14

妻の父、妖幻の魔導士ダガンネジブの訪問を受け、ビルセゼルトは戸惑っていた。場所は魔導士学校教師棟のビルセゼルトの居室、ビルセゼルトが住処と定めている場所だ。


「これは義父上、ご無沙汰しております」


「うん、おまえが最高位を獲得した祝い以来だな・・・つきといったところか」


ダガンネジブは穏やかだったが、ただの世間話をしに、わざわざここに来るはずもない。


いつもなら魔導術で済ますものを、火をおこし、湯を沸かし、茶をれる。


「で、なんとかという魔女をノンスアルティムの別荘に入れたそうだな」


やはりその話か・・・まぁ、追及されると覚悟はしていた。ビルセゼルトは内心を探られないよう表情を変えず、かと言って太々ふてぶてしいと思われないよう注意を払い、答えた。


「お耳に入りましたか・・・このような時にはご挨拶にうかがうべきでしたか? それともお披露目をするものでしょうか? 何しろ不慣れなもので」


ダガンネジブをまともに見ることができないことを、彼の前にティーカップを置くことで誤魔化した。ティーカップから目を離さずにいた。


フンとダガンネジブが鼻を鳴らす。


「世の中にはそういったことをするヤツもいるが、おまえの気性じゃしないだろうし、しない方がいい・・・ラテの激昂げっこうあおるな。これ以上アイツを怒らせたら、俺だって抑えきれない」


「義母上はお怒りですか・・・」

そうだろうな、と思いつつビルセゼルトは軽くため息をついた。


ビルセゼルトはソラテシラが娘のために選んだ夫だ。そのビルセゼルトが娘以外の女に子を産ませる。ソラテシラにすれば、娘をないがしろにされ、自分の顔に泥を塗られた事になる。


ビルセゼルトの表情をうかがいながらダガンネジブが問う。


「なぜこんなことになった? 俺の知っているおまえは妻以外とねんごろになる男じゃない」


「・・・判りません」

本心だった。自分でも判らなかった。


同道していたアウトレネルが昏倒薬で眠らされ、自分は媚薬を盛られていた。全く予測していなかったリリミゾハギの行動に、ビルセゼルトは困惑するばかりだった。


媚薬は効力無効術でさっさと消し去ったが、リリミゾハギは諦めてくれない。一度だけでいいとすがりつき、泣きうせぶ女をビルセゼルトには突き放すことができなかった。


気が付くとリリミゾハギを抱き締め、『苦しめて済まない』とささやき、唇を重ねていた。妻とは違う女の匂い、妻とは違った柔らかさを持つ身体からだ、妻とはまったく違ういらえ・・・それが情欲に火をつけたのか?


判らない、と答えたきり、何も言わないビルセゼルトをダガンネジブは見詰めた。


「判っていたら、こうはならないか・・・ま、俺が聞きたいのはそんな事じゃない。ジョゼシラはどうしている? それが気になってここに来た。ジョゼに相談なしでの事ではないよな?」


「屋敷に迎えるにあたっては、事前に承諾を得ています」


「フン、女を抱く前には相談してないか。ま、そりゃそうか・・・アイツ、癇癪かんしゃくを起さなかったか?」


ビルセゼルトの妻、南の魔女ジョゼシラは、有り余る力を持つが、その力を怒りにまかせて暴走させることがある。


九日間戦争の際も周囲に多くの魔導士がいるにもかかわらず、西の魔女の城にサリオネルトとその妻を置いて帰って来たとビルセゼルトを責めて癇癪を起している。


周囲を巻き込み、城の内装を破壊し、最後にはビルセゼルトを怒らせた。今でも魔導士界では嘲笑と共に語られることがある。


「それが・・・そうなったのなら仕方ない、と、好きなようにすればいい、とだけ」


ビルセゼルトの苦笑に、安堵ではないものを感じたダガンネジブが皮肉を言う。


「おまえはそれに不満だったようだな」

「・・・不満? なぜ私が不満を?」


「まったく・・・おまえは本当に、腹立たしいほど面白いヤツだ ―― 自分で女を囲うと決めておきながら、ジョゼが反対しなかったのが物足りないんだろう? 猛反対され、それを理由に囲うのをやめるつもりだったか? それとも単に妬いて欲しかったか?」


妬いて欲しかった・・・図星かもしれない ―― だが、実際、ジョゼシラががんとして承諾しなかったら、どうしていただろう?


婚姻の誓いは魔道契約だ。一度契れば片割れが世を去るまで無効化できない。有効な限り、配偶者の意向を考慮しない訳にはいかない。特に社会的なことに関しての拘束力は強い。


ジョゼシラが承諾しなければ、表に出せず、どこかに隠して子を産ませただろう。その時は、我が子でありながら、我が子であることも公には出来ない。当然、グリアランバゼルートに関する権利を子に継承することもできなくなる。


そうしなくて良かったのだから、ジョゼシラの承諾をビルセゼルトは喜んでいいはずだった。


リリミゾハギから子ができたと聞いた時、ビルセゼルトは迂闊うかつにも動揺を顔に出してしまった。


「やはり街の薬売りではビルセゼルト様のお子の母親になどなれない」

あられもなく泣き叫ぶリリミゾハギに、弱めたばかりの結界を再度強化した。


そして

「そうじゃない」

と、慌てて言い訳した。


あれは言い訳だった。なぜリリムなんだ、そんな疑問が確実に胸の内にあった。俺の子を産むのはジョゼだけだと思っていた・・・


馬鹿な思い込みなのは自分でも判っている。子ができるようなことをしているのだ、この結果を呼び寄せたのは自分だ。


「落ち着きなさい・・・」

リリムに掛けた言葉は、自分に向かっての言葉でもあっただろう。


「それで、体調は? 眩暈めまいを起こしたようだが・・・」

「子がたいにいるからで、心配するようなものではありません」


「・・・で、いつごろ生まれる?」

「産んでよろしいのですか?」


ビルセゼルトはリリミゾハギの瞳に輝きを見た。


この女は、子ができて喜んでいるのか? それとも、私の子だから喜んでいるのか? だが、それを聞くのは気が引ける。


「我が子を闇にほうむると? そんな事をさせはしない」

ビルセゼルトの答えに、更にリリミゾハギの顔が明るくなる。


「春の終わりころに。花が咲き誇る美しい季節に生まれてまいります」

「判った。安心して体を大事にするように。おまえが困ることのないよう、手を尽くそう」


その約束をノンスアルティムの別荘にリリミゾハギを住まわすことで実行した。


屋敷に迎え入れ、経済的な保証をし、更に身の回りの世話をさせるため、数人の魔女を雇い入れている。その魔女たちと領地内の街人に、リリミゾハギを『領主の妻』として扱うように命じた。


世の中に、グラリアンバゼルートの次の領主の妻だと知らしめたのだ。街において、ビルセゼルトの妻はリリミゾハギと確定させ、生まれてくる子を継承と認めたのだ。


それらは別荘に住まわせること以外 ―― 所有する屋敷に誰を住まわせようが持ち主の勝手だ。夫婦と言えど、必ずしも財産を共有しているわけではない ―― ジョゼシラの承諾なしにできる事ではなかった。


黙り込んでしまったビルセゼルトをダガンネジブはしばらく眺めていたが、


「どっちにしろだ、おまえがジョゼシラへの愛を失ったわけじゃないことは判った」

と、立ち上がる。


「事細かな経緯など聞いても何の足しにもならん ―― いつだったか、ジョゼシラになにかあったら後を追うか、と俺が訊いたら、おまえはそれには答えず、『命をかけても守る』と言った。その時の気持を、おまえが忘れていないのならばそれでいい」


ダガンネジブをビルセゼルトがゆっくりと見た。

「それを・・・そう義父上が信じる根拠は? ほかに女を作ったのに、なぜ信じると?」


ダガンネジブがニヤリと笑う。


「そうさなぁ・・・ジョゼシラが癇癪かんしゃくを起さなかったから、かな。おまえの愛が失われていないのなら、ジョゼはそれでいいと思ったんじゃないかな? ジョゼはおまえに愛されていると、信じて疑っちゃいないんだろうよ ―― さて、俺は行く。ビルセゼルト、思い悩むなよ」


そのあとダガンネジブは南の魔女の居城に、ジョゼシラを訪ね、しばらく過ごしたのち、東の魔女のもとに帰った。


「どうでしたか?」

帰るなり妻ソラテシラの質問攻めにあっている。


「うーーーん、幾ら親でも夫婦の事が判るもんか。当人にしか判らん。いや、下手すると当人にも判らない」

と豪快に笑い、ソラテシラが呆れる。


「ビルセゼルトのヤツ、俺の目を一向に見ない。覗心術を恐れてじゃない、後ろめたくて会わせられないんだと思った」


「そりゃあ後ろめたいでしょうよ」

当然とばかりソラテシラがむくれる。


「いや、おまえが思っている事と、俺が感じている事は違うと思うぞ」

「違う?」


「おまえは、女を作ったことをビルセゼルトが後ろめたいと思っていると、考えているだろう?」

「では、何が後ろめたいとあなたは言うの?」


「俺は、惚れてもいない女に子を産ませることを後ろめたく思っているのだと、感じた」


「なぜ、それが後ろめたいと? その女に気持ちはないとビリーが言ったのですか?」


「うーーん、勘、かな」

と、またもダガンネジブが笑う。


さらに呆れるソラテシラに

「だがな、その勘は当たっているぞ。帰りにジョゼにも会ってきた」


「ジョゼシラの様子は?」

「俺の前だからか、いつもと変わらなかったな。女を屋敷に迎えると言った時のビルセゼルトの様子を聞くつもりだった。


で、それとは別に、ジョゼから面白い話を聞いた。随分前の事らしいが、ビリーに気がある女がいるとアウトレネルが言った、とビリーがジョゼに話したそうだ」


「あのビリーですもの、気を引きたがる女は腐るほどいるでしょうね。でも、あの朴念仁ぼくねんじんはさっぱりそれに気がつかない。その辺りも気に入ってジョゼシラの相手に選んだのに・・・」

くやしがるソラテシラを面白そうにダガンネジブはながめている。


「で、それにジョゼシラが、アウトレネルの言う通りだ、相手の女に期待を持たせてはいけない、と答えたそうだ。するとビリーは腹を立てて帰ってしまった ―― なんで、ビリーが腹を立てたのか、ラテ、おまえに判るか? ジョゼは、自分がビリーを鈍感と言ったからだと思っていたが」


「相変わらず、ジョゼはビリーを遠慮もしないでけなすのね。そんなだから、ビリーの目がよその女に向いてしまったのだわ」


「・・・俺の問いへの答えじゃないが、それもあるかも知れないな ―― で、俺の答えはこうだ。


ビリーは、他の女に向ける目も、心も、ビリーにはないと、ジョゼに思っていて欲しかった。ビリーを愛してくれるのはジョゼだけだと思っていたかった。ジョゼシラがそう思っていないことに腹を立てたんだ」


ソラテシラが夫を見る。


「その通りだとしたら、若いころのあなたみたいね ―― あなたの娘がビルセゼルトに夢中になるのももっともなのね」

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