を進めさせるためだったのだと。


ギルドがビルセゼルトにジョゼシラとの結婚を強要してくれて、私は助かった、とジャグジニアは思う。そうでなければ、ジョゼシラの立場に私がなっていたかもしれない。この誠実な、私を誰よりも大事にしてくれ、愛してくれる夫と結ばれることもなかったかもしれない。


だが、そんな事はどうでもいい。どんなに私を愛してくれる夫でも、あの事を知ればきっと激怒する。街の魔導士の父を持ち、自らも街の魔導士として街人を守ってきたこの人が、敵対する南の陣地内とは言え、街人を苦しめる疫病をばら撒くなど許すはずがない。


西の魔女ドウカルネスをなんとしてでも説得して、疫病の源を絶たさなければ、それも早急に・・・食事を続ける夫に笑顔を向けながら、ジャグジニアの心は穏やかではなかった。

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