展示品No.2055

―――――――――SideA

私は美術館が好きだ。年に数十回、日本国内の美術館を巡るほど、好きだ。

上手く表現できないが、あの独特な静寂さと少し息詰まる感覚、その静寂の中でただ黙って展示され、見る者の心に問いかけを与えてくる美術品たち。


私を煩わせるものが何もない、私だけの孤独で素敵な時間を味わえる。

だから私は美術館が好きだ。

美術品は色々とみてきたが、その中でも好んでいるのは「展示品No.2055」と呼ばれる絵画だ。展示品の番号を示しているのではない。作品名が「展示品No.2055」なのだ。


この絵画を描いたのは、日本のとある画家だ。彼は20代前半という若さでこの世を去った。波乱万丈な人生を歩みながらも生前は評価をされることなく、残された数点の作品の中で唯一評価されているのが「展示品No.2055」だ。

しかし、この作品自体もかなりマイナーなため、美術館によっては置いていない場合もある。私は、この作品が好きだ。だからこの作品を見るためなら、遠方の美術館でも足を運ぶ。そんなことを繰り返していたら、いつの間にか美術館に足を通うのが楽しくなって趣味になっていた。


今日も展示室の片隅に飾られる「展示品No.2055」を見る。

いつ見ても美しい。油彩で描かれたキャンパスには、黒を背景にしながらも色とりどりの服を着て楽しげな表情を浮かべる何千人もの人物が描かれていた。


ああ、うらやましい。

キャンパスの中の人々は、この世の苦痛など何もないというような幸せな表情をしていた。


私もそこに行きたい。

お局による暴言や、客からのクレーム、直属の上司からの説教も聞かなくて済む。

浮気癖が治らず、かといって離婚する気もないと言って暴力を振るうあの男からも逃れられる。

うるさくて、謝りもしない近所の子どもたちにも苛立ちを感じなくて済む。

電車やジムで話しかけてくる老人も、過干渉な家族とも。


すべてから解放されたい。


その時、ふと絵画の人々が笑みを浮かべてこちらに手招きをしているように見えた。


私も、そこに行っていいの?


絵画の人々は全員、優しくうなずいた。

行きたい。ううん、行くよ。


絵画の人々が手を伸ばす。

私も本来触れてはならないはずの絵画に向けて、手を伸ばした。

青いワンピースが揺れる。視界が徐々に真っ白になる。

ああ、これでやっと…。


―――――――――SideB

僕は美術館というのはあまり好きではない。作品を見るためだけに、わざわざ時間を浪費すること自体が面倒だ。その代わり、本は好きだ。本といっても普通の本ではない。歴史的な価値がある本。国立図書館や一部の博物館にしか展示されていない本を見るために足を運ぶのには価値があると思っている。


その日僕は、博物館に足を運んだ。様々な本を読んだが、たまには違うジャンルも読みたくなった。ふと目に入ったのが、美術に関する本だ。

正直僕は絵のことなんてよく分からない。だが、ただ活字ばかりを読むよりかは絵も少したしなんでおくのも悪くないだろう。


その美術本にはさまざま作品と解説が描かれていた。有名な海外の画家からマイナーな日本の画家の作品まで、さまざまなものが記載されていた。

どれもこれもあまりぱっとしない、美術の時間で見た覚えがあるものや、特に何も感じない美術品ばかり。僕は面倒くさがりながらもぺらぺらとページをめくる。


その中でふと目を惹かれるものを見た。

作品名は「展示品No.2056」と記載された、真っ黒な背景をもとに数千人の人物が油彩で描かれた絵画。作品の右端には青いワンピースを着て、何かから解放されたように両手を広げてこちらに笑顔を向ける女性が描かれていた。


作者は…20代前半という若さでこの世を去ったマイナーな日本人の画家だ。解説の上に張り付けられた著者の写真を見る限り、この絵画の一番左側に描かれているのが、彼なのだろう。とてもそっくりだ。


なんとも珍妙なタイトルと、目を惹かれるほどの美しさを備えた絵画。

僕はその絵画が展示されている美術館をスマートフォンで検索した。

美術館はあまり好みではないが、この絵を見れるなら行ってみる価値はあるだろう。衝動と狂気にも似た何かが僕の中で喚く。「早くあの絵の元に行け」と。


僕は本を閉じ、博物館を後にした。


―――――――――夜のとある美術館。

作品名「展示品No.2056」は展示室の奥に、ひっそりと佇んでいた。

キャンバスに描かれた人々は、さまざまな不安や恐怖から解き放たれ、満ち足りた表情を浮かべている。

どこからか笑い声が響いた。笑い声は美術館の静寂を破るかのように、よりけたたましく響いていく。

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