第3話 ―― SOMEDAY.3 ――
僕と哲郎は流れていく川を見続けている。この小さな町に、僕は再び来ていた。
小学生たちは水の中から上がっていた。虫取り網と籠を肩に下げて、水泳パンツのまま町の方へと戻る準備をする。
哲郎に気付いたのか、テツ兄の頭ツルツルだぁと、指差しながら笑っている。
「うるさい、早く帰れよ」
哲郎はそう言って、小学生たちを追い返す。僕はその様子をなんとなく笑って見ていた。
「その頭、どうしたんだ」
僕が聞いてみると、哲郎はああ、と頭を手のひらで擦った。
「出家したんだよ、あの後」
「似合わないな」
不満そうに哲郎は舌打ちをした。もう聞き飽きたという様子で溜め息を吐く。
「豆腐を作るよりも他にしたいことができた。俺は自分と向き合うための時間が欲しかったんだ」
そう答えながら彼は僕を憐れむように、その目を細めた。
「透には分からないかもな」
「分からないよ」
そんな考えを分かりたくもなかった。
僕が知らない間に変わっていた。街と町は離れていた。
お互いを隔てるものが、遠くへと僕らを突き放してしまう。
いま二人で、あの夏と同じ場所に立っている。瑞稀も、哲郎もいたんだ。だが、瑞稀だけが隣にいない。
哲郎も僕も、あの時とは違っていた。
この景色だけが同じだった。
瑞稀があの夜、僕に向けて言ったことが今、痛切に感じられる。
まるで置いて行かれたみたいだ。
瑞稀が耐えられないと思ったものを、僕もようやく知った。
夏の日差しは去年よりも熱い。雲が真横に白線を引いていた。
河原の岸辺に二人で並ぶ。足下に石がまばらに転がっている。
ここから向こう岸が見えた。あの向こうに、瑞稀と二人で行ったショッピングモールがある。でも、僕はこの町の田園のほうが好きだ。
ここにこそ、あの夏の懐かしい匂いがある。忘れたくて堪らない、でも愛しくてしょうがない、あの生々しい匂いだ。
拾いあげた小石を川に向けて投げる。小さな音を立てて小石は水中に落ちた。低い位置で水滴が飛び跳ねた。波紋が一瞬だけ広がる。すぐに静けさを取り戻した。
僕は口を開いた。
「なんで昨日、いまさら僕を呼んだのさ」
「透を呼んだのは、俺にも考えがあったからだ」
哲郎ははっきりとした口調で、自分が正しいと信じて疑わないような顔で答えた。
それが僕は気に入らないんだ。
「……そうだよな。二度と顔を見せるなって、瑞稀に言われたんだろ。哲郎だけじゃ瑞稀に会えないもんな。だから、代わりに僕を呼んだ。いいよ、代役で行ってやる」
「……れよ」
「僕が瑞稀に会って、こう言えばいいんだろ。哲郎はまだ、後悔してるって」
「黙れよ!」
哲郎が吼えた。
胸ぐらを強く掴まれた。
その固い拳が首もとに突きつけられていた。
足が宙に少しだけ浮く。
荒く息を吐いて、僕は哲郎を睨んだ。彼も同じように僕を凝視した。怒りに目が赤く濁っていた。
「お前は、一体何が言いたいんだよ!」
「あの時、僕が瑞稀を待たなかった。それがすべてだ」
吐き出した自分の声は鈍く震えて、小さくかすれた。
僕と哲郎は数秒のあいだ向かい合った。全身の筋肉が緊張している。
突き飛ばすように彼の手が胸元から離れた。僕は数歩後ろに下がった。首を押さえる。痛みはない。
僕を無視して、哲郎は川に背を向けた。道路に歩いて行く。路肩にスクーターが駐輪してある。彼は素早くヘルメットを被る。
「行くぞ」
僕の方を向いて、哲郎は言った。真新しいヘルメットを投げて寄こす。
「俺もいっしょに行く」
哲郎のその言葉に無言で返し、僕はスクーターの後部座席に腰を下ろした。
彼の腹に手をゆるく回す。すると、哲郎がちゃんと掴めと、僕の腕を彼の腰にきつく締めさせた。僕は彼の後頭部から顔を逸らした。
彼は鍵を挿して回し、エンジンを起動させる。スクーターは走り出した。
以前のような、熱い風を顔に受けることはない。シールド越しの夏の景色が見える。
瑞稀が待つ場所へ向けて、僕たちは走り出した。
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