騎馬兵

 私は一人で橋をさげ、山を駆け下りる。

 だいぶ日は落ちてきている。暗くて影が濃くて、足元の凹凸がわからない。二、三度こけた。


 何とか下りてきたら、物の怪の姿はすぐ目に入った。

 背中からも腕がはえた、三本腕の大鬼だ。赤い肌のあちこちに傷を負い、赤い血が滴っている。多少ふらつきながらも、周囲の人々に向けて腕を振り回していた。

 お腹が出ていて足が少し短く、体格がどっしりしている。頭に矢が飛んでくると、背中の腕が払いのける。


 門の近くにいた兵達が、開閉式の穴から必死に槍をつきだしている。やぐらでも矢が飛び交っている。敵の攻撃も始まっているんだ。


 さくさんとサキガケは、化け物から少し距離をとり、屋根の上から邪気払いの遠吠えを放つ。それは物の怪の身体を振動させ、動きを止めるものだ。

 その間に、二人の兵が刀で斬りつける。でも肉厚の身体は、深くまで通らない。

 というか、もうあまり武器も残っていないのかもしれない。折れた槍や刀が、あたりに落ちている。


 すると目を離した隙に、いつの間にか化け物がさくさんに詰め寄っていた。


「さくさん! 危ない!」


 太い丸太のような腕が突き出され、屋根が砕ける。さくさんは寸前に飛び降りる。

 サキガケも屋根の上で器用に避けるが、背中の腕で跳ね飛ばされた。小さい体が、弧を描いて宙を飛んでいく。


「うそ、やだ、サキガケ!」


 私は受け止めようと全力で走った。両手を伸ばす。

 ──受け止めた!……と思う。でも、重さをまるで感じない。何で? 両腕をゆるめて確かめた。


 私は膝をついたまま、そのまばゆい光景を目にする。


 サキガケは、月の光を浴びたように発光。私の腕から抜け出し、空中で大きく前足を出して背筋を伸ばす。そしてくるりと円を描き、身体を一回転。

 サキガケはその体の大きさのまま、西洋の鎧甲冑を身につけ、剣を持ったナイトに。ヘルメットからはサキガケの顔が覗いている。

 そして、身体の大きさに合う白馬に乗っているのだ。


「サキガケ?」


 あまりの光景に、ぽかんとするしかなかった。


 サキガケナイトは馬のいななきを受けて、勢いよく駆けだす。赤い化け物に向かって。

 空中を鳥よりも速く自在に飛び回り、物の怪の注意をひきつける。攻撃してくる三本の腕を余裕でかいくぐり──剣を素早く振り下ろす。

 つむじ風が走る音と共に、鬼の身体は真っ二つだ。


 その場にいた人たちも皆、私と同じくぽかんと口をあけて呆然とする。


 時を同じくして、門にかじり付いていた兵たちが、歓喜するように騒ぎ出す。何が起きたのかと思っていると、門の外がこれまで以上に騒がしい。

 一気に密度が倍になったような。でも、何か違う。怯え、逃げ惑う声が混じっているような。


 これは援軍だった。私の問いに答えたさくさんも、ホッとした顔をしている。九一郎さんの言っていた、伯父様が助けに来てくれたのだ。


 それに……聞こえる。九一郎さんの声だ!

 この大騒乱の中でも、私は彼の声、言葉は耳に届きやすい。私は物見のやぐらに途中まで登って、門の外を覗いた。


 月明りの中、馬上から槍で突き、振るう。何人もの敵兵を切り崩し、押し倒す。

 敵の集団を横からなぎ払い駆け抜けると、彼を援護するように何人もの騎馬兵が付き添う姿もあった。彼らは高いところを陣取りながら常に動き、低い位置に敵を突き落とし、追いやっていく。

 地形をよく知っている、慣れた動きだった。


「九一郎さんだ。生きてる……来てくれた……」


 すぐにぼやけて見えなくなる目を、何度もこすった。涙が出てきて仕方なかった。

 敵は散り散りになり、それほど時間はかからず撤退した。






「よく持ちこたえてくれた」


 門内に入ると、九一郎さんは馬から降りた。兜で隠れて、表情はちらちらとしか見えない。

 彼を取り囲み涙ぐむ一人一人に、声をかけていく。

 囲みから出ると、また別の集団に囲まれつつ、家老さんに声をかける。


 彼もよく見ると泥だらけで、鎧に干乾びた塊があちこちにこびりついている。この城でついた汚れじゃないみたいだ。


 私は、呆然とその光景を見つめていた。九一郎さんに駆け寄りたい。抱きつきたい。でも彼は、私だけの人じゃない。みんなの前でそんなこと……できないよ。


 九一郎さんはやぐらの下に立つ私に気づくと、驚いたように真っすぐ向かってくる。


「巫女、こんなところに……怪我はないのか」


 彼の眼は疲労の色が濃く、さらに大人びた顔になっている。

 

「は、はい」


 私の全身に視線を走らせ、安堵したように、ゆっくり笑顔を浮かべた。


「待たせて、済まなかった」

 

 渦巻くような感情を、喉の奥に詰まらせているようだった。


「無事でいてくれて、感謝しかない……」


「……九一郎さん……」


 気持ちが高ぶって、喉につっかかって、うまく言葉が出てこない。


「無事で、よかっ……おかえり……なさ……」


 重そうな兜から覗く彼の笑顔に安心して、結局また涙があふれてしまう。目を見て『おかえりなさい』って、言いたかったのに。

 九一郎さんは、いたわわるように静かに肩を抱いてくれる。


 そばに、誰かが近づいてくる音がする。金属……鎧の擦れる音。


 顔を上げると、ひときわ立派な鎧に身を包んだ、体格の良い中年男性が目に映った。

 彼は九一郎さんと会話を始める。


「いえ、まだまだ未熟者です。伯父上のおかげで皆の命が助かりました」


 九一郎さんの言葉で、やっと気づいた。

 この人が、援軍の……。

 伯父様はりんとした中にも、どこか温かみのある表情と声だ。何を言ってるのかわからないのが残念なくらい。


「はい、札巫女です」九一郎さんが短く私を紹介する。


 伯父様は、私に顔を向けると軽く頷いた。

 そして、何か話しかけられた。自らを指差したりしている。たぶん、あいさつをしてくれているんだと思う。


「ありがとう…ございました。私は……漆山紗奈うるしやますずなです」


 伯父様はうんうんと笑顔で頷いてくれる。

 九一郎さんが言うには、伯父様は私に、渡したいものがあるとのこと。

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