第43話 拭えない罪悪感


 寒くなると何をするにも大仕事のように感じて、束の間温かい暖炉の前で過ごすひと時だけが癒しだ。

 今日もそうしてエリーと共に時間を過ごしていると、読書をしていた筈のエリーが唐突に口を開き衝撃の一言を言い放った。

「どうして姉さんは、カシュパルさんに応えてあげないの?」

 思わず啜っていた白湯を噴出してしまう。それが変に気管に入り込んで、暫し激しく咽た。

 今まで静かに私達を見守り続けていたエリーも、どうやら我慢の限界だったらしい。

 私は呼吸を整えると必死に動揺を隠し、ひきつる口元に力を込めて言葉を捻りだす。

「何を言うんだ、エリー。今、こんな状況で恋愛などしてる場合ではないだろう」

 尤もらしい理由で彼女の質問を回避しようとしたのだが、エリーはそれを許さなかった。

「恋なんて後回しには出来ないものよ。その瞬間の心そのものなんだから。それにあの人、あんまりにも切ない目で姉さんを見ているんだもの」

 エリーの視線が突き刺さる。共に暮らしてきた彼女に適当な理由は通用しなかった。

 本当の姉妹だったらこんな会話をしただろう。つまりそれだけ、私達が仲良くなった事の証明でもあった。

「元恋人だったんでしょう? こんな場所にまで追って来てくれるぐらい情熱的だし、見た目は完璧で、いつだって姉さんを助けようとしてくれて。他にこんな人いないわよ。そりゃあ獣人の血を引いているけれど、姉さんは気にしないでしょうし」

 確かにカシュパルを上回る男は今生二度と出てこないだろう。けれどそもそも恋人だった事がないのをエリーは知らない。

「他の人に取られてから後悔しても、遅いわ」

 エリーの舌鋒の鋭さに困ってしまい、それでもどうにかこの話題を終わらせようとする。

「私には勿体ない男だ。他に相応しい人が現れたなら、それまでの事」

「姉さんたら」

 エリーは眉を吊り上げ、厳しい目で責めてくる。分かっているくせに、という彼女の心が聞こえてくるようだ。

 カシュパルがそう容易く他の人を愛する訳がない事を、私もよく分かってしまっていた。

 血縁関係があると思っていた時期でさえ、私に告白してしまう程に恋情を拗らせていたのだからその熱量は推察するに余りある。

 彼が過ごしてきた人生の時間を振り返れば、エリーが知る以上に私の為に生きてきた男だった。

 だからこそ口が重くなる。軽い気持ちで喜ばす為に愛を囁くなど、最もしてはならない。

深い溜息を吐けば、責め過ぎたと思ったのかエリーが少し眉を下げた。

 あまり詳しくは語りたくないのだが、エリーが気にしているようなので少しだけ私の心境を話す事にした。

「……言えない事が多すぎる。背負っているものも」

 今だって、カシュパルは私が年を取らない事を疑問に思っているに違いなかった。

 けれどただ黙って傍に居てくれる。それがとても有難く助けられて、申し訳なくなる。

 それに過去に剣を突き付けた彼に何も言わずに愛されるのは罪であるような気がして、結局カシュパルがしてくれる事を黙って甘受するだけの現状だった。

 私の表情を見たエリーは少し落ち込んだようで、視線を手元に落とす。

「それでも、あの人なら全部背負ってくれると思うけれど」

「かもしれないな」

 これ以上は話を続けたくなくて、私は席を立った。怒っている訳じゃないと示す為にエリーに軽く笑いかけたが、切ない表情で見返されてしまった。

「散歩でもしてくる」

 体を動かせば気も紛れるだろう。私は上着を羽織って玄関へと向かい、外に出た。

 吐息を漏らせば白い息が浮かんで、立ち昇って消えていく。薪割りをする音が聞こえ、カシュパルが作業場で薪を作っているのが分かった。

 視線を移せば無防備にも普段彼が被っている筈の仮面が壁に立てかける様にして放置されている。

 珍しく気の抜けた事をするものだ。普段は隙がなく抜かりない人であるのに。

 外ではいつ誰が訪ねて来るか分からない。顔を見られたら明日には人が見物にやって来るに違いない。

 届けてやろうと手に持ち、ついてしまった土を払う。

「おーい」

 声がして振り向けば、村に住むサムエルというおじいさんが此方に歩いて来る所だった。彼は私を見てほっとしたような表情をした。

「サムエルさん、何かあったのか?」

「ああ、牛が窪みに嵌っちまってね。カシュパルさんに手伝ってもらえないかと思ってな」

 それなら確かに力のあるカシュパルは適任だろう。カシュパルはすっかり村に馴染み切っており、平和な村人達との交流は私から逃亡中である事をひと時忘れされてくれる。

 呼びに行こうと思っていると、声をかける前に薪割りの音を聞きつけたサムエルさんが勝手にそちらに行こうとしていた。

 私の手にはカシュパルの仮面がある。緊急事態に血の気が引いた。村人達の距離のなさはいつもの事だが、今ばかりはその自由さが私を非常に焦らせた。

「待ってくれないか。私が呼ぶから」

「ああ、いいっていいって。自分で頼みに行くよ。そこにいるんだろ?」

 そう言って進んで行ってしまうサムエルさんを、強引に腕を掴んで止めるべきか。そんな事をしたら変に思われるだろうか。それよりも今先に私が走って行ってカシュパルに仮面を渡してしまうべきか。

 一瞬の内にそんな事を目まぐるしく考える。猶予はなく、仕方なく彼の行く手を遮るように回り込んだ。

「少し、少し待ってくれ。今はそう、散らかっていて汚いから!」

 サムエルさんは少し不思議そうにしながらも立ち止まった。薪割り場が見せたくないぐらいに散らかっているという場面が想像つかなかったのだろう。

 けれど今の内に仮面を渡そうと思ったその時、気がつけば薪割りの音は止んでいて私の背後に誰かが立つ気配がした。

「どうした」

「あ、」

 見られた。

 絶望しながら後ろを振り返れば、何という事はない。カシュパルの顔には別の仮面が付いていた。

 安堵のあまり体から力が抜けていく。そんな私をよそに、サムエルさんは嬉しそうにカシュパルに口を開いた。

「牛が嵌っちまってな。手伝ってくれんか」

「ああ。分かった。少し片づけたらそちらに行く」

「いつも悪いねぇ」

 そんなやり取りをして、サムエルさんは何事もなかったかのようにこの場を去って行った。

 残された二人。何故かどちらも暫し体を動かさない。けれど沈黙の後、堪えきれない笑いの吐息がカシュパルの口から零れ出た。

「……ふ、」

 見れば口元を手で覆い、体を揺らして笑っていた。私が焦るのを何処から見ていたのだろう。

「カシュパル、」

 恥ずかしさと怒りで責める様に彼の名前を呼ぶ。

 お前が紛らわしい事をしなければ、私も焦らず済んだのに!

 けれど私の怒りが効いた様子もなく、カシュパルは溢れる感情が堪えきれないとばかりに言った。

「何て可愛い人だ」

 新しい仮面の奥で、紫の目が私を愛おしそうに見つめて来る。胸の奥が騒めく。少し苦しいのに、不快では決してなくて。

 何だか直視出来なくなって、怒りが持続しているかのように背を向けて歩き出した。

「すまない。その仮面は裏が割れてしまったんだ。紛らわしく置いて悪かった」

 けれど顔を向けず演技を続けた。遠ざかる私に不安を覚えたカシュパルの声が追いすがる。

「セレナ、セレナ?」

 焦ったように私の後を追って来る気配。それが悪戯心を刺激する。

 カシュパルに追われるという事が、どうしてかこんなにも気分が良い。

「セレナ」

 腕を掴まれてカシュパルを振り向いた。慌てて私を引き留めて来るのがおかしくて思わず笑い、怒っていない事がばれてしまった。カシュパルの見える口元が安堵に緩んでいく。

「許してくれ。馬鹿にしたつもりはなかった」

 意地悪をし過ぎたか。私はカシュパルの背中を軽く叩いて、大丈夫だと教えてやる。

「分かったから行っておいで、サムエルさんが待ってるだろう」

 ほっとした様に頷いて、カシュパルは歩き出した。遠ざかる背中をいつまでも見送った。

 やがてその姿が何も見えなくなって、思わず呟いてしまう。

「……可愛いのは、お前の方だ」

 どれだけ体が大きくなっても、私のいう事を聞かなくなっても。それでも彼は『私の可愛いカシュパル』だった。手放した筈なのに、自ら私の所に舞い戻って来た。

 それが同時に可哀想でならない。

 王にもなれたお前に、全てを捨てさせたのは私だ。

 昔から抱いていた感情の上に、重ねる時間だけ別の心が降り積もっていく。それは次第に重さを増して、私を押しつぶそうとするのだ。

 壊れた果てにあるのは只の残骸か、それとも新しい何かが生まれるのだろうか。

 一瞬苦い表情を浮かべて、直ぐに消す。手に持ったままの古い仮面を、廃材の中に投げ捨てた。

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