第33話 祭りの日


 普段は清貧に過ごす近隣住民達も、感謝祭のこの日は財布の紐を緩めて浮かれ騒いでいるようだ。

 エリーが人に流されないように一番混雑している中心地からは離れて見物しているものの、遠くからでも一年かけて作られた山車が十分に見る事が出来た。

 癒しの力の持ち主、この地に降り立った神族の一人であるフェフェリロウナを模った山車だ。

 彼女は優しそうな顔をして手を差し出す様に前に伸ばしている。癒しの力の象徴として花の絵がその手に描かれており、それに留まらず生花を周囲に装飾されていた。

「うわぁ、凄い、凄いわ!」

 はしゃぐエリーを見て、連れてきて良かったと心から思った。

「足元に気を付けないと」

 段差で転ばないようにエリーを誘導する。つわりも収まって体調は安定しているものの、二人分の命だと思うと何でも心配になってしまう。

 そんな私に本人は気にした様子もなくけらけらと笑った。

「大丈夫よ。それよりも串焼きが食べてみたいわ。あ、飴細工も!」

「分かった。買って来る」

 エリーを歩き回らせないように広場の片隅にあるベンチに座らせ、代わりに私は欲しがる物を買いに行く。

 この祭りの為に生贄に捧げられた羊に倣って屋台で売られる串焼きは、名物の一つでもある。

 長時間並んだ末に獲得した戦利品を手にエリーの元に戻れば、彼女はうっとりと町中の様子に見惚れていた。

「待たせた」

「ありがとう」

 エリーの隣に並んで座り、串焼きを渡せば味の濃い素朴なそれを美味しそうに口に入れた。

 貴族として暮らして来た彼女は、贅沢で高級な料理など沢山知っているだろうに。

 彼女に倣い、串焼きに齧りつきながら喧噪の人々を見た。

 伝統的な管楽器を肩に担いだ集団が明るい音楽を鳴らせば、それに合わせて指笛で拍子をとる者がおり、周囲の人はそれにつられて体の衝動に任せた自由な踊りを創作する。

 家の屋根には統一された飾りの紐が垂らされて、いつもの見慣れた景色を特別なものに変えていた。

 二階の窓から路地を眺める者もいれば、酒を飲んで馬鹿笑いをする集団もいる。

 けれど共通しているのは皆が楽しそうな表情を浮かべている事だった。

 静かな一角から眺める彼らの狂騒は、何処か可笑しくて愛おしい。

 他の地域からの観光客まで巻き込んで、今日は他人と言う言葉を知らないかのように皆が肩を寄せ合っていた。

「セレナ」

「うん?」

「色々見せてくれて、ありがとう」

「ああ」

 その意味が今日だけに限らないのは彼女の表情から分かった。

「私この国の事、本当に好きになったかも。姉さんが言った言葉の意味、今なら分かるわ」

「……良かった」

 此処は私達が生まれた国で、私が愛している国だから。

 獣人を受け入れない人が多いが、それだけで悪と切り捨てるには人間は複雑な生き物だ。

 孤児を大人になるまで育て上げてくれるぐらいに、情深い人達でもあった。

「でも一番好きなのは姉さん」

「それは嬉しい」

 冗談めかして言うから笑って軽く流せば、エリーは口角を上げながら目だけで怒ってみせる。

「あ、本当よ? 本当なんだから」

「分かった分かった。それより、そろそろ終盤だからランタンを飛ばしに行こう」

 エリーとはぐれないように手を繋いで、人の流れに沿って歩き出した。

 フェフェリロウナの山車は町外れまで担いで移動した後に、火を放って燃やしてしまうのだという。民家の屋根の向こうでそれらしき大きな火柱が上がっていた。

 ランタンの道具はあちこちで売っているので、道すがらそれを二人分購入する。

 何処から飛ばそうか囁き合う私達は、まるで本当の姉妹の様だ。

「折角だから、一番高い場所から飛ばさない?」

 エリーの提案に周辺の地域を思い返せば、町の外に小高い丘がある事を思い出す。きっと誰にも邪魔されずにランタンを飛ばす事が出来るだろう。

「それなら少し遠くなるが、行ってみるか」

 私は彼女を連れて人混みから遠ざかるように移動した。やがて街頭もなくなり、日が落ちて空が暗くなってくる。

 村に帰るには遅くなってしまうのはもう分かっていたので、今日は町から少し外れた場所の宿を取っていた。

 向かう先の小高い丘はその宿の丁度中間に位置していた。

「此処なら良いんじゃないか?」

 見晴らしのいい丘の上に到着すると、私達はランタンの準備をした。

 火事にならないのかと不安になったが、道具を売っていた店の人が言うには燃料は少量で飛んでいる間に尽きてしまうし、この時期の木々は水分が多いので問題ないらしい。

 風を読んでタイミングを見計らう。そしていよいよ飛ばそうとランタンに火を点けた。

「せーの、」

 エリーの掛け声でランタンから手を放した。自由になったそれが淡く光りながら空に舞い上がっていく。

 空にはもう先に放たれたランタン達が光の川のように流れていて、私達の物も混じってその内の一つになってしまった。

 なんて美しいのだろう。

 明滅する光がまるで星の様だった。願いの数だけ空が飾られていく。

 暫しその光景に目を奪われていると、隣のエリーに静かに話しかけられた。

「願い事は何にしたの?」

「そういう事は、自分から言うものだ」

「私? 私はこの子が無事に生まれますようにって」

 そう言ってエリーは優しく自分の腹を撫でる。その願いは叶うだろう。

 過去の知識としてもそうだったし、何よりも神族の特別な血を引く子供でもあるからだ。フェフェリロウナは彼に祝福を与えるだろう。

 エリーから問うような視線が私に向けられたので、大人しく口を開く。

「……幸せでいますように」

「誰の事?」

 置いて来るしかなかった、私を愛してくれたカシュパル。あの子が私のいない場所でも、ちゃんと幸せに暮らしていますように。

 どうか、どうか。その代わり私は幸せになれなくても構わないから。

「離れるしかなかった、大事な人」

 あっという間にランタンは点となって、もうどれが自分の物かも分からない。

 脳裏にこの光景を刻み終え、さあ行こうと後ろを振り返って思わず息を止めた。

 私達の背後に漆黒のローブを纏った大柄な男が立っていたからだ。

 フードを被っていてその顔は見えない。見上げる程の長身と、ローブの下でも分かる程の鍛えられた肉体が威圧感となって私を圧倒した。

 しかしこれほど存在感のある姿なのに、一体いつの間にその場所にいたのかまるで気がつかなかった。

「エリー! 後ろに!」

 追手か、それとも追い剥ぎか。

 急いでエリーを背後に隠し、腰の剣を抜き放つ。怪しすぎる男にいつでも斬りかかれる心構えをしたが、男は自分の剣に手を伸ばす様子がない。

 攻撃してこない?

 もしかして風貌が怪しいだけの通行人だろうかとも考えだした矢先、男は自らのフードを取って顔を露わにした。

 月明かりに照らされた作り物の様に端正な顔立ちは、目の当たりにした人の言葉を失わせ目を奪う。

 後ろで一つに纏められた柔らかい黒髪は夜風に靡き、闇に溶けて暗い紫の目は突き刺さる鋭さで私を見ている。

 十年という歳月を経て幼さ故の華奢さは消え去り、代わりに闘いの日々を彷彿とさせる雄々しさがあった。

 角は見当たらないものの、彼を私が見間違える筈がない。


「……カシュパル」


 彼は呆然と呟く私に皮肉気な笑みを浮かべながら言った。

「そんな儚い物に頼るぐらいなら、直接自分で確かめればいい。……そうは思わないか? セレナ」

 ヨナーシュ国で暮らしている筈のカシュパルは今、あの時と変わらない強い眼差しで私の前に立っていた。

 


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