満月の夜に
やがて、腰の辺りまで弓なりの草に包まれ、草原に立つ私がいた。もちろん裸だけど、胸元は両腕で隠してる。下半身はない。
上半身だけとは言え、やっぱり恥ずかしい。でも、そうも言ってられない。
まだ時間は早いけど、九一郎さんは来るかな。
それほど待たずに、彼は草を掻き分け現れた。
あれ? なんか……急いでるような。
「
彼は普段よりも早口だ。
「えっ……あれからすぐに兵が集まったんですか」
「いや、父上が決断した。これ以上遅くなれば、手遅れになると。あとは島の兵とも合流したからな」
でも、予定より少ない戦力で戦うってことでしょう。一気に不安が押し寄せる。
「父上は戦の天才じゃ。初めての土地でも瞬時に地の利を見抜き、策を立てた。数の劣勢を逆手にとる」
彼は、自分もいつか追い付きたいものだと言って腕を組んだ。
「ようやく初陣。また紗奈の力を借りるぞ」そう少し固い表情で微笑むと、腰に腕をまわして私を抱きしめた。
「これが力の源じゃ」
嬉しい……けど、九一郎さんはどこか焦ってる。気を
初めての戦だし、意気込むのは当然。仕方ないんだろうけど……心配だよ。
今日、初めて人同士の戦いに巻き込まれた。あんな……しかも大勢でするんでしょ。
こんな時、どう言ったらいいのかな。わかんない……。
「あの……九一郎さん」
「ん?」
「か、かろうさんて……どういう字を書くんですか?」
「家老?」
私は、『
そういえば、『ご家老』とか確かに聞いたことある気がする。
ちょっと力を抜いてもらえそうな話をと思ったら、微妙におバカをさらしてしまった。
「はは、確かに
「は、はい……」恥ずかしくなってきた。
「……変わりないか」と言う彼の目つきが少し穏やかになった気がする。
「あ……」
ど、どうしよう。今の九一郎さんに言って大丈夫なのかな。もう島に渡っているのに。すぐ戦なのに。
援軍が来るから平気? でも……。
その時、急に騒々しい声や音が、私の背後から聞こえてくる。
もしかして──
私は、彼の頬に両手を添えて、そっと口づけした。
「九一郎さんを信じて待っています。戦いの勝利を祈って。必ず、無事に帰って来て」
「紗奈……?」
そこで、目が覚めた。
さくさんの予想通り、夜になったら門のあたりを囲んで敵が大騒ぎしていた。
援軍要請は出したみたいだし、大丈夫……なんだよね。安易にそう思っていたけど、心配になってきた。
そういえば、いつ助けが来るんだろう。
さくさんに聞いてみると、首を横にふるだけだ。
その夜はほとんど一晩中、鳴り物などで騒がれるか攻撃されていた。眠れなかった。
朝は少しの間静かで、また攻撃された。敵はいつ寝てるんだろう。離れたところで交代でもしてるのかな。
太陽がだいぶ高く昇ってきた。
もう今ごろ、九一郎さんは戦っているんだろうか。武術全般得意のようなことを言ってたっけ。お父様を天才だと言って、感服しているようだった。
お願いだから、無事でいて。
門の方も気になる。さくさんに何度かお願いして、近くまで様子を見に行かせてもらった。
すると、包帯を巻いたり血濡れの兵もいて、何人も怪我人がいた。ショックだった。
私、何も知らずに……。
門の近くは、生臭いような鉄っぽいようなトイレみたいな、いろんな匂いが混じってる。
それからは、必死だ。
包帯もろくに巻いたことがない。さくさんにかかわらず、周囲の人に手で直接教わったり、身振り手振りでして欲しいことを聞きながら、手伝いにまわる。怪我をした人の食事の介助も。
攻撃がはじまると、さくさんが私を引っ張って門の近くから避難させる。
あと、非戦闘員は石や岩を集めたり、湯を沸かして敵に浴びせる攻撃もしている。火をかけられるのも警戒してる。火消し役がいるんだ。
九一郎さんも気になって仕方ない。でも、うるさいし、気が落ち着かなくてまず寝ていられない。夢で会うなんてできない。
九一郎さんは、信じるしか、ない。無事を、信じよう。
私も、出来ることをしなきゃ。絶対、あの目を見て……顔を見て、おかえりなさいって言うんだ。
──翌日、夕方の占術。
下の屋敷は人であふれているし、門にも近いので騒々しい。どうしても山を登って岩隠れの屋敷で占術をする必要がある。
ここも音が届くけど、いくらかマシ。
疲れと寝不足で、頭が重い。身体が重い。指先までが重い。朝の占術も疲れてて、正直上手くいったかわからない。夕方くらいはしっかりしなきゃ。
緊張状態が続くのって、こんなにハードなんだ……。ニュースで、立てこもり事件とかあっても、大変だなぁ位しか思わなかった。
襲われてる状態じゃ、災害予知しても対処はできないだろうけど。それでも、私の役目だ。
カードのケースからタロットを出そうとして、二枚のカードがパサリと下に落ちる。
大アルカナの月。そして、小アルカナのソードのナイト。
月のカードか。そういえば、今日はそろそろ満月かも。
月のカードには満月の他、犬とオオカミと
先のわからない不安な状況に、本来いるべき場所からつい姿を現した生き物たちっていう絵柄だ。今の状況にかぶるかも。
ソードのナイト。剣を持ち馬に乗った騎士。大胆で素早く知的、風のような騎士。英雄のような人も表す。
こんなふうに馬に乗って戦えたら、九一郎さんにもついていけるのに。ここの敵だって、きっと……。
二枚のカードを、同時に手にする。
──!!
突如、地響きのような、重く気味の悪いうめき声が響き渡った。
こんなの普通じゃない。
私はカードをそのまま床に置き、岩隠れの屋敷を飛びだした。
日が傾き、間もなく黄昏時。ひんやりした空気が肺に入ってくる。
さくさんやサキガケも、崖の上から門の方を見ている。門の内側に、人の倍以上は大きいだろう赤い化け物が暴れている。
物の怪……! 占術が間に合わなかった。
「さくさん、私、ごめんなさい!どうしたら」
さくさんは数秒考えたあと、私に手のひらを見せてピタリと止めた。これは、『ここで待て』だ。
サキガケは飛び出し、さくさんも山を駆け降りていった。
兵達はかなり疲れているはず。
外は敵に囲まれ、頼みの援軍もいつ来るかわからない。
呆然と崖下の光景を眺めていると、化け物の周囲に人垣ができてきた。非戦闘員の人達だ。
その人達はその辺にあった斧やホウキなど、片っ端から道具を持ち寄り、石も投げつけてる。
みんな、諦めていない。
居てもたってもいられなくなった。
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