梅のことば

 ──私は、今朝のことを思い返した。


 国主様と家臣が集まり、陣幕内で打ち合わせをした。各持ち場と人の名前を九一郎さんに通訳してもらう。

 それが終わった時、私に近寄り話しかけてくる人が何人かいた。そのうち二人は、夫候補だった。


 九一郎さんの通訳では、改めて領地での災害予知に感謝といったこと。

 でもその後が問題だった。

 通訳をうながされるように見える九一郎さん。目がギラリと光る。

 何? ちょっと嫌な予感が……。


「それほど札巫女を口説きたいなら、御自身で手法をお考えくだされ。ただし拙者は巫女守人。札巫女に気安く触れようものなら、斬り捨てることも許されておりまする。お忘れなきよう」


 場は、一瞬静まりかえった。


 まさか──と血の気が引いてきた私の目の前で、夫候補の二人は顔を歪ませていく。

 九一郎さんに掴みかかりそうな剣幕。止めに入った人の手も払いのけた。

 ど、どうしよう! とにかく「お待ちください!」と呼びかけた。


「こ、言葉がわからないとは言え、お気持ちはよくよく伝わっております。勇敢なお姿は、ぜひ山追の場で見せてください。大事な戦いの前に、怪我なんてしたら……どうか、お願いします」


 そう訴えると、激昂しかけていた人も、私を見て意外そうな顔でひとまず頷く。国主様からも声がかかったみたいで、場はおさまった。


 よ、良かった。心臓ばくばく、必死だよ。


 九一郎さんに目を向けると、彼は口の端に小さく笑みを浮かべた。感情を抑えてるけど、かなり頭にきてるみたい。


 ──口説き文句まで通訳を求めるなんて。

 夫候補の人たちは、私と九一郎さんの気持ちを国主様から聞いているはずなのに。


 その場を私だけ先に退出することになり、さくさんと馬などをとめてある場所に向かう。すると小姓こしょうさんらしき少年が追いかけてきて、私に絹の包みをそっと渡して去った。


 包みには細工のされたくし、そして折りたたんだ紙が入っていた。

 それには文字らしきものは少なくて、代わりに桃色の花の絵が。花びらが筆先で細かくたおやかに、しっとりと描かれてる。たぶん、撫子なでしこの花だ。

 そしてこの、花押サイン


 実は国主様と一緒に会ったとき、読めないのに手紙を渡されて困惑したことがあった。署名は文字と絵の中間っぽいデザインからか、判別はできた。後で聞いたらこのことを花押かおうというらしい。

 今回も、同じ人。


「さくさん、すみませんが……」


 失礼かもしれないけど、包みごと返してきてもらう。

 正直、私だって……少しも嬉しく思わない訳じゃない。

 でもこれを受け取ったら、想いを受け入れたってことになりそうで。





 ──それでも、また渡されてしまった。


 さすがに、どうしてもと立候補するだけあって粘り強い。

『札巫女』がそんなに欲しい? 他の人はそうかもしれない。でも、向山さきやまさんは──。


 私は、助介じょすけという人の目を見て謝った。


「助介さん、申し訳ありませんが、やはり私は受け取れません。でもあなたが処罰をうけるなら、この包みを私に届けたという印に──」


 私は、庭にたたずむ咲きこぼれそうな梅の木から、花を一つ手にとった。


「この梅の花を渡してください。この世界では違うかもしれませんが、たしか、『忠実』や『忍耐』という花言葉があるんです。助介さんが忠実に任務を行ったこと、そして向山さきやまさんには長引く山追にも忍耐強くあたってください、という意味で」


 聞くのもおかしい気はするけど、私は「九一郎さん、そういうことなんですが、いいですか?」と、隣に立つ彼に聞いてみた。


「俺が口を出すことではないが、構わぬ」そう答えた九一郎さんは腕を組み、仕方ないと言うように抑えた笑みを浮かべる。


 助介さんは、梅の花を懐紙に挟んで布にくるむ。私と九一郎さんに向けて一礼すると、去って行った。

 きれいな花をえがいてくれた。想いは受け取れないけど、同じく領地を守る『仕事』をする人として、私の気持ちを返したつもり。




 

 山追が始まってから何時間か経つ。そろそろ夕方に行う占術の刻限だ。国主様は、まだ山神を鎮めに入る合図を出していない。

 相変わらず山のあちこちには雲がかかり、雲から雲へ赤い大蛇が山の表面を這う。

 物の怪には食事休憩もない。疲れもない。山は動き続ける。


 前線では、特に目立つ動きはないままだ。このまま無事終わればいいけど。

 

「国主様はまだ?」


「うむ。そろそろだと思うが」


 ちょくちょく、ここまで飛び込んでくる蛇の物の怪がいる。

 九一郎さんや羽佐さん、暮馬さん、さくさん、サキガケが城内の屋敷周辺を警戒中。他に奥高山城から兵として来ているのは、十二人。国主様の兵もいる。


「いかんな、東が崩れた」


 九一郎さんが、戦線を見つめながら声を落とした。

 東側には、確か向山さんたちも居るはず。

 そう思って目をやった所に、ひと回りもふた回りも大きな赤い人の形をしたものが。

 物の怪兵のように、鎧兜のような外殻がいかくがある。でも、三日月のようにとがった大きなツノがはえている。


「九一郎さん、あれ……何か大きいの居ますよね」


「別種か」


 胸が冷たくなる。山城で皆がなかなか倒せなかった、あの大型の物の怪を思い出す。

 私は、タロットカードをケースごと胸もとで握りしめた。


「国主様から、山追いの間そなたをここで守るよう言われておる。めいに背くことはできぬ」


 九一郎さんも、逸る感情を押し込めるように言う。


「あんな大型の物の怪は、普通の人では倒せないんじゃないですか?」


「おそらく、鉄砲というものを使って頭をつぶせるはず。物の怪兵も真似をするやもしれぬ故、これまで使えんかったが」


「鉄砲? あるんですか」


「いや……なぜ鉄砲を知っておる? まだ数が少ないが、本家で扱えるものがいるという。しかしそろそろ合図が……」


 戦場に、白っぽい煙があがり始めた。


狼煙合図じゃ。これで山神を鎮めに入り、半刻かからず山追も終わる」


 九一郎さんがそう言い終わるか終わらないかのうちに、山脈のふもとの土煙がおさまっていく。

 こんなに早く効果があるなんて。すごい──


「いや、早すぎる」


 安堵の表情が一変し、九一郎さんが眉をひそめた。


「此度の山追は国境。河童も山神を鎮めたか」


 つまり、山脈の反対側で、あの河童国主が同じように兵を出し、祈祷などを行っていたのだろう、ということ。

 相手も国境を守るお城がいくつかある。こちらと同じように。

 人との戦に繋がる。それも考慮して、今回の山追では多くの兵を動員しているそうだ。


 蛇の物の怪が、物の怪兵が次々に消えていく。

 でも、大型の物の怪は消えない。それどころか、増えていく。

 何で?


 間もなく黄昏時。物の怪が現れはじめる時。


「あんなに物の怪が……まるで、先代巫女が心配してたようなことが」


「これまではらった邪気の行先ゆきさき、そして火ノ巫女が何処にいるかという話か」


 先代巫女が木片に残してくれたもの。予知というより個人的な考えだ。

 邪気は祓っても消えるわけじゃなくて、細かく飛び散るだけ。これまでに祓った邪気はどうなったのか。

 そして、私たち札巫女から切り離されたという、火ノ巫女の意識はどこにあるのか。

 何故、黄昏時たそがれどきになると物の怪が現れるのか。

 山追は予知で防げたとしても、物の怪は増えていく──。


「九一郎さん、山追はもう終わりですか」


「これはもう山追どころではない」


 過酷な修羅場と変わってきた戦場を前に、九一郎さんは私を横目で見やった。その目は黄昏をはね返すように鋭く光る。そして「絵札を頼む」と言って腰の刀に手をかけた。


「必ずそなたを護る、共に参れ」


 私は胸が熱く高鳴った。はじめて、あの力を使った実戦だ。

 タロットカードを胸に抱き、私は駆けだした。

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