温泉にて

婚約者の異変

 近ごろ気になっていること。

 婚約者が、どこか素っ気ない。

 隠しごともしているみたいだし。


 ──こういうこと、誰かに相談できたら良いのに。




 白っぽいお湯を両手ですくうと、無色透明に見える。

 浮き上がる感覚に逆らわず足を伸ばすと、つま先から頭の中まで全部がほぐれていきそうだ。


「うはぁー」なんて、思わず変な声が出てしまう。


 お湯の中で足が伸ばせるのってこんなに気持ち良かったんだ。

 外の空気はりんとした生きている木の匂い。爽やかで、お湯との温度差が心地よい。


「さくさんも入れば良いのに」


 ふるふると首を横に振るさくさん。岩場でたすき掛けした着物姿のまま、見張りとお世話をしてくれている。

 こめさんもさっきまでいたんだけど、姿を隠して周辺の見張りをしてくれているみたい。


 ここは、武部伯父様の領地内にある温泉。

 元々は戦で負った傷を癒すための湯治とうじ目的でつくられたらしい。湯守役ゆもりやくの人たちが管理していて、今は家臣に解放しているとか。

 十人程度は入れる岩風呂。竹製の簡単な屋根と囲い、衣類を入れるかごを置く小さな棚がある。


 着替えて浴場から出ると、屋敷に続く竹林の道に袴姿はかますがたの九一郎さんが静かにたたずんでいた。


「良いお湯でした」とほくほく顔で私は伝える。でも九一郎さんはどこかぼんやりとしているようで。

 あれ、無反応。


「私だけ先にありがとうございます……九一郎さん?」


 隣に私が立つと、焦点がやっと合ったように彼は「ああそうか、良かったな」と少し早口だ。そして一人でさっさと先に歩き出した。


「札巫女は温泉を好むと聞く。やはりそなたもか」


 自分は温泉にわざわざ入る位なら、川に飛び込むか水浴びで充分だなどと笑っている。彼は熱いお湯が好きではないらしい。

 男の子みたいなこと言ってるなと笑みをもらしつつ、私は後をついて歩く。


 でもそうだ。そういえば、九一郎さんはまだ十六歳なんだった。いまだに彼の方が年上な感じがしていて不思議。

 そんな彼はここで、他に人が来ないか見張ってくれていたようだ。


 屋敷の屋根を軽く見上げて気がついた。えり首がひんやりする。……ちょっと髪がぬれちゃったかな。

 普段は後ろにゆるく一つ結びをしている髪を、一本のかんざしでくるくるとまとめ上げていた。温泉に浸かる直前、やり方をこめさんから教わったんだ。


 近くにある複数の屋敷は、湯守りの住居と湯治とうじで滞在する人向けらしい。今日はそこに宿泊させてもらうことになっている。


 そして今、夕方の占術のため九一郎さんと二人で屋敷の板張りに座り込む。

 

「だいぶ馬に乗れるようになりましたと伯父様に手紙を出してもらっただけなのに。お返事が『招待』で、しかもこんなに至れり尽くせりで……」


「例年よりも長雨が続いた。予知のおかげで助かったと、伯父上はかなり喜ばれておったからな」


 占術で視る領地が増えたので、支払われるお給料も増えた。その上でさらにご褒美。ちょっと恐縮してしまう。

 九一郎さんは、せっかくの心遣いなんだから遠慮なくくつろげばいいと笑う。


 特に伯父様の領内では河川の氾濫はんらんを警戒していたらしい。資金の関係もあって長年少しずつ堤防ていぼうの工事を続けているとか。


 災害の多い夏場、私は斉野平家の全領地で天気予報に近い災害予知を心がけていた。大雨に大風。台風みたいな大嵐もある。一度に六枚引く展開法で視ることにした。

 避難が必要なレベルか、そうでなければ作物を早めに収穫するか補強してもらって、多少は被害を抑えられる。


 馬で領内をかっぽかっぽと移動中、私が通ることを聞いていたのか、人々は農作業中でも笑顔を向けてくれていた。

 感謝してもらえたり、成長が目に見えたりすれば私もやる気が出る。今は四ヶ月以上先まで予知できるようになっていた。


 伯父様はお城でお菓子と食事も用意してくれていたんだけど、早々に切り上げて温泉に。

 顔を合わせなかったとはいえ、四郎さんがいるからかもしれない。彼は琴姫様と婚約したと聞いた。でも四郎さんの名前を口にすると、九一郎さんは不機嫌になる。もともと気が合わないのかもしれないけれど。






「よし、本日の占術も終いじゃ」

 

 もう黄昏どき。障子のすき間から差し込む光のすじ。九一郎さんの言葉を聞いた瞬間、私と彼の間を区切る壁みたいに思えた。


 九一郎さんは占術結果を記した紙束を持ち、さっさと部屋を出ていこうとする。これから彼は各所に向けて清書するんだ。

 そんな立ち上がりかけた彼の袖を急いで掴んだ。


「もう行っちゃうんですか」


「うむ、また明朝に参る」と、彼は何でも無いことのように口にする。


「最近何か……よそよそしくないですか」


余所余所よそよそしい? そんなつもりは……無いが」


 目をそらすと怪しまれるから、そらさないよう不自然に瞳が揺らぐような。

 彼はそんなぎこちなさを漂わせながら「何じゃ」と軽くきいてきた。


 そっけない理由はなの?

 ずっと気になっていた。今日は、今日こそはきいてみようか。

 私は意を決して口にする。


「婚約してからだいぶ経ちます。なかなか先に進めないし、もうあまり……私に構っていられませんか」


 そこで九一郎さんは、はじめて眉間を寄せた。


「何を言うか」


「そうじゃないなら、私に隠していませんか」


「隠す?」


「占術記録のことです」


「占術記録の何を隠すというのか」


 九一郎さんはやれやれと軽くため息をついてしまう。

 そして、またすぐに立ち上がろうとする。それが逃げるようにも見えるし、ただ忙しいようにも見える。

 でもやっぱり何かがおかしい。足りないよ。


「じゃあ忙しいからですか。抱きしめても……くれないのは」


 言いながら何となく九一郎さんの目を見られなくなっていた。そのまま床に落ちた黄昏のすじを追う。

 なんて言えば良かったんだろう。悲しくなってきた、こんな言い方したくなかったな……。


 少しの間のあと、九一郎さんは私の身体を掴むようにぎゅっと抱きしめてくれた。

 でも、何も言葉はない。

 さみしさが、埋まらないような。


 お互いの呼吸が静かに重なり始めた。さみしいけど、温かさは感じる。

 すると、耳元でかすれるほど小さく声が聞こえた。


「冷えてしまったのではないか」


「え? いえ……」


れている。ここは……寒そうじゃ」


 その時、うなじのあたりに温かくて柔らかいものが触れた。くすぐったくて、私は少し身体が震えてしまった。

 すると九一郎さんはさっと身を離し、座り込んで顔を下に向けたまま動かなくなった。


「九一郎さん?」


「また明朝に参る。そなたはもう休め」


 九一郎さんは膝を立て後ろを向きながら立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。ちらりと見えた顔は赤らんでいるようにも見えた。でも、黄昏たそがれの最期の光を受けていただけかもしれない。


 さっきうなじに触れたのは九一郎さんの唇だったのかな。別に逃げ出すようなことじゃないのに。二人でいるときはもっと──もっと、何だろう。足りない。


 私の占術が成長すればするほど、占術で視ることができる日数や回数が増えるほど、一緒にいる時間は『仕事』ばかりになってしまう。そうでなくても、最近の九一郎さんは以前ほど触れようとしてこなくなった気がする。

 何で……? さみしいな。

 

 そんな気持ちを引きずりながら、暗くなった部屋で布団に身をゆだねていたとき。

 ゆっくり戸を開けるような音と人が土を踏みしめていく音が。こっそり縁側の戸を少しだけ開けてみると、月明かりの下で人影が二つ。

 

 九一郎さん?


 一人は彼に見えた。もう一人は体格から暮馬くれまさんかな。馬を引いてきた。

 満月に近いからかなり明るい。そのまま二人は馬に乗ってどこかに行ってしまった。

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