婚約者と勝負

 翌日の朝、占術の時間。

 少し遅れて部屋にやってきた九一郎さんは、座るなり疲れた顔であくびをする。


「眠そうですね。昨日は遅くまでかかったんですか」


「……いや、占術書の清書はさほどかからぬ」


 彼は視線を床に落とした。

 床には大きな地図。地図には格子状に細い線が引かれ、格子枠内にはそれぞれ記号がある。これらは占術記録で場所を指示しやすくなるよう考えた。

 格子枠内に置いたタロットカードは、小アルカナのワンド8が逆向きで置かれている。八本の棒がななめに描かれた、急展開を意味するカードだ。ワンドは火のエレメントで赤いイメージがあるから、私は『物の怪発生』にあてていた。


「えっと……夜中に馬で出かけてましたよね、暮馬さんと一緒に」


 彼は目を地図上のカードに定めたまま答える。


「夜中に馬? いや、夢でも見たのではないか」


 夢。

 そんなはずない、と思う。あれからしばらくして私は寝ちゃったけど、確かに見た。現に、九一郎さんは寝不足そうだし。


 何で? 嘘をついた?

 そう思うと、だんだん胸がざわざわして黙っていられなくなってきた。

 手指に固く力がこもっていく。

 

「夢ではありません」


 ハッキリした口調で私が告げると、彼はようやく異変を察知したように目線をあげてくれた。


法度はっとで、私に言えないこともあるんでしょう。だから、隠しごとを占術で暴こうとも思いません。でも、嘘までつかないでください」

 

「いや、法度は関係ない。そなたに言うべきことは全て伝えておる。不安になることはない」 


 九一郎さんは、私に言い聞かせるような声で語る。大人びた表情の彼は、以前お母様のお墓参りで言っていたように私を護る『兄』のつもりでいるのかな。

 禁止されてる法度じゃないなら遠慮はしない。


「実は、隠していることに目星がついてます。いくさ……じゃないんですか」


 ひと月近く前、占術をしていて五日連続で物の怪が現れる予知をした。

 それは今から二か月後に起きる。場所はこの伯父様の領内、海辺の村辺りから始まり伯父様の城に向かって進むんだ。周辺でもめ事や戦があるんじゃないかと、私でも想像はつく。


 普段なら九一郎さんは自分の意見を述べて一緒に考えてくれるのに、何も言わない。その後私から尋ねても何も言ってくれなかった。


「何で嘘までついて隠して、私と距離をおくんですか」


 九一郎さんはそれで平気なの? ……もう私に飽きちゃったの?

 それに、このままだと。


「もしかして、また私は何もわからず閉じ込められるんですか。四郎さんの時のように」


「そのようなことは無い。……奴の名を口にするな」


 九一郎さんのまとう空気がとげとげしく変わった。

 ダメだ、やっぱり平行線。


「じゃあ、私と勝負してください」


「勝負?」


 私にできる勝負ごとを以前から考えていた。武術に関することは絶対勝てないし、ジャンケンを教えても勝負は運だし、お酒の勝負なんてなおさら無理。

 九一郎さんも勝負に乗ってくれて、私に勝機があるとしたら。


「ひと月ほど前、五日連続で物の怪が現れる占術予知をしましたね。そのことを再度占いました。ひと月経って、予知内容が変わっていたんです」


「何……」と、九一郎さんがわずかに顔色を変える。


「その占術記録、戦に関係しますよね」


 時間が経つと、予知内容にズレが出ることがある。予知を知り、事前に対処を行うからかもしれない。

 一日の占術回数には上限があるから、『再占術』は九一郎さんと相談してからにしようと決めていた。

 これは私の独断ってことなる。


「九一郎さんが勝負に勝てたら、占術記録を渡します。でも私が勝負に勝ったら、戦のことを話してもらいます」


「意味の分からぬことを。どちらにしろ占術記録は必要じゃ。勝負など」


「勝負は色仕掛けです」


 ……間があった。

 ハエが縁側から入り込んで反対側の戸から逃げていく程度には、時間が流れた気がする。

 やっと言葉が頭に到達したのか、九一郎さんは動揺を隠しつつも言葉をはじき出した。


「は? な、何を、する気じゃ」


「占術を記した紙は、私の身体のどこかに隠しました。それを九一郎さんが見つける勝負です」


 九一郎さんの見開いた目は私の全身を泳ぎ、動揺を隠せていない。


「どこでも気になるところを探して下さい。でも、九一郎さんがその気になって私の着物の帯を解いたら……負けです」


 彼は、私の言葉にぴくりと反応したようだ。









 音を立てず障子を閉めた九一郎さん。密室となった空間で障子に背を向けると、真顔で私に立ち上がるよう要求した。


「立たせてください。同じように、私に自分で着ているものを脱げと要求しても、応じませんので」


「承知」と、九一郎さんはため息交じりで答える。


 彼は文机の前に座る私に歩み寄り、手を差し伸べてきた。

 私が手を取るとぐんと引っ張り上げられ、腰を掴まれる。

 ちょっと、どきっとした。


「昨日は余所余所よそよそしいと気にしておったな。それで、これか」


 そんな戸惑いと温度の違う何かが混じった声。

 彼を見上げると、照れや焦り、呆れともつかない何とも複雑な顔だ。


「俺に腹を切らせたいのか。婚約者のすることか」


「婚約者だからできるんです。九一郎さんが嘘をつくからでしょ、無理なら降参しますか?」


「うっ」


 婚約したとはいえ、国主様の許しがないから私に本気で手を出すと切腹。

 ……でも、もう本気で手を出す気なんてないのかもしれない。私も複雑な気分になる。

 どちらにしろ一応手は打ってあるし。


 九一郎さんは目を閉じる。気を落ち着かせるように一呼吸おき、目を開く。そして真面目な顔で「遠慮はせんぞ、良いな」と念を押してきた。


「ど、どうぞ。嫌ならこんなこと、しません」


 と言いつつも、少し恥ずかしくなってくる。でも帯を解いたら負けなんだし、九一郎さんだってそんなに──

 と思ったら、彼の手がいきなり私の帯にのびた。


「ちょ、帯を解いたら負けですよ」


「帯は解かぬ。帯の裏、帯に挟まっておらぬか確かめる」


「あっ、くすぐ、待っ」


 九一郎さんは帯が解けないように結び目を掴み、もう片方の手を帯の内側へと強引に突っ込んできた。

 締め付けが強くなり当然ちょっと苦しくなる。けどそれ以上にくすぐったかった。

 ちなみにこの世界の帯は細くて、紐に近いものをぐるぐる巻いて結ぶ。元の世界で見た振り袖の時のような太い帯とは違うんだ。


「こら動くな、帯がほどける」


 九一郎さんの手はぎこちなく帯の内側を探り、お腹から腰へ、腰からお腹へと一周まわっていく。

「無いか」と舌打ちして彼はつぶやき、大きく息を吐いた。何か考えているようだ。


 またぎこちなく、彼の左手が私の胸元に伸びてきた。

 重ね着した着物──小袖の間、その襟部分から浅く指だけ入れられ、探られる。

 ただそれだけなのに、私の心臓はどくどくと急に強く脈打ちだす。


「まぁ、懐や袖には無かろうな」


 彼もどこか気恥ずかしそうにしつつ、私から視線を外す。

 でもその視線が再び私の目をとらえたとき、じっと心の奥を探るような動きをした。


「閉じ込められたのは辛かったろうが、何故ここまでする。その……奴に何かされたのでは」


 あの時、四郎さんは私にいっさい触れていないと伝えたのに。でも今ごろ何で……?


「触れられてはいません。でも」


「でも? まさか肌を見られたのか」


 え。何でそんな話に?

 私のとまどいを感じ取ったのか、九一郎さんは真顔で私の両肩を掴んだ。

 何故か少し背筋がひやっとした。


「あの、触れずにどうやって肌を見るんですか」


 彼はその言葉で我に返ったように、頭を軽く振る。そして下を向き考え込む。今度は少し長い。

 次に顔をあげたときには、彼は少し神妙な顔つきになっていた。


「帯を解かずとも脱がせることは容易たやすい。まことに良いのか? 夢札ですら非常時以外は嫌がるものを」


「え……」


 ──よみがえる記憶。

 縁側で二人ならび、半月を見上げる。こちらを見た九一郎さんが私を押し倒してきた。そして、私の着物の帯を解く。

 でもあれは、物の怪が見せた夢だった。はじめて物の怪の予知をして、はじめて物の怪に遭遇して、はじめて彼を意識したからか。あの場面は頭に残っている。というか、忘れられない。


 それで──そっか。そういう時は……脱がせる時は、帯を解くものとばかり。


「やはりわかっとらんな。降参するか?」


 私から手を離し、九一郎さんは静かにきいてきた。


 夢札では上半身だけで抱き合った。夢でも恥ずかしかったのに、実際に肌を見られて触れられたら。ど、どうなっちゃうんだろう。

 夢で肌の感触も知っている。温かさも知っている。でも全然、違う。

 ……違うんだ。


 九一郎さんはさっきからやたらと確認してくる。

 ちゃんとそれを意識してくれているから、なんだ。


 何で? 急に彼の目が見られなくなった。でも、今さら引けない。


「降参なんてしません。い、いいです、好きなように探してください」


「……意地っぱりめ」

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