第17話 悪夢

 

 子供達の笑い声が響いている。気がつくと私は幼い頃に過ごした孤児院にいた。

 懐かしいその佇まいに目を細めるが、一体何故自分が此処にいるのか分からない。

「セレナ、貴女は元気にやれてるのかしら?」

 声をかけられた方に目を向ければ、笑い皺のある年配の優しそうな女性がいた。

 この施設で親代わりに子供達を育てているエイダ先生だ。

 そうか。休暇でも取って様子を見に来たのかもしれない。

 そんな風に自分を納得させてエイダ先生の質問に答えた。

「はい。私は神殿内が仕事場だから、危険な事も多くないですし」

「そう。久しぶりに貴女に紅茶を淹れてあげようかしら」

「嬉しい」

 彼女は紅茶を淹れるのが上手だった。

 エイダ先生の後を追って孤児院の中に入り、来客用の部屋に腰を下ろした。もう私の部屋は無いので、客としての立場になるのが少し寂しい。

 昔の私の部屋を使っているのはどういう子供だろうか。後で少し話に行こうと思っていると、いつもと変わらない笑顔を向けてエイダ先生は私に紅茶を持って来てくれた。

 孤児院から部屋が失われても、同じように可愛がってくれるエイダ先生の温かさがじわりと胸に広がる。

「いただきます」

 紅茶に口をつけて久しぶりの彼女の味を堪能していると、エイダ先生は私の方を静かにじっと見つめていた。

「何か?」

 何か言いたげなその視線の意味を問いただすと、彼女は自分の固く握った両手に目を下げ、眉を八の字にして今にも泣きそうな表情を作る。

「セレナ、落ち着いて聞いてね」

 彼女の戦慄く声に鼓動が跳ねる。良くない報せである事は間違いなかった。

「ルドルフとテオ。……亡くなっちゃったの」

 ああ。

 仲の良かった兄弟達の訃報に私は思わず目元を覆った。此処で過ごしている間、彼らは私を良く気にかけてくれていた。

 私が近所の子供に石を投げられた時は、二人は本当の兄弟のように怒り懲らしめてくれた。

 食糧難で一人の食事が少なくなった時は、ルドルフの体が私よりも大きかったにも関わらず自分の分をテオと私に分けてくれた。

 一人他の子供よりも早く神殿に引き取られる事になった夜は、泣く私に付き添って共に寝てくれた。

 大人になってからも手紙で時折気にかけてくれていて、家族という言葉で私が真っ先に思い浮かべるのはエイダ先生と彼等の顔だった。

 兵士になったと聞いた時、不安はあったが体の頑丈な彼等であればきっとうまくやってくれると信じていた。信じたかった。

 しかし今、もうこの世の何処にも彼らがいないと知り寂しさが胸に押し寄せる。

 最後に見た二人の顔は、これからの悲劇を何も知らない温かな笑顔だった。

「エルシェンマに出兵したみたい。あっちは特に戦いが激しかったから……だから……ッ」

 エイダ先生は二人の顔を思い出したのか泣き崩れてしまった。

 同じ悲しみを抱え、私はエイダ先生を抱きしめる。

 ヨナーシュ国から侵略してくる獣人達は、恐るべき勢いでアリストラ国に侵攻してきていた。

 とうとう親しい人までも奪われる時が来たのだ。私は悔しさに奥歯を噛み締める。

 剣を持っているにも関わらず、私は時渡りの任務の為に前線に混じる事は絶対に許されていない。

「……獣人共め」

 エイダ先生の手前それ以上は口にしなかったが、胸で彼等に呪いの言葉を浴びせた。

 そうでもしなければ、胸に空いた喪失感から逃れられなかった。

 滲む涙の感触。浮かう憎悪が心に刻まれる。

 許さない。例え私が死んだとしても、お前らを全員地獄に突き落とす。

 怒りの炎が胸を焦がす。この炎が消える事なんて生涯ないだろうと思う程の強い感情だった。

 堪えきれぬ悲しみと怒りをやり過ごす為に、二人で固く抱き合う。すると突然、腕の中のエイダ先生の姿が消えた。

 驚き戸惑い周囲を見渡す。鼓膜に響く騒音が孤児院とは全く別の場所であると私に告げた。

「おぉぉおおおお!」

 何故か自分は戦場の只中に呆然と立っていた。

 人間と獣人の雄叫びが五月蠅い程に聞こえ、魔術の光が方々に飛び交っている。

 酷い混戦状態のようで、あちこちで人間と獣人が戦い合っていた。

 今度は何処だ?

 孤児院からこの場所に移動した不思議を疑問に思う暇はなく、目の前で獣人によって人間の兵士が殺されそうになる。

 急いで剣を抜いて獣人を切ろうとしたが、自分の剣は幻のように体をすり抜けていってしまった。

 戸惑っている間に、助けようとした兵士は殺されてしまう。目の前で消えた命に歯噛みをして、役に立たない剣を睨みつけた。

「何で斬れない……!?」

 人々は私の事など気がついていないかのように、周囲で関係なく戦っている。

 すぐ傍にいるのに視線も向けず、剣を振り下ろして来る事もない。まるで幽霊にでもなったかのようだった。

 神殿騎士になるように自分の運命は決められて、それが誰かを守る力になるならと必死で男性に紛れながら鍛えて来たのに。

 全部無駄だった。私の剣は誰にも届かない。目の前で人間が一人、また一人と殺されていく。

 また地面に倒れた兵士が大きく目を見開いたまま絶命する。それがとても無念そうで、彼の帰りを待つ家族の存在を思うと悔しくて悲しくてやりきれない。

 誰の剣も私の体を傷つける事はないのに、心が引き裂かれていく。

「死ねぇぇえええぇえぇっ!」

 誰かが一際大きな雄叫びを上げた。振り向けば返り血を全身に浴びた竜人の男に、人間の兵士が剣を振り上げて向かっている。

 その竜人は無造作に長髪が垂れ下がっていて顔が見えない。異様な雰囲気だった。

 他の獣人達は仲間から離れないように戦っているのに、彼の周囲には誰も居ない。敵も味方も。

 その理由は直ぐに分かった。竜人の男が剣を掲げると、その剣に刻まれた魔術文様が淡く発光する。

 次の瞬間、その魔術文様から怖気が走る程の閃光が走り、向かっていた人間の兵士は一瞬の内に焼かれて死んだ。

 まるで人間の大魔術師が描くような繊細な文様だった。それなのに威力は人間よりも桁違いに凄まじい。竜人の膨大な魔力によって成された恐るべき魔術だった。

 そんな魔術を幾つも無造作に放ったかと思うと、今度は剣を構えて人間の兵士達に走り出す。

 獣人の身体能力を存分に発揮して、まるで返り血を浴びるのを楽しむかのように次々と切り殺して行く。

 獣人達は巻き込まれないように彼から離れているのだと分かった。それ程にその竜人の戦い方と強さは他の獣人達と比べても規格外だった。

 私は傍で見ていて余りの恐怖に一歩も動けない。彼に勝てる自信が一つも見つからない。

 もしも彼が私を認識出来たのならば、数分も持たず死体になるのが目に見えている。

 他の兵士達と共に戦いたいと勇んでいた筈の心は、その圧倒的な強さの前にへし折れてしまった。

 地獄が作られていく。

 最早彼が行っているのは戦争ではない。一方的な虐殺だった。

 私はそれを唯々、見ている事しか出来なかった。

 周囲の人間を玩具の様に倒しつくし、積み重なった死体の山の上で漸くその竜人の動きは止まった。

 この場所だけ異様に静かだった。人間達は殺されて、獣人達は怯えていたから。

「ははは」

 場違いに明るい笑い声が聞こえる。目を凝らせば男は心底楽しそうに笑っていた。

「はははははははははッ‼」

 血に酔い、笑う男に獣人達でさえも安易に近づかない。

 男が天を仰ぐ。その顔が黒髪の間から見えた。雷に打たれたような衝撃が走る。

 見間違えようのない、良く見知った顔だった。


「カシュパル」


 私がそう呟くと、暗幕が落ちたように周囲が暗くなった。

 

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