山伏と山犬
さくさん
今朝から、
彼女は『さく』さん。ほぼ無表情の若い女性。でも、冷たい感じのしない不思議な人。
替えの着物や寝間着、布団の用意、身の回りの細々とした生活用品などをそろえてくれて、お世話をしてもらってる。ありがたい。
布団は綿が貴重らしく薄い。冬だというのが嘘のように温暖な地域なので、これで充分だった。
今着ている服は薄手のゆるいニットにパンツのまま。着物だと袖でタロットカードを払いそうだから。
ただ、気分転換に外を歩いてみたい。でも、この姿だと目立ちすぎる。またあとで占いをするから、何度も着替えるのは面倒だなと思っていたら。
「さくさん、それ、教えてもらえます?」
さくさんは首を傾げつつ、私の指の先を追って、肩のひもを指した。
「そうです、そのひものくくり方」
侍女のさくさんがしていた、袖をひもでくくるやつだ。なんて言うのか忘れちゃったけど。
私はさっそく着物に着替え、教えてもらう。
着ていた服は、声をかける前にさくさんが持ち去ってしまった。ホントに仕事が早い……。
縁側から外に出てみる。
ここは山を切り開いて造られた、変わったお城だ。大河ドラマや時代劇もろくに見ないから、私が知らないだけかもしれない。
集落であることは確か。菜園もある。お店の区画もある。
高い木の柵で覆われた段差のある地面、道幅が狭いところはカクカクと曲がりくねる。いくつもの門、何かの建物や屋敷、見張り台、橋……
「また行き止まりだ」
想像よりも入りくんだ造りのため、とうとう迷子になった。
突然犬の吠える声がして、後ろを振り返る。
そこには、赤い
詳しくないけど、柴犬くらいの大きさで見たことのない犬種だ。目がくりっとしてて可愛い。尻尾をぶんぶん振りだした。
「きみ、ここの子?」
私がしゃがむと、犬は寄ってきた。
身体を撫でようとしたら、スルリと手をすり抜ける。そして、私のお尻の匂いを嗅いでいるらしかった。
「
気がつくと、九一郎さんとさくさんが近くに立っていた。
さくさんが何か言っている様子。
九一郎さんはさくさんをチラリと見てから、しばらくどう伝えるか考えている。何を言われたんだろう。
「その山犬の名はサキガケ。その……おなごの尻が……好きらしくてな。そなたは気に入られた。今後は後ろをついてまわるだろう」
「じゃあ……オスなんですか」
「雌じゃ」
あ、メスなのね。
またさくさんが何かを言っているみたい。それには、九一郎さんがわずかに呆れた表情を浮かべた。
「さく……それはいらぬ心配じゃ。俺は手を出さん」
何の話だろう、気になる。でも聞くに聞けない空気がある、ような。
くるりと私が後ろを向くと、サキガケもお尻を追いかけ、くるりと回った。
か、可愛い……。
サキガケが何かに気づいたようで、小さく低い唸り声をあげた。私の右袖を睨んでいる。
常に身に付けろと言われていたので、タロットカードを入れていた。
タロットを手に持つと、サキガケの視線が注がれる。確かにこれに反応しているみたい。
「巫女よ、その札……わずかに邪気を感じると、さくが言っている。昨日今日で染みついたものではない。おそらくこの世に
邪気? 何で。それにさくさんが何故、そんなことを。
彼女を不思議に思って見上げると、相変わらず表情は無かった。
「さくは、山伏一族の女じゃ。邪気祓いや武の心得もある。そなたの護衛も兼ねておる」
私とそんなに年は変わらないだろうに、色んなことを身に付けている凄い人だったのかぁ。
私はタロットカードを持って立ち上がった。
すると、九一郎さんが何やらこちらを見つめている。あの強い眼差し……九一郎さんも邪気と言うのがわかるの?
「……似合っている」
さらっとひとこと、やっと口にしたのは意外な言葉だった。
「着替えたのか」
「あ、ありがとうございます……」
着物は派手な柄物じゃなく、桃色糸でシンプルなものだ。胸辺りまでのびている黒髪を後で結っている。これも着物に合うのかも。
褒めてもらえるなんて思わなかった私は、単純に嬉しかった。
邪気祓いをしてもらうことになる。
さくさんがサキガケを呼び寄せたようで、並んで私に顔を向ける。
さくさんは片足を一歩引き、手を口に当て、サキガケと一瞬目を合わせた。
──ウオオオオ……
高めの音域で、遠吠えの二重奏。サキガケとさくさんが同時に吠えたのだ。
私の身体は、固い紙を少しずつ裂いた時に近い、乾いた震動に包まれた。
遠吠えの声が抜けていくと、身体の振動と共に、匂いのようにあった薄い存在感も抜けていった。
そして両手で持ったタロットカードは、心なしか軽く、手に馴染むようになった気がする。
「ありがとうございます。さくさん、サキガケも。確かに何か違う……」
「道具は、定期的に手入れや邪気祓いをした方が良い。手元が狂うようになる」
なるほど、そう言うものなのか。タロットを買ってから何も気にしたことが無かったなぁ。
やがて、遠吠えを聞いた人々が様子を伺うように寄ってきた。九一郎さんが「巫女が邪気祓いを所望した。祓えたため心配無用」などと説明してくれる。
それからお城について、九一郎さんが簡単に案内してくれた。
皆で城に立てこもって敵を迎え撃つ時は、色んな仕掛けがあるらしい。敵が来る前に橋も外すので、中央の屋敷にすぐ逃げろと。
何かあっても、九一郎さんとさくさんが側にいるから大丈夫だと言ってくれた。
本当に
怖い気もするし、実際はどういうことになるのか、見てみたい気もするし。想像がつかない。
部屋に戻り、夕方になる頃また九一郎さんがやってきて占術をした。
が。
私は、──吐いてしまった。
タロットカードをシャッフルして天に昇るだけでも、回数制限にカウントされるのかも。
板間なので、畳じゃなくて良かったとは思う。めまいと吐き気が辛くて、自分で片付けることも出来なかった。さくさんが変わらず無表情でやってくれた。
九一郎さんの前で吐いてしまったのもショックだし、夕方の占術も出来なくなってしまった。
「初日から上手く行くはずがなかろう、何も気にすることはない。ゆっくり休め」
「すみません……せっかく注意してくれたのに……」
悔しい。明日がんばる。
そう決意して眠った。
こうして占い師の私は朝に夕に、九一郎さんとタロット占いをする。
その後、彼とこの世界のお話しを少しずつする。
ここは海に囲まれた大陸? 島国と呼んでいいのかわからない。
山々に囲まれた土地。遠い遠い昔から少しずつ山追いによって、天然の要塞を造り上げてきたと言う。海に面した土地もあって、
「札巫女が昔からたびたび暮らしてきた土地じゃ。それで女が好むものも少しずつ増えたと聞く」
色々言ってたけど、石けんや、甘いお芋の生産などもそのひとつだとか。
斉野平の領土が、大きく分けて4つあることも教わった。城主様は斉野平家の四男で、その内の一つ、
長男の人が当主、国主様と呼ばれているとか。
あと運動不足にならないよう、サキガケとお散歩しつつ、城内を覚えることに努めている。
城外は野盗に襲われることもあるから出るなと言われてるし。
タロットカードは、災害場所の特定方法でつまづき中。
例えば、物の怪に割り当てたカードを引いたところで『それ、どこに出るの?』って。
もう少しで何か思いつきそうなんだけど、次に九一郎さんが来たら相談してみようかな。
そう思った日の夕方、とうとう不穏なカードが──
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