第32話 久しぶりの顔


 フロントの村では手に入らない調味料などを買いに、時折少し離れた市場に出なければならなかった。

 一人で大きな荷物袋を肩から掛けて村よりも随分と人の多い市場を練り歩いていると、唐突に私の名前を呼ばれた。

「セレナさん!」

「……ケペル?」

 振り向いた先にいたのは、記憶より幾らか老けた顔をしたケペルだった。道端に商品を広げ、露店をしているらしい。

 定期的に開かれる市場では時折遠くからやって来る商人も混じっていたので、ケペルは不自然な部分なく周囲に溶け込んでいた。

 けれど幾らアリストラ国に彼が出入りする商人だとしても、こんな田舎の市場で出会うとは全く思ってもいなかった。

 しかも山羊獣人の特徴である角が綺麗に見当たらない。まるで人間と同じような外貌である。

 彼は私の疑問に気がついたのか、耳元に口を寄せて小声で言った。

「実は錬金術師に友人がいまして。外見を少し変える魔法薬を作ってもらったんです」

「……それは凄い」

 素直に感嘆する。知識人の中には魔術と薬草学を組み合わせて驚くべき魔法薬を作り出す錬金術師がいるという。

 しかし殆ど全ての錬金術師がただの詐欺師であり、彼の友人のような本物はごく一握りでしかない。出会える事さえ奇跡のような希少な存在だった。

 昔の知人との再会に少し肝が冷えたが、ケペルはセレナの外見に対して何の疑問も抱いていないようだ。

 十年前、彼に自分の年齢を告げる様な真似はしていないので、少し若いだけの範疇に収まっているのだろう。

 ケペルは私の両手を握り、目をきらきらと輝かせて頭を下げた。

「ずっとお礼を言いたかったんです。十年前、貴女がくれたあの道具が私を盗賊から助けてくれました」

 どうやら過去の流れと同じように命の危機に瀕したようらしい。これ程感謝を示すのだから、余程危険な目に合ったのだろう。

「役立ったようでよかった」

 何もかも順調にいっているような気がする。本来死ぬはずだったケペルの生存は、自分に運命を変える力があるのだと信じさせた。

「ええ。命の恩人ですから。お会いする事があれば必ずお礼をしたいと思っていたんです」

「そんなつもりじゃなかったから、礼はいらないさ。それよりもそんな目に合ってもこの国に来るなんて、懲りてないのか?」

 私の苦言にケペルは恥ずかしそうに笑いながら頭を掻き、譲る気がない事を示した。

「この薬をくれた友人も人間です。彼は私があっちから運ぶ薬の材料を心待ちにしてくれているんです。私はそういった友人や常連客の方達に会えないのは嫌なんです」

 彼は大変な目に合ったにも関わらず、人間全体を恨む事など考えもしていないようである。

 ケペルの信念の強さは昔から変わっていないようだった。そしてやはり彼は善人である。

 変わり者の部類に入る程だと思ったが、振り返ってみれば他人にとやかく言える立場ではない自分がいた。勝手に親近感が湧いてしまう。

「それに、今はこの薬もありますしね。ご心配ありがとうございます」

「そうか。なら、もう何も言わない」

 私は笑い肩を竦めた。どうやってもケペルが両国を往来するのを止める事はないだろう。

 いつか姿を隠さず平然と歩ける日が来ればいいと願うが、自分の寿命が尽きる前に叶うとは思えなかった。

「そう言えば、セレナさん。あの人の事はお聞きにならないんですか?」

「ん?」

「カシュパルさんです」

 三年ぶりに聞いた名前に私の心が騒ぐ。自ら離れたとはいえ、余りにも可愛がっていた彼に心が揺れてしまうのは当然だった。

 そう言えばケペルはカシュパルと共にいる私を見た事がある。

 けれどあの時は只の店主と客の関係で、このように態々名前を出されてケペルに聞かれるような仲ではなかった。

 一体何が時を超えた間に起きたのか、興味が湧くのを完全に防ぐのは難しい。

 顔にそれが出ていたのだろう。ケペルは親切にも私に提案をしようとした。

「お知りになりたいなら……」

「ケペル、言わなくていい」

 言葉を遮って名前を呼ぶと、驚いて彼は眉を上げた。

 聞けば知りたくなってしまうから。

 彼が何処で何をしているのか。元気にしているのか。私の事を嫌ってしまったか。

 しかしそんな資格は、カシュパルの元を離れた時から自分にはない。

「でも……」

 それに今はエリーの事だけに集中しなければならない。下手にカシュパルが苦労していると聞いて、助けてやりたくなったらどうする。

 今行っている事は中途半端な気持ちでやり遂げられる事ではない。だから何かを言いたそうにしているケペルに首を横に振った。

「そうやって聞いてくるって事は生きているんだろう? それだけで十分だ」

 ケペルは何か言いたいような顔をしたが、私が全く聞く気がないのを悟って諦めた。

「そうですか……。分かりました。ところで、来月のお祭りには来るんですか?」

「お祭り?」

「はい。この町の感謝祭の日が来月でしょう?」

 思い返せば村人達の会話の中に出てきたような気もしたが、足を運ぶつもりはなかった。

 不必要に人混みに出て、エリーの居場所が知られてしまう事があれば目も当てられない。けれどケペルは妙にそのお祭りを私に勧めてきた。

「珍しい屋台もでますし。お祭りの最後にはランタンを空に飛ばすんです。願い事を祈りながら飛ばせば、神族に届くらしいですよ。それはそれは幻想的で、一度見たら忘れられません」

 余りに熱心に勧めてくるものだから、行く気がなかったのに興味が出てしまう。

 エリーの事を考えた。彼女はこんなお祭りに参加した事はないに違いない。

 まだお腹はそれほど出ていなから、体調が悪くなければ見るぐらいは出来る気がしてくる。

 何よりこの機会を逃せば、エリーがお祭りを見る経験は生涯ないかもしれない。

 この世界を愛してくれと願ったのだから、見聞を広める手伝いぐらいはするべきだろう。

「来月のいつだって?」

「十四日です」

 ケペルは私が前向きに検討している事を知って明るい表情になる。そんなに人に勧めたくなるお祭りなのだろうか。

 帰ったらエリーに行く気があるか聞いてみよう。

「そうか。ありがとう」

「いえいえ」

 ケペルとの再会は嬉しかったが、いつまでも話し込んでいる訳にはいかない。

 まだ買い物途中で、家で待つエリーも私が遅く帰れば心配する。逃亡者である自覚は常にあった。

「そろそろ行く。会えて嬉しかったよ、ケペル。ただ、私の事は誰にも言わないでくれないか」

「それはまた、どうしてですか」

「ちょっとばかり不味い相手に喧嘩を売ってしまって。追われているんだ」

 適当に誤魔化せば、ケペルは興味の視線を向けながらも言葉を飲み込んだ。商売人として自分の踏み込んでいい領域を理解したらしい。

「じゃあ」

「はい、また」

 こうして私は、次はいつ再会出来るか分からない彼に別れを告げた。

 世界は広く、旅を続けるケペルに偶然再会する奇跡などもう起きないに違いない。

 もう二度と会えない気持ちで人混みの中に紛れていく。

 セレナの姿が見えなくなったのを確認してから、ケペルは浮かべていた笑みを消して困った表情をした。

「まさか、セレナさんが拒否するなんて」

 そう呟き、落ち着かない様子で同じ場所を何度も円を描くように歩く。

「怒りますかね? 怒りますよねぇ……」

 未来の自分を予想し、単純にいかなくなってしまった物事に頭を悩ませる。

 暫くそうやって思考に耽っていたが、結論を出して聞こえないと知りながらも謝罪した。

「ごめんなさい、セレナさん」

 最終的には親切な彼女なら分かってくれる事を信じた。

 

 

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