壊れない

202X年。

12月16日、午前16時30分。

今日は、とある女性に取材をすることになっている。


これまで様々な価値観を持つ人間に会ってきた「私」だが、今回の取材相手は実に奇妙な人間だった。


その記録を、ここに記す。


――――――録音開始。


「丸山(仮名)さん、はじめまして。私は記者の…と申します。」

「ああ、はじめまして!本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。」


本日取材に応じてくれた、丸山(仮名)氏はとても上品な雰囲気の、推定40代から50代くらいの女性だった。

物腰は柔らかく、年下である『私』に対しても穏やかな口調で接してくれる。


雑談を少ししつつ、私は本題へと誘導していった。


「それで、今回は『身近なものが壊れなくて困っている』という話ですが…。」

「ええ。そのことで、今回雑誌の公募に申し込んだんです。」


丸山(仮名)氏は、笑みを浮かべながらも少し表情を曇らせ、椅子に置いてあったカバンからあるものを取り出した。


「それは?」と私が訪ねると、彼女は「ボールです。」と答える。


真っ黒に塗りつぶされた、野球ボールくらいの大きさの球体。

それを持ちながら、彼女は続けてこう語った。


「このボールを手に入れてから、全てのものが壊れなくなったんです。卵、たばこの箱、ペットボトル、自転車…。ありとあらゆるものです。」

「なるほど。このボールは、いつから丸山さんの元に届いたんですか?」

「届いた…というか、いつの間にか私の家にあったんです。それも朝起きたら、リビングの机に置いてあって…。」


彼女は、ボールを持ちながらポツポツと話していく。


にわかには信じられない。

この黒いボールを持ったら、すべてのものが壊れなくなった?

そんなこと、今まで聞いたことがない。


私は、疑問を持ちながらも彼女に質問を続けていく。


「ボールを持ち始めてから、物が壊れないこと以外変わったことはありませんか?」

「特にありません。」


「分かりました。物が壊れないと確信したのは、どんな時でしたか?」

「買ってきた卵が床に落ちたのに割れないのが不思議で…、そこから色々なものを壊そうと試して4回目くらいでようやく確信しました。このボールは、本物だと。」


「ありがとうございます。このボールを持って、日常生活に支障はありますか?」

「そうですねぇ…。しいていうならゴミ出しの時ですね。うちの地域って、ティッシュボックスやペットボトルって潰さないといけないんですよ。でも、このボールを持ち始めてからそれができなくて。だから今、家中ゴミだらけなんです。」


「なるほど、それは困りましたね。でも日常生活に支障が出るなら、そのボールを破棄すればいいのではないでしょうか?」

「いえいえ!そんな、もったいないことできませんよ!」


淡々と答えていた丸山氏が、急に大きな声を出してきた。

私は若干驚きつつも、平静を装い、「失礼しました。今の質問は不躾でした。」と謝罪する。


すると、丸山氏は挨拶時と同様の穏やかな雰囲気をまとい、話を続けた。


「いえいえ、こちらこそ。つい大声を出してしまって…。本当に申し訳ありません。でも、あのボールは捨てられないんです。」

「なぜですか?」


丸山氏は、困っているような、嬉しそうな、なんともいえない表情で私を見てこう言った。


「だって、これがあるから私の精神が安定するんです。」

「はっ?」

思わず、そう答えてしまった。


「あ、すみません…。いや、でもさっきゴミ出しができなくて困ってるって…。それに、物が壊れないのが不思議で私の取材を受けてくださったんですよね?」

「ええ。確かに物が壊れないのは、本当に困ります。でも、こういった悩みってなかなか人に相談できなくて…。なら、記者さんのような方に話してすっきりしてしまおうかなって感じで、今日取材を受けたんです。」


さっきから、いまいち彼女との話が噛み合っていない気がする。


彼女は、私が質問する暇もなく、唐突に自身の話をし始めた。


「私、実は職場でいじめを受けているんです。そのうちの一人は、私を特に嫌っていて…。仕事用の服や私物を隠されるなんてことも、珍しくありませんでした。私は、とにかくその人が嫌で嫌で…、それであの人が乗っている自転車に細工をしていやがる顔を見ていたいんです。でも、このボールは物を壊してくれません。そこが本当に残念です。本当に残念です。」


そう語る彼女の瞳は、もはや正気ではなかった。

狂気を帯びて、瞳孔が開きかけている。


「でもね、記者さん。このボールは、どんなものも壊せない。だからこそ、手放したくないんです。だって、これさえあれば私をいじめている人のものを壊さないで、いやがらせをやっていけば、半永久的にあの人たちの苦しむ顔が見れる。だから、辛い日常でもこのボールがあれば耐えられるんですよ。」


語り終えて疲れたのか、丸山氏は無表情になり、手元にあったドリンクを飲みほした。

そして、会った時と変わらない、物腰の柔らかい口調と穏やかな笑みで私を見つめる。


「だから、このボールは捨てられないんですよ。」

そう呟いて、彼女は「すみません。急な予定が入っていたのを忘れていました。今日の取材はここまでという形でよろしいでしょうか?」と、取材の終了を願い出た。


私は、呆然としながら、うなずく。

それに満足したのか、丸山氏は席を立ち、扉を出ていった。


あのボールを、愛おしそうにカバンに詰めて。


―――――録音終了。


結局のところ、今回の取材は無駄に終わってしまった。

編集長にも、原稿を見せたところ、普通にボツを食らってしまい、今は新しいネタ探しに奔走している。


あの取材の後、丸山氏がどうなったか、私は知らない。


だが、あの黒いボールがなんだったのか。

そればかりが、気になって仕方がない。


今回の取材で分かったこと。

それは、丸山氏のように歪んだ価値観を持っている人間も少なからずいるということ。


あのボールを持っていようと持っていなかろうと、遅かれ早かれ彼女はああなっていたのではないか。


今更こんなことを考えても仕方がない、と私は感じ、ディスプレイに視線を向ける。

そして、ネタ探しのためにキーボードを打ち始めた。


end

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