第4話 傷だらけの君は花火 [1]

瑞稀と花火の片付けを終えて、僕らがプレハブに戻ったのは二一時過ぎだった。

汗をかいていた。一人ずつシャワーを浴び、眠った。その日は意識がストンと落ちた。


途中、瑞稀が起きてフルーツを食べていた。僕も付き合って、皮の真っ黒なバナナを食べた。腐ったように甘い。

桃の缶詰を彼女は開けて、細い指で摘まむ。シロップの匂いが室内に広がってゆく。

缶の底に残っているグジュグジュになった桃の果肉。


「みんな不味いよ」


瑞稀がそう言って、こちらに缶詰を向ける。

僕も少し頬張った。濃い甘さの中に、理科の実験で使った後のレモンみたいな酸味が混ざっている。味覚が次第に馬鹿になる。

瑞稀は食べた後、また吐いた。僕は彼女を簡易トイレに運び、背中をさすった。その間、胸の中がむず痒く、生温かくなった。

プレハブに戻った瑞稀は面倒そうに、また何か口に入れる。


「止せよ」


僕は瑞稀の手を掴んだ。それを無理やり彼女は振り払い、また冷蔵庫の中を漁ろうとする。

僕は後ろから羽交い締めにした。

彼女が暴れた。バランスを崩し、僕らは床に背中から倒れ込んだ。大丈夫か。そう言おうとしたら、声が出なかった。


僕の唇を、瑞稀の唇が塞いでいた。

キツい臭いで、胸の奥がむかつく。

吐きそうだった。

思わず瑞稀を振り払おうと手を伸ばす。でも、離れてくれなかった。

彼女の唇は甘く、ツンとして酸っぱい。




「絶頂のまま、永遠にしてしまいたいよ」


行為の後、呼吸を整えた瑞稀が静かに呟いた。ブランケットから露出した肌は病気がちに白い。彼女のあばらは浮いていた。

薄い胸には、引っ掻き傷の痕が無数にあった。骨と皮ばかりで肉は薄い。

瑞稀の身体は食い散らされた林檎の芯の部分みたいだと、行為中に僕は思った。


「本当にインポじゃなかったんだね」


瑞稀が僕の股間に手を伸ばす。二度の射精を終えて柔らかくなった僕の性器を細い指がぎこちなく触る。


「くすぐったい?」


囁いた瑞稀に僕は頷いた。

伏せがちな彼女の瞼に極小の汗が溜まっている。彼女の身体は終始震えていた。


「私のこと、忘れてね」

湿った彼女の声が耳朶に触れる。

「僕は瑞稀を忘れないよ」

「アハハ、初めての相手だもんね」

彼女は疲れ切った目をして笑う。

「ふたりしてさ、ゲロ吐いて、セックスして、バカみたい」


僕は無言でその細い身体にブランケットをもう一度被せる。瑞稀は目を閉じて、股間をまさぐるのを止めた。

肺から長く息を吐き出し、低い声を発した。


「おやすみ、透」


瑞稀が落ち着いたのを確認してから、僕は眠った。

その夜は夢を見た。懐かしい人と再会した。

小学生の時、僕がいじめたあの女の子だ。

少女は健やかに成長していた。

彼女は笑顔だった。

大学生になって髪を伸ばし、メイクをして可愛らしい服に袖を通している。

恋もしていた。大学野球部のエースの男性だ。その恋が実るのを僕は笑顔で祝った。

彼女は照れくさそうに髪を撫でる。


「ありがとう」


彼女が僕に笑顔を向ける。

僕はこっ恥ずかしくなって、後ろを向いた。

すると僕の向いた方に飛び降り自殺をした直後の、あの女の子が斃れている。

彼女の首や四肢は不自然な方向に大きく折れ曲がっている。目と口と鼻から血を流している。頭が割れて、脳の破片が散乱していた。

血の泡が噴き出す口を女の子は動かす。


「許さないから」


そんなはずは無い。あの子は無事に大学生になって、幸せに生きているじゃないか。

ほら、すぐそこにいるだろ。

僕はもう一度、大人になった彼女を探した。しかし、そこには誰もいない。

闇があるのみ。喰らい尽くすような、獰猛な獅子の形をした闇だ。

僕は悲鳴を上げた。


「許さないから。絶対に、許さないから」


途端、獅子は自殺したその少女を襲った。 僕は身を挺してかばおうと飛び出した。両腕を広げて、少女の前に立つ。だが、闇は僕を通り過ぎ、少女の身体だけを包みこんだ。

瞬間、彼女は背骨が折れそうなほど身体を仰け反らせ、目をグルンと裏返し、鉄が擦れ合うような断末魔をあげて爆散した。

大量の血が出た。

血が光った。強烈な光だ。

その光に目を焼かれて、僕は目を覚ました。


激しく汗をかいていた。慌てて辺りを見回した。すぐ側に瑞稀がいた。安心しきっているのか、穏やかな表情で眠っていた。ブランケットが掛かっている緩やかに隆起した彼女の胸は、呼吸に合わせて静かに上下する。

ひどい臭いがした。僕は汗を流すため、シャワーを使いに行った。

早朝だった。


プレハブの外で瑞稀の母親と遭遇した。お辞儀だけした。母親は僕をいない者として扱ったようだ。素通りし、そのまま邸宅の中に入っていった。その後ろ姿をぼんやり眺めた。

僕はシャワーを浴びた。それから着替えて、瑞稀を揺り起こした。


「哲郎に会ってくるけど大丈夫かい?」


目をこする瑞稀にそう聞くと、分かったとだけ言って、彼女はまたブランケットを被った。


「眠いんだ、もう少し眠るよ」

瑞稀はネコのように身体を丸くさせる。

「お昼前には戻るから。そしたら、ショッピングモールに行こう」

「……うん」

くぐもるように瑞稀の声は聞こえた。


僕は外に出た。開けた扉から瑞稀が手を上げているのが見える。

いってらっしゃい。

そう言われたような気がした。


朝早く、この小さな町の道はまだ涼しい。六時を前にして、昨夜見た田んぼを眺めると、あの時に比べてより鮮やかな緑色が広がっていた。水にはオタマジャクシが泳いでいる。


歩きながら哲郎のことを考えていた。

彼のような人間でも、自分の弱さや醜さを排除できず、隠しきれないらしい。

善いことを繰り返しても、人間というものは容易に変わったりはできない。僕がそうであるように、彼もそうだった。

瑞稀とは違う形であれ、僕は彼との間に確かな結びつきを覚えた。それは、僕自身がずっと否定したかったものだ。だが、いまは嫌ではない。


哲郎の実家に着くと、豆腐屋は忙しそうだった。

彼も父親の指示のもとで働いていた。屈強な身体に汗の玉をしたたらせて、彼は労働を続ける。その姿は僕が見た哲郎のどのような姿よりも、活き活きとし、肉体が動いていた。好感の持てる姿だ。

その日その日で豆腐の出来栄えは変わる。移ろい続ける自然の諸条件によって、その味は決まる。

哲郎は豆腐と向き合い、同時に自然と向き合っていた。実直に豆腐をつくる姿は、そのまま誠実な営みを表しているようだった。苦悶する表情は過酷さと弱さを、出来上がったまっしろな豆腐を見つめる瞳は達成感と満足を。

それはかつて僕が望んだ、人の在り方そのものかもしれない。


「おはよう、哲郎」


気が付くと、僕は彼に声をかけていた。

哲郎は最初驚いた顔を見せた。


「何の用だ」

「会いに来たんだ、話がしたくて。でも難しそうだね」


僕はまた今度でいいと言って帰ろうとした。しかし、待ってくれと哲郎が追いかけてきた。僕の肩を手で掴み、静止させた。


「ここで済ませてくれ」

「いいのか?」

哲郎は無言で、無愛想に頷いた。

「哲郎は、僕とは友達だろ」


僕はそう言って、彼の前に手のひらを差しだした。

哲郎は拍子抜けしたような顔をする。

その後、手を振り払って僕を睨みつけた。


「……ちがう。俺は透と友達じゃない、お前を友達なんて思えない」

「そうか。じゃあ勝手にするよ」

「なに言って……」

「どうしたって、僕と哲郎は友達だ」


低い声で彼に囁いた。

もう一度、彼の顔を覗きこんだ。蔑む眼差しを向ける彼の顔が、僕の瞳に映る。

瑞稀のことは、彼女と哲郎しか解決できない。でも、僕が哲郎と友達であることは、僕自身で決めてやる。

同族嫌悪と憐憫、密やかな羨望を含めた関係も、僕らには友情と呼べるはずだ。


「とりあえず、電話番号だけは渡しておくよ」


小さな帳面とボールペンをポケットから引っぱり出した。そこに番号を記す。一ページだけ千切り、哲郎に渡す。

彼はそれをゆっくり受け取るとクシャクシャに丸めて、一直線にゴミ箱へと叩き捨てた。


「勝手にやってろ」


哲郎は僕の顔を見ながら吐き捨て、すぐに顔をそむけた。

彼はまた、豆腐をつくる作業に戻った。その後ろ姿は以前よりも大きくなって見えた。


僕は哲郎と別れた。ゆっくりとした足取りで帰った。

途中、河原で僕はあのタヌキの死骸を見つけた。あの日、瑞稀が発見したタヌキだ。

もう腐っている。

僕はタヌキを木の棒で転がす。

タヌキの肉が表面から抉られた。

木の棒が刺さってしまった。

悩んだ末、僕は穴を掘って死体を埋めた。

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