第4話 「人生に相渉るとは何の謂いぞ」
明治時代、愛山生という高名な文芸評論家が「文学とは、人生や生活に役立つ価値ある情報が含まれていなければ意味がない。」と述べたことに対し、北村透谷が反論した一文の題名です。「北村透谷選集」岩波文庫
「形而上という、目に見えないけれども確かに存在するものを撃つ(書く)」文学の大切さを説く透谷と、私も同意見です。
約二万年前の縄文時代から連綿と受け継がれてきた文学的特性あってこそ、日本人は唐や隋の時代に中国文明を、19世紀には西洋科学文明を消化吸収することができた。そして1980年代には、アメリカで生まれた半導体の、安定・大量生産技術をいち早く実用化させ、韓国や台湾でも生産できるようにコンピュータ化・標準化することに成功した。
日本が科学技術に強いのは、科学者(人間)としての文学的感性が豊かだから。 → 寺田虎彦選集(岩波文庫)、都筑卓司「不確定性原理」「マックスウェルの悪魔」((講談社ブルーバックス)また、1980年代の世界の半導体開発をリードした当時の東北大学で、その中心となった西澤潤一氏は、数々の画期的発明によってノーベル賞を何個ももらってもいいほどの方ですが、その科学者としての才能は豊かな文学性という裏付けにあるのです。
また、あののんびりした中国人が、ここ数十年で本気になり、一気に西洋を追い抜いたのは、日本人と同じく、彼らのDNAに連綿と続く強力な文学的特性と、常に純粋民族へ回帰しようとする働きのDNAを持つの中国人の実力であり、日本の金と技術を詐欺的に盗んだり強奪する三国人の生き方とは決定的に違います。
文学といい、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のような文句なしの世界的文学だけでなく、日本人の豊かな感性でしかわからない、しかし、普遍的価値を持つ珠玉の名品、辻邦生「嵯峨野名月記」、はたまた、人の心を豊かにしてくれる・楽しませてくれるのが文学であるならば、浅田次郎「極道放浪記 殺(と)られてたまるか」などは、これまた豊かな日本人の感性でこそ楽しめる稀代の文学書といえるでしょう。
③ フィクションをノンフィクションに変えた
2021年度主将より
2021-11-13 11:48:00NEW !
この府立(全日)直前のブログで、彼は「明日は絶対に勝つ」と宣言し、その理由まで列挙しています。
「どの大学よりもきつい練習をしてきたから。どの大学よりも声を出してきたから。どの大学よりも汗をかいてきたから。」
11月13日の時点において、この「予言」は「ホラ話」でした。
しかし、翌日には事実となった。
自分で嘘(フィクション)を作り出しておいて、それを自分ばかりでなく沢山の人たちと一緒にノンフィクションに作り変えていく。自分一人が勝つと言うのならまだしも、何人もの人間の目を同じベクトルに向けさせ、その集団での努力を1年間継続していくというのは、大変ではあったでしょうが、部活をやらない一般学生では味わえない楽しみといえます。
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