服の部屋
私が暮らすことになった1階の1LDKの1室には、見知らぬ服が吊るされた物干し竿がある。
バルコニーから日差しが差し、ちょうど洗濯物が乾く位置にそれは置いてある。
吊るされている服はさまざまだ。
青い作業服、水商売のような白のドレス、黒のスーツセット、子供が着るピンクや黄色などカラフルなワンピース…。
家賃や駅からの距離、何より最低限の家具がついているという理由で1ヵ月ほど住んでいるが、どうにも気味が悪い。
不動産の人間は「多分前の住民が置いていったんでしょう、なので気にしなくて大丈夫ですよ」と適当に流された。
もしかしたら、ここは事故物件というやつなのだろうか。だとしたら、かなり危険なところに住んでしまったのではないだろうか。
だが、見知らぬ服が吊るされているだけでこれといった怪奇現象はない。多少気味は悪いが寝に帰る場所として使うにはちょうどいいだろう。
物思いにふけるのも時間の無駄だ。
明日は会議や溜まった仕事を片付けなければならない。さっさと寝よう。
リビングに布団を敷き、物干し竿のある部屋の扉を閉め、眠りについた。
深夜…ふと用を足したくて目が覚める。
カラカラと何かが金属に触れる音が聞こえた。
音は、物干し竿のある部屋から聞こえる。
私は警戒しながら、部屋の扉を開けた。
そこには誰もいなかった。
ただ、いつも置いてあった白のドレスがなくなっていた。
ドレスを吊るしていたハンガーが、時折物干し竿に当たりながらゆらゆらと動いている。
誰かが入った形跡もない。
一体何なんだ。
疑問が頭を駆け巡る。しかし、明日は早い。
催していたはずの尿意はいつの間にか引っ込んでいた。
私は布団のすぐ横にある棚から睡眠剤を取り、眠りについた。
――――――――家に帰るのは2~3日ぶりだ。
ろくに飯を食べずに会社で寝泊まりしていたせいか、ひどく体がだるい。
私の仕事の性質上、こういったケースは珍しいことではないが、だるいものはだるい。
帰り際で買ってきた惣菜を温めている最中、ふとあの部屋が気になり扉を開いた。
私は目を疑った。
物干し竿には新しい服が吊るされていた。
今度は赤のミニワンピと、OLが着るオフィスカジュアルな茶色のカーディガンだった。
私が留守にしている間に、誰かに侵入されたのだろうか。
半信半疑でバルコニーのロックを確認する。
ロックはかけられたままだ。
部屋も特に荒らされておらず、貴重品が盗られた形跡もない。
一体何なんだ。
私は、物干し竿の前に立ち尽くした。
惣菜が温め終わり、レンジの音が鳴り響く。
深夜…ギシギシという音で目が覚める。
最初は家鳴りかと思ったが、どうにも違う。
耳を澄ますと、足音だった。
私は寝たふりをしながら、薄目にして目を開く。
私の目の前を、赤のミニワンピが通り過ぎていった。
比喩ではなく、服そのものが意思を持ったかのように歩いている。
足がないはずなのに、赤のミニワンピが通るたびに足音が鳴る。
私はもうろうとする頭とバクバクする心臓を押さえ、布団の中で震えた。
―――――それからの私は、どんどん憔悴していった。
仕事から帰宅したら、知らない服が干されている。
時折、付けた覚えのない汚れが服に付着している。
ギシギシという音は相変わらず聞こえ、日によって服がいなくなる時もある。
もう限界だ。
怖い。
何なんだ。
仕事で疲れているというのに、私が何をしたというんだ。
最近ではそんなことばかり考え、ろくに眠れず飯もほとんど食わず、薬の服用だけが増えていく。
引っ越してから2か月が経過した。
薬を服用し、無理やりにでも眠ろうと私は布団に入る。
ようやく眠ろうとしたその瞬間、上に何かが覆いかぶさってきた。
私は、顔を上げる。
そこには、青い作業服が馬乗りになっていた。
人間が着ていない、頭と手がからっぽな状態の服が私を押さえつけている。
私は悲鳴を上げて、勢いよく作業服の中心を蹴飛ばした。
蹴飛ばされた衝撃で、青い作業服は棚にぶつかり、棚の上に置いてあった小物が落ちてくる。
服に殺される。
私は直感的にそう思った。
なら、殺される前にこちらから殺してやる。
そうすれば、もう二度とおかしな現象も起きないだろう。
私はキッチンに急ぎ、包丁を取り出す。
そして勢いよく作業服の背中部分を指した。
作業服がひるんだ隙に、後ろから押さえつけ何度も何度も包丁で刺す。
最初は抵抗していたが、刺されるごとに作業服の力はなくなっていた。
そして、何度か刺しているうちに作業服は動かなくなった。
指した箇所から赤い血が流れだしている。
徐々に血だまりとなり、青い作業服は血で染まっていった。
私は笑う。
これで終わったんだ。
もうこれで、あの物干し竿の服に怯えなくてもいい。
そう考えると自然に笑いが込み上げてきた。
――――――「続いてのニュースです。」
「昨日未明、○○市在住会社員の女が殺人の容疑で現行犯逮捕されました。」
「被害者は30代の作業員男性で、背中に複数の刺し傷があったとのことです。」
「女と被害者男性は面識がなく、動機は不明、警察は引き続き調査を進めています。」
キャバ嬢風の女は呟く。「あーあ、かわいそうに。」
子連れの女が呟く。「あそこは洗濯物干しにはいい場所だったのに。」
OLとサラリーマンは呟く。「うまくやればバレなかったのに。」
警察の包囲網によって塞がれたアパートを見ながら、そう呟いた。
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