6

ドラゴンのヴァオヴァブからビルセゼルトに連絡があった。大量の茹で卵を用意してビルセゼルトが駆けつけたのは言うまでもない。


「爪の垢よりも、爪本体のほうがいいんじゃない?」


「ドラゴンが爪切りするとは聞いた事がないが?」


ビルセゼルトの言葉にヴァオヴァブが豪快に笑う。


「そりゃあそうさ、爪は勝手に削れるから、切る必要はないさ。人間はいろいろと面倒だね」


「うん・・・」


「その、体の表面を覆う布切れ、体も洗うのに、その布も洗う。我々ドラゴンには考えられないよ。実に不効率だね」


「ドラゴンと違って人間は温度変化に弱いからね」


「それに仲間にさえ、自分を隠さなきゃならない? 秘密主義って面倒だ」


ヴァオヴァブが言うのが、体以外をもしているようにビルセゼルトには聞こえ、答えを選べずに黙ってしまう。


ヴァオヴァブの大きな瞳がギョロリと動き、そんなビルセゼルトを面白そうに見る。


「まぁさ、爪の表面を少しくらい削るなら、問題ないかな、って思ったのさ」


ヴァオヴァブが続ける。


「俺の爪にヤスリを掛けて、出た粉を持ってお帰り、ビリー。それで効果があるようなら、ドラゴンみんなに声をかけて協力させる。ヤスリを持たせて魔導士たちを派遣しな。あ、その時は全員に行き渡る量の茹で卵を頼むよ」


袋に詰めて持ち帰ったドラゴンの爪の削り粉を、ビルセゼルトはアウトレネルに命じてリリミゾハギに届けさせている。


受け取ったリリミゾハギは即刻、試作品を作り始めたらしい。


「今まで使われたことのない材料だ。まずは爪の削り粉の成分を調べると言っていたよ」


アウトレネルの報告に、ビルセゼルトは、そうか、とだけ答えている。


爪の削り粉を受け取ったリリミゾハギは成分分析の結果、爪の垢とほぼ同じ結果を見ている。


だが、ある種のたんぱく質が爪の垢よりも突出して多いことを突き止めた。


そこでまず、爪の垢と同じ方法を採ってみたが効果は爪の垢と大して変わらず、がっかりするとともに、二つの塗り薬の違いを調べている。


それとともに、再度、爪の垢で作った練り薬を入念に調べた。


リリミゾハギが提供した最初の塗り薬は、他の薬学者や、癒術魔導士により量産され、広く患者に処方可能となり、日々の死者数は減っている。


減っただけで、感染からの生還は未だない。


―― その時、リリミゾハギは自分の住処の裏手の森に入り、薬草を採取していた。


きらめく木漏れ日の中、一種一種、手をかざし、≪正体を表せ≫と唱えていく。


もしや、まだ薬草とされていない中に、薬効を持つ物が隠れているかもしれない。森に入れば必ず毎回、目に着いた植物を調べるリリミゾハギだった。


だが、今日は違った。


くだんの練り薬に使う薬草、それを重点的に探していた。


そしてもう一種類、新たに加えたい薬草があった。


猛毒と言われるトリカブト、できればその花粉がいい。だが、今の季節では花はおろかつぼみさえ見つけられないだろう。


それでも、見つけられれば、魔導術を駆使して成長を促し、花を付けさせることができるかもしれない。


果たして、そんな魔導術が自分に扱えるだろうか・・・魔導士としての自分に自信のないリリミゾハギだった。もしだめでも、何とかするしかない。


恥を忍んで他の魔導士に頼み込むことさえリリミゾハギは考えていた。


気配を感じてリリミゾハギが視線を向ける。新緑の光を受けたおぼろな人影が、すーーっと実体を伴っていく。


「やぁ」


燃えるような赤い髪の男が親し気に声をかけてくる。が、すぐに顔をしかめ、下を見る。


「湿地だとは思わなかった・・・」


ゆっくりと近づいて来るビルセゼルトの足元は、ぬかるみで泥だらけになっていく。


「家を訪ねたのだけれど、留守で・・・近くにいるかなと気配を探したら、この辺りと判ったから飛んできた。良く知りもしない森に、無闇に入るものではないね」


と笑顔を見せる。


「ビルセゼルト様・・・」


泣き出しそうなリリミゾハギに、ビルセゼルトが笑顔のまま答える。


「あなたが気にすることじゃない、これくらいの汚れ、すぐに綺麗にできるよ」


リリミゾハギの目の前で、草地に辿り着いたビルセゼルトの、泥だらけの足元から汚れが見る見る消えていく。


そうでしょうとも、リリミゾハギは言葉にせずにそう思う。そんな汚れなど、あなたにとってどうと言うこともない代物。この私の存在と同じように ――


どこかですれ違っても、あなたが私に『やぁ』と声をかけてくれることなどないと思っていたのに、どうしてこんな森の中に、急に現れ、そんなに簡単に笑顔を私に見せるのですか?


「薬草の採取? 何だったらリストを出してくれれば手配するよ」


「いえ・・・研究者が自分の研究の内容を、そう簡単に他者に教えたりしないと、ご存知でしょう?」


どうして? リリミゾハギはビルセゼルトに聞きたかった。練り薬の処方を教えるまでは、何度も私に会いに来た。なのに、教えた後、あなたが来ることはなくなった。


宿舎を引き払い、魔導士学校の住処に、あなたが本来いるべき場所に戻ったのは知っている。そちらでの仕事が忙しいのも知っている。


ドラゴンの爪の削り粉、アウトレネルが一人で訪れて持ってきたあの粉、あの時、あなたにも来て欲しかった。


アウトレネルが私の家の前で訪れを告げた時、てっきりあなたも一緒にいると思った私が、どれほど寂しい思いをしたか、あなたに判りますか?


「そうだね、研究者なら、誰でも秘密にするものだ。私の配慮が足りなかった。気を悪くしないで欲しいし、何か手助け出来ることがあれば遠慮なく申し出て欲しいのだよ」


「今日はアウトレネル様とご一緒ではないのですね」


「うん、すぐに帰らなくてはならなくてね。


進捗具合もそうだし、遠慮がちなあなたが何か言いだせずに居はしないかと気になったんで、時間が少しだけ取れたから来たんだよ。


だからすぐ帰る。それなのに、忙しいレーネを呼び出すのも気の毒だ」


「相変わらず、お優しい・・・」


その優しさが、時に誰かを傷付けると、あなたはご存知ですか?


「優しくなどないよ。私は怖いだけなのだと思う。他者から非難されるのを恐れているだけだ」


思わずリリミゾハギがビルセゼルトを見る。その気配にビルセゼルトもゆっくりとリリミゾハギを見る。


「誰がビルセゼルト様を非難などするのでしょう?」


リリミゾハギの問いにビルセゼルトが苦笑する。


「いろんな人に非難されるよ。たとえばアウトレネル、妻のジョゼシラ。まぁ、今となっては面と向かって言ってくるのはその二人だけか・・・が、影では言いたい放題言っているやからはたくさんいるだろうね。時々、魔導士学校の教授、私にとっても恩師にあたる何人か、は助言を今でもくれることがある。有難い事だ・・・って、これは非難じゃなかった」


屈託なく笑うビルセゼルトに、リリミゾハギは複雑な思いをいだく。


「ジョゼシラ様が非難? ビルセゼルト様を?」


「あぁ、あいつは昔から手厳しい。今でもよく、情けないと言われる」


「・・・ジョゼシラ様はビルセゼルト様を愛しておられるのでしょうか?」


いつか感じたあの疑問、愛を分かち合う相手ならいやすのも勤めではないか、なぜジョゼシラはそうしないのか、思わずそれがリリミゾハギの口を突いて出た。


「うん?」

「し、失礼を申しました」


慌てて謝るが、ビルセゼルトがリリミゾハギの無礼を気にしている様子はない。


「そうだねぇ。愛していると言ってくれるが、たまに会った時だけだ。会いたいと言ってくるから会いに行く。力が不足してくると会いたがる。


アイツが南の統括魔女になってから、ずっとそんな感じだ」


南の統括魔女であるジョゼシラは南の魔女の居城に住む。そして魔導士学校の校長ビルセゼルトは魔導士学校の教師棟に住処を持っている。


それぞれの職務が、二人が二人きりで時を過ごすことをなかなか許さない。


「確かなことは、だ」


ビルセゼルトが少しお道化どけて言った。照れたのかもしれない。


「私は妻を愛している ―― 僕の心は、妻への想いで満たされて、そしてその愛は日々に大きく広がって、抑えようもなく溢れてしまう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る