第16話 珍しい商人


 四年経って容姿が変わったカシュパルとは対照的に、私の容姿は変わった部分が何もなかった。

 元の時間軸に到達するまでは私の時は止まるのだから、当然の事だ。カシュパルに会ってから既に八年。設定上の年齢は三十二歳になっていた。

 半月ぶりのフォン町の様子に目を細める。露店が並ぶ広場では服や野菜などが積み上げられて、威勢のいい声で店主が客を呼び込んでいた。

 岳牙での仕事は予定期日通りに終わった。多少余裕のある懐に、何か少しの贅沢でもしようかと店を回る事にする。

「カシュパルに何か買ってやるか」

 そんな事を言いつつ色々な商品に目を奪われながら歩いていると、とある露店の前で足が止まった。

「へぇ……珍しい」

 並べられた雑貨類は明らかに懐かしいアリストラ国のものである。ヨナーシュ国でこれらを見る事は殆ど無い。

「これは貴方自身が買い付けたのか?」

「はい、お客様お目が高い。全部私がちゃあんとこの目で見て、買い付けた物です」

 思わず店主に確認すれば、山羊獣人の優しそうな店主が口を開いた。

 彼の姿に、何かが引っかかる。私は彼を知っている気がした。会った事はないのは間違いないのに。

「アリストラ国の物のように思えるが」

「ええ。まあ、珍しいでしょうね。私みたいに獣人の身でアリストラ国の奥地まで行く人は」

「私はセレナ。良ければ名前を教えてくれないか」

 人間の私が、故郷であるアリストラ国に出入りしている店主と話したいと思うのは変な事では無い。特に何の疑問も持たず、彼は快く名前を教えてくれた。

「ケペルと申します」

 ああ彼は……これから死ぬ人だ。

 僅かに呼吸が乱れる。不吉な未来が彼を取り巻いていた。

 その名前、その外貌の特徴、その行動。間違いない。ケペルは本来、カシュパルをアリストラ国で救う筈だった商人だ。

 彼は孤児だったカシュパルを見つけ、育て……やがてカシュパルの目の前で人間に殺される。

 地獄のような生活から救い出してくれた恩人の死は、カシュパルを人間を憎悪する怪物へと変貌させた。

 目の前の善人そうな顔をしたケペルを見る。本人が善人であればある程、無残に殺された時の怒りと虚しさは深くなる。

 きっとカシュパルにこの人は優しくしたのだろう。あれだけ過去のカシュパルは人間を凄惨に殺して回ったのだから。

 助けられるものならば、この人も助けたい。

「私が言う事では無いが……人間は狭量だ。獣人が彼方に行くのは危険だからやめた方がいい」

 彼は恐れを知らない表情で、笑みさえ浮かべて言った。

「分かっています。それでも、誰もやらなければ何時まで経っても変わらないでしょう? 私は互いを知らないから怖いんだと思うんですよ。少しでも交流を持てば、いつか分かってくれる日がくるかもしれない。そう思ってやってます」

「……そうか」

 信念を持って行動しているなら、私が忠告しても止めはしないだろう。貴方が死ぬのを知っていると伝えても、頭のおかしい人間だと思われるだけだ。

 私は普段から万が一の時の為に持っていた、逃走用の煙幕弾が入った瓶を彼に渡した。

 地面に投げつければ周囲に煙幕が立ち込めて、逃げる時間を稼ぐことが出来る。

 ケペルは手に押し付けられた瓶を眺め、首を傾げた。

「これは一体何でしょう?」

「煙幕弾だ。あちらの国にいる間は持っていた方が良い」

 私の言葉に彼は驚きに目を瞬かせ、それから嬉しそうに目を細めた。

「ありがとうございます。あ、何かサービスしますよ!」

「いや、気持ちだけで十分だ」

 そんなやり取りをしていると、直ぐ近くからカシュパルの声が聞こえた。

「……セレナ?」

 振り向けば久しぶりのカシュパルの姿があった。隣のケペルが息を飲んだのが分かったが、それは彼を見た人の普通の反応である。

 年を重ねるごとに体格は増し、人を惹きつける容姿に磨きがかかった。今もまた、見ない内に背が伸びた気がする。

 引く手あまたのこの子の心を掴むのは一体どんな女性だろうか。

 そんな老婆心を抱きながら、私はカシュパルに口を開いた。

「カシュパル、久しぶり」

「おかえり」

 カシュパルは並ぶ雑貨の中からハンドクリームの入った小瓶を取ると、値札に書かれた金額をケペルに渡す。

「ありがとうございます!」

 過去を変えた今となっては何の関係もなくなった二人の筈だが、何故だかカシュパルは金銭のやり取りをする間、見極めるようにケペル注視する。

 しかし品物が売れて無邪気に喜ぶ彼に直ぐに興味を失った。

「行こう」

「ああ。ケペル、では」

「はいーまいど!」

 私はカシュパルに腕を引かれ、いつもより早足で連れられる。不機嫌なのが伝わり、理由が分からずその後頭部を見つめた。普段私が帰って来た日は機嫌が良いのに。

 人の往来が少ない道まで来て、漸くその歩みが私に合わせたゆっくりとしたものに変わった。

「……ああいうのが好みなのか?」

「は?」

「初めてだろ。仕事道具を無償で譲るなんて」

 思い返せばケペルは三十後半で見るからに善良な顔貌である。自分の実年齢からすれば、相手として十分に可能性のある年齢差だった。

 カシュパルの懸念に気がつき、思わず笑ってしまいそうになる口角を必死で押さえた。

 誰が誰の心配をしているんだ。

「アリストラ国によく出入りするようだから、少し気を遣っただけだ」

「……そう」

 ほっとしたような声色が可愛らしく、もう大きくなったにも関わらず頭を撫でてやりたいような衝動に駆られた。

 もう部下さえいるのに、いつまでも子供扱いしていたらまずいと自分を律する。

「カシュパルこそ、気になる女の子はいないのか?」

 彼が誰かを好きになったなら幾らでも協力してやるつもりなのに、生憎興味のない話題のようで硬い声が返ってきた。

「いない」

 ハンドクリームを買ったからてっきり贈る相手が出来たのかと思ったのに。どうやら考えすぎだったようだ。

 家について明かりをつければ、綺麗に片付いた部屋が私達を出迎えた。アンスガーで暮らしていた狭い家とは随分違う。

 治安がいい立地に、広々とした室内。家具も寄せ集めの安い物ではなく、実用性を重視したきちんとした家具が一式揃えられていた。

 養育者として情けない事に全てカシュパルが用意したものだ。この四年、星は空にあろうが地にあろうが関係なく輝くという事実を思い知らされた。

 アンスガーという辺鄙な田舎町はカシュパルの成長に不利だっただろうに、いつの間にかチームを大きくしてこの中級都市に居を構えるまでになっている。

 一国の王の資質は伊達では無く、私の凡庸な能力ではカシュパルの才能をこれ以上押さえつける事は出来なかった。

 装備を外し座り心地の良いソファーに深く腰掛けると、隣にカシュパルがやってきて淹れたばかりの紅茶を渡してくれた。

「ありがとう」

 彼はこうした細々とした私の世話を焼くのが好きなようだった。時折やり過ぎな気がする時もあるが。

 紅茶を口にしながらカシュパルが眉間に皺を寄せて言った。

「いつまで岳牙で働くつもり?」

「辞めるつもりはないよ」

「金ならもう充分あるだろ」

「カシュパルの金だ」

 私は生活で共有する物の他に、彼から一切金銭的なやり取りをしていない。とはいえ購入する物は仕事で必要な物だけなので、たまの稼ぎだけで十分である。

 カシュパルの稼ぎは私などとうに超えているので、実際私が稼がなくてもいいのだろう。

 けれどもそうしないのはカシュパルの養育者としての意地と、戦いの勘を鈍らせない為だった。

 私の任務はカシュパルだけではない。いつか彼の元を去って、もう一人の所に行く時に戦えないのでは話にならない。

 そんな事情を知らずにカシュパルは、私を案じて危険な仕事を止めさせようと努力してくる。

その気持ちに応える事は出来ないが、慕ってくれる心は素直に嬉しかった。

「そういうお前はどうなんだ。紅盾の方は順調か?」

「問題ない。人も増えてきたし」

 彼の作ったチームは日ごとに名声を上げ、人員も増やし大きくなっている。その事実が少し恐ろしい。

 カシュパルに従う部下の姿。彼自身の類稀な才覚。どちらも嘗てのバルターク・カシュパル王を彷彿とさせる。

 だからお節介を装い、彼の仕事を阻害する一言を口にした。

「目の届かない所が出てくるから、紅盾を大きくし過ぎるな」

「ああ。これ以上忙しくなるつもりはないから」

「そう、ならいいんだ」

 それが本心か見極めたくて視線をカシュパルに向けたが、素知らぬ顔で内心が読めない。

 しかしこれまでの経験から私が強く言えば何でも言う通りにしてくれるだろうと、それ以上の小言は止めた。

 彼が私を殊更大事にしてくれているのは、周知の事実だからだ。

「あ、そうだ」

 カシュパルが思い出したように先程購入したハンドクリームを持ってくる。小瓶に入ったそれを少量指で掬うと、私に向かって手を差し出して要求した。

「手、出して」

 まさかそれは私用だったのか。

 驚きながらも大人しく手を彼の手に乗せれば、大きな掌に包まれてクリームを摺りこまれる。

「何処の狩人が手荒れを気にするんだ」

 自分でも分かる程呆れが声色に乗ってしまった。けれどカシュパルは平然として口を開く。

「俺」

「柔らかくなると困る」

「その時は狩人を止めればいい」

 そんな事を言うものだから思わず笑ってしまった。

 手を柔くさせ、私に魔物狩人を止めさせようとする壮大な計画があまりにも可笑しくて可愛らしい。

「それは本当に、困るなぁ」

 口で弧を描きながらされるままにしていると、カシュパルも可笑しく思ったのか口元を緩ませて笑った。

 幸福な時間が流れていた。けれどこの時間に終わりが近づいている事を、私だけが知っていた。


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