第二 草 ジギタリス       隠されぬ愛 不誠実

【 眩暈、不整脈、頭痛 】

7

王家の森魔導士学校、校長の執務室にアウトレネルの笑い声が響いた。


「それじゃ何か、ドラゴンはおまえの、なんだ、おまえとジョゼが、いつ、何回、愛し合ったか知っていると?」


「私が張った結界など、ドラゴンには無効だというだけの話だ。私だけじゃなく、魔女の落雷は誰だろうがドラゴンに知れる、ってことだ。―― 大声を出すな。馬鹿笑も止めろ」


不機嫌をあらわにビルセゼルトが言う。


「いや、いや、いや、いや・・・」


笑いを止めもしないで、アウトレネルが部屋に防聴術を掛けようとして、表情を変える。


「魔導術無効?」


「まさか・・・既に防聴術は私が掛けている。私が掛けた術に同じ術を掛けるなら、私よりも強力でなければ無効と同じ。さらに遠見、覗心、などを防いでいる。ま、この部屋の守りは万全だ」


涼しい顔でビルセゼルトが言う。


九日間戦争の前、サリオネルトやホヴァセンシルと、何度ここで秘密の話をしたことか。


あのころと違って、今はそこまでの必要を感じないが、習慣として施術してしまうビルセゼルトだ。


ビルセゼルトの術より劣ると、遠回しに言われたアウトレネルがチッと舌打ちする。


だが、ビルセゼルトが自分の執務室に施術している事のほうが気にかかる。


「校内に北の間者がいる?」


にわかに緊張するアウトレネルに


「まさか」

とビルセゼルトが苦笑する。


九日間戦争の真実を、たとえアウトレネルであろうが知られるわけにはいかない。


密談していたと言えば、その理由を問われる。それを誤魔化すのは難しい。


「念のため、だよ。お陰でレーネ、おまえの馬鹿笑が外に漏れることはなかった」


「俺は別に構わんがな。むしろ、おまえの部屋から笑い声が聞こえれば、多くの者が安心するだろうさ」


「・・・」


皮肉屋め、ビルセゼルトが心内で悪態をつく。そして同時に思う。


サリオネルトの皮肉はとげがなかった、暖かかった・・・


「それで、レーネ。街の魔導士のおまえが、持ち場を離れてなぜここに? 呼んだ覚えはないがね」


そう言いながらビルセゼルトはソファーに腰かけ、テーブルに、湯気をたてるティーカップを二つ、用意する。


すぐにアウトレネルもソファーに座り、カップを手にすると口元に持っていく。


アウトレネルに気が付かれないよう、すかさずビルセゼルトが術を投げれば、アウトレネルが口にするお茶は適温に変わっている。


せっかちなアウトレネルはしょっちゅう口を火傷する。それを知ってからビルセゼルトが忘れずに使う術だ。


「ビリー、おまえが出してくれるお茶は、いつも美味いなぁ」


ちゃんと味わえているだけだと、わざわざビルセゼルトが口にすることはない。


「こないだ、一人でリリミムを訪ねた、と言っていたよな」


とアウトレネルが本題を切り出す。


「うん、行ったよ。家にはいなかったが、すぐ近くの森で、薬草を探していた。何か進展があったのか?」


「いや・・・それが・・・」

アウトレネルがくちごもる。


そして

「その時、何かあったのか?」

と探るような目をする


「うーーん・・・思いつくことはないな。私が出た場所が湿地で、足元がぐちゃぐちゃになって。で、それをリリムが気にしたからあなたのせいじゃないと言って」


「それで?」


「必要な薬草ならリストにしてくれれば手配する、と言ったら、研究者が研究内容を他に漏らすことはないと言われ、それもそうだ、と思った」


「それから?」


「手助けできることがあれば言って欲しいと言ったら、今はない、と言われて、で、帰った」


「それだけ?」


「なんだよ、レーネ。随分、根掘り葉掘りと聞くね。なにかあったか?」


うーーん、とアウトレネルが腕を組む。


「それがね、俺も気になって訪ねてみたんだよ。そしたら、何を聞いてもビルセゼルトにしか言わない、と」


「私に?」


「そう、ビルセゼルトが自分の家に来て、聞くのなら話す、だと」


ポカン、とビルセゼルトがアウトレネルを見る。


「なぜ、そんなことになった?」


「だから!」

アウトレネルが笑いだす。


「それを聞きに俺が来たんだ」


そうだったな、とビルセゼルトが苦笑し、考え込むような顔をする。


瞳が微かに光を放ったところを見ると、記憶の巻き戻しをしているのだろう。


「ふむ・・・ジョゼの事を聞かれている。だが、それが今回の事に繋がるとは考え辛いな」


「ジョゼの事?」


「うん、ジョゼはあなたを愛しているのか? と。ふとそんな事を・・・」


思ったのだろう、と言おうとするビルセゼルトをアウトレネルがさえぎる。


「それだ、ビリー、相変わらず鈍感なヤツだ」


「それ? 鈍感?」

「リリムはおまえに惚れてるんだ」


ブッと吹き出しそうになり、慌ててビルセゼルトは口元からティーカップを離す。


「なにを言い出すかと思えば・・・」

と笑いだすビルセゼルトに、


「だから、ジョゼに間抜けと言われるんだ、昔からおまえはそうだ」

とアウトレネルは容赦ない。


「リリムはおまえに会いたいんだよ。まぁ、そのままだが」


「街人を救いたいと言っていたと思ったが?」


「そうさ、最初はそうだったかもしれない。でもな、ビリー、人間は欲が深い。おまえに会えるチャンスを逃すまいとしている」


「会えたところでどうにかなる話じゃない」


「それでも! おまえの顔を見て、おまえに声をかけて貰う。それだけで、リリムは幸せを感じられる」


「まさか・・・」


ピンと来ない様子のビルセゼルトにアウトレネルが続ける。


「おまえは全く気が付いていないようだったが、魔導士学校入学当時から、おまえは女どもの注目の的だった。そのクソ綺麗な顔や魔導士としての資質、優雅だが隙のない身のこなし、どれをとっても目立っていた」


けれどお前は全く興味がない様子で、女の子たちが近づこうとしても、図書館で本とにらめっこしているか、教授と難しい話をしているか、俺たちと武術の鍛錬をするかだ。


「おまえ、ジョゼと付き合う前に、女の子に興味持ったことないだろう? ジョゼとの結婚だってギルドに強要されたわけだし」


それは違う、とビルセゼルトは思ったが、黙っていた。入学当初から密かに憧れを抱き続けた相手はいた。そして一度だけ、二人で会ったこともある。


卒業年度の事だった。今を逃せば二度とチャンスはない。ビルセゼルトは勇気を振り絞って心を告げた。その一度きりの逢瀬には、思いが通じる予感があった。


次には交際を申し込もうと決意していた。


それなのに、ジョゼシラとの婚姻をギルドに強要され、それに逆らえなかった。


この事を知っているのは、ビルセゼルトが思いを寄せた相手と、サリオネルトとその妻だけだった。


ジョゼシラは、そんな相手がビルセゼルトにいた事に薄々気が付いているようだが、相手が誰かを追及してくるようなことはなかった。


そして思いを寄せた相手は、他の男の妻になった。


「サリオネルトが女の子にモテたのは知っているけどね。私が、っていうのはレーネ、おまえの思い違いじゃないか?」


「おまえからは近寄りがたさがにじみ出ていたが、サリーは親しみやすかったからな。あぁ、確かにあのひとたらしは散々モテまくってた。アイツと一緒にいると、一日に何度、女に呼び止められたものか。でも、アイツはマリをきちんと守った、おまえと違ってね」


「うん? どういう事?」


「女に言い寄られるとサリーは、必ず言うんだ。僕のマリを好きになってね、って。

僕を好きならマリの事も好きになって欲しいって。なにを無茶な、と思うだろう? 

けれどサリーは、自分がどれほどマリを愛しているかをくんだ。それを聞いた相手はその愛情に感動する。サリーとマリを応援したくなる。計算尽くと判っている俺でさえ、聞いてて涙ぐむことがあった」


「あいつの言葉は全てが呪文じゃないかと疑いたくなるほど巧みだ。それはともかく、少しマリにのめり込み過ぎだと心配したことがある」


「ビリー、おまえが冷淡すぎるんじゃないかと俺は思うぞ」


アウトレネルの言葉に非難めいた響きはない。むしろ心配しているように聞こえた。


「ジョゼに友達が少ない理由をおまえ、知っているのか?」


「?」


「あいつは俺たちが卒業年度に入学してきた。そしてすぐにお前と婚約した。やっかみって怖いものだ。おまえとのことでジョゼはかなり虐められていたんだぞ。母親、当時の南の魔女ソラテシアの力でお前を手に入れたってね。勿論、友人が少ない理由はそれだけじゃないのだろうけどな」


「・・・そんな話、初めて聞いた」


「あの、馬鹿力を持つ魔女は、嫌がらせに気が付かないふりをして、報復することもしなかった。


騒ぎを起こしておまえに迷惑かけたくなかったんだろう」


「ジョゼにそんな細かなこころづかいができると思えない」


「本当にお前、情けないヤツだ。ジョゼは繊細だぞ」


ビルセゼルトがアウトレネルの顔を見る。


「同じことをサリオネルトも言っていた」


「ビリー、もっとジョゼを気に掛けてやれ ―― とにかく、リリミゾハギには一人で会うな。どんなに忙しくても俺が一緒に行く。判ったな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る