初陣

戦の気配

 紫微様城主様。つまり九一郎さんのお父様は、人望があり戦上手と言われているらしい。

 そんな話が出たのは、戦の気配を感じることがあったからだ。


 お隣の国となる、島の方からお客さん達が城を訪れた。

 以前より紫微しび様と手紙をやりとりしていて、斉野平家の傘下に入りたいと言っていたそうだ。でも、それがバレて元々の国主から見せしめに、人質の子ども達を殺されてしまったと。


「もう我慢ができない、一緒に戦ってほしい」と言って、直接助けを求めてきたのだ。


 人質が殺される。しかも幼い子ども。そんな人が国のトップなんだ。


「邪気がたまることについては合点がてんがいったな。もともと河童かっぱ野郎は好かん。とことん迷惑な奴」


 お隣の国主は、河童みたいな顔や頭をしているらしい。『舘岐たちわかれ』というけど、誰もその名で呼ぶことは無いんだって。本家とも散々争い合い、現在は停戦中。かなり手ごわい相手なのだとか。


 九一郎さんは、夕方の占術を終えた私の部屋で、いつも通り胡座あぐらをかき、腕を組んで息巻いている。

 今日は午後からさらさらと静かな雨音が響いていて、板間がぺたぺたする。湿っぽい空気は、何となく気分までもそうなりがち。


「戦になるんでしょうか」とおそるおそる投げかけてみると、「だろうな」とあっさり返ってきた。


 それに、戦って勝てば領地が増える。収入が増える。傘下に加わりたいと言われていて仲間意識があるためか、斉野平の郎党なかま達は、また自分たちに喧嘩を売られたと思うらしい。

 血の気の多い者って、こういうこと?


 この戦は、九一郎さんは絶対行くつもりだ。もともと、お父様含め周囲に一人前として扱われることを望んでいた。

 それに、武功を立てないと私たちは結ばれない。

 でも、危ない目にあってほしくない。


 九一郎さんは「しばらくそばを離れることになる。許してほしい」と私の目を見て告げた。


「さくとサキガケもいる。安全な隠れ屋もある。ひとりにならぬようにしてくれ」


「言葉がわからないので、不安もあります。でも……九一郎さんを失うかもしれないと思うと……」


 考えると怖くなってくる。戦なんて、私は経験がない。彼がすることも、されることも、想像するだけで恐ろしい。そして、彼を失ったら私は──


 彼は、優しく抱きしめてくれた。


「そう簡単には死なぬ。確かに、しばらく不自由だろうが……」


 私の言葉自体は、相手に伝わる。それに、人と人との繋がりは、言葉だけではないはず。意思疎通も、工夫次第でできることはあると言う。


「戦で俺を失うのが怖いのは、『言葉』が大きいか? だが、戦だけではないぞ。いつどのように人を失うかなど、わからぬ。俺は母を三年前に病で失った」


 居ないとは……聞いていた。


「戦か病か、飢えや災害か。落馬で逝く者もおる。この世は、人も自分もいつ死ぬかさっぱり分からぬ。別れを怖がるよりは、その時がくるまで……お互いに全力を尽くし、諦めずに生きるしかなかろう」


 全力を尽くして、諦めずに生きる。

 そんなの……ただ、言葉を受け取るだけで精いっぱいだ。

 私はそっと顔をあげてみた。思ったよりも穏やかな顔をした九一郎さんが目に入る。


「俺を想ってくれるなら、己の身を守り、生きることを考えてくれ」


 加えて、彼は私に『宿題』を出した。私自身を、生かし守るために。


「俺やさくが決めるよりも、自身で考えたほうが早く覚えるからな」


「確かに、そう……ですね」


 胸の暗い不安が晴れた訳じゃない。だけどせめて、自分の身を守る努力はしよう。九一郎さんが帰ってきたら、元気に迎えたいから。


 やがて、彼は少し神妙な目つきで小雨の庭を見やった。


「父上も心配でな。初めての土地、相手も手強いと聞く。少しでもお力になりたい。……済まぬ」


 私は、自分のことばかり考えていたことが恥ずかしくなった。彼には彼の立場があるし、お父様のことも心配だよね。

「そう……ですよね」口の中で、自分に言い含めるようにつぶやく。


 何をどう考えても不安。だったら、考えても仕方ない。できることを、するしかないんだから。

 暗い気持ちを振り払いたくて、ぶんぶんと首を振った。

 私に、できること──


「私も占術をして、少しでも成長して……あなたの帰りを待ちます。だから絶対、無事……帰って来て下さい」


「ああ、待っててくれ。そなたのそばに必ず戻る」


 そのまましばらく、静かな雨音が私たちを包んでいた。


「早く……帰って来てくださいね。1人で占術なんて……寂しいですから」


 すると、彼は急に強く抱きしめてきた。


「俺も同じ想いじゃ。毎日朝夕、占術の刻にそなたを想う」

 

 そして、彼は少し躊躇ちゅうちょしつつ、顔を近づけてくる。

 私の心臓は跳ねた。

 でも顔は少し近づいただけで、「糞、駄目か」とジト目で残念そうに呟く。

 すぐに廊下から複数の足音が近づいてくる。戻りが遅いと、彼に従事している家臣の男性達がお迎えに来るのだった。

 





 本家国主様から戦の出陣命令が出るのに、そう日はかからなかった。城内は慌ただしくなり、人が多く行き交うようになった。


 城主であるお父様からは、九一郎さんは巫女守人であることも引き合いに、参陣を止められていた。でも、私も納得していることだと伝わると、しぶしぶ承諾したそうだ。九一郎さんは元服する間もなく、参陣することになる。


 また後日になって陣触れが出されたようで、今度は出陣するみたい。

「父上も十五で初陣、一騎討ちで兜首をとっておる。俺も同じ年で初陣か」と言って九一郎さんは、初めて見た時の凛々しい鎧姿を見せた。城には武装した兵が集まっている。


 出陣の儀式をして、城に僅かな兵を残し、ほとんどが出て行ってしまった。出発するとなるとあっけない。


 九一郎さんは直前まで、従事する家臣の男性を、私のために残すか悩んでいたようだけど。


 出発前に、彼から出された宿題がまだ残ってる。災害予知も続ける。

 無事戻ってくるまで、私も出来ることをするんだ。

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