第15話 紅盾


 魔物狩人のチーム『紅盾』が借りている事務室にて、鹿獣人のオリヴェルは緊張した面持ちで椅子に腰かけるカシュパルを見た。

 竜の寵愛を一心に受けたような彼は、夜の化身と言われても納得してしまうような美貌を持っている。

 手にした書類に紫の鋭い目を素早く走らせ、一枚ずつ捲る動作さえ端麗で優雅なように見えた。

 まだカシュパルが十八歳だという事実を、オリヴェルはよく忘れてしまう。

二十三歳である自分からすれば弟のような年齢差であるのに、彼に勝る物は何一つ無いように思えるからだ。

 カシュパルが友人のオレクと共にこのチームを作り上げた時、一体誰が此処まで名のあるチームになると予想しただろうか。

 彼は当初から革新的だった。魔物をなるべく損傷しないように討伐し、その魔物の換金出来る部位の一部を依頼者に渡したのである。

 通常魔物の討伐は生活が脅かされるからであるとか、材料として一部の部位を集めて欲しいなどの依頼が多かった。

 そして依頼以外の魔物の部位については、魔物狩人が全て独占する事が出来た。

 あえて討伐部位を渡すというカシュパルの、取り分を少なくするだけのように思えたこの行為の効果は程なくして現れる。

 金になる魔物の討伐依頼の指名がカシュパルに殺到したのだ。

 金にはなるが脅威にはならない魔物は今まで一般市民からは情報提供などされていなかった。

 しかし討伐が成功した時自分にも分け前がもらえるとなれば、どうしてそれを無視出来るだろう。

 やがて真似しだした他のチームも出てきたが、上手くはいかなかった。

 紅盾程綺麗な状態で討伐する事が出来なかったからだ。これは結局、カシュパルの技術力があってこそ成り立つ方法だった。

 それ以外にもギルドのように事務員として非戦闘員を専用に雇うなど、どれもこれもカシュパルの考えは革新的で恐ろしい程上手くいく。

 オリヴェル自身が商人から引き抜かれた身であるので、それがどれほど通常でない考えであるのかよく分かっていた。

 カシュパルは目を通していた書類から顔を上げた。

「アグナの目の売却価格が安すぎる。北部の氷虫の虫除け材料になるから、これからの時期もっと強気で売ってくれ。それとこの前の単眼牛討伐の滞在費が何でこんなにかかったのかアビガイルに確認したか? それと……」

 次々と指摘される内容に舌を巻く。確かによく確認すれば、改善の余地のあるものばかりだった。一頻り聞き終えた後で、少し落ち込んだ気持ちで頭を下げた。

「はい……了解です」

 オリヴェルはカシュパルにその年で一体何処でそれらの知識を何処で手に入れたのかと聞いた事がある。

 そうすると明確に書籍や人の名前を出された。つまり、彼は記憶力と推察力が尋常ではないのだった。

 カシュパルは読み終えた書類をオリヴェルに渡すと、席を立ちあがり多くない自分の荷物を纏めだした。

 普段、隙の無いカシュパルが唯一見せる子供らしい面。その理由に思い当たり、オリヴェルは緊張を解いて口を開いた。

「今日はセレナさんが戻って来る日でしたか」

「ああ」

 カシュパルは口元を緩ませて柔らかく笑った。

 活動拠点をより人の多いフォンの町に移した時、セレナもカシュパルについて共に移動したのだ。

 けれど岳牙の仕事を完全に辞めた訳ではなく、今も時折アンスガーに帰っては岳牙に合流している。

 今日はセレナが仕事を終え、フォンに帰ってくる日だった。

「後は頼んだ」

 いそいそと帰り支度を済ませ扉を開いたカシュパルだったが、丁度茶髪の猫獣人の女性が部屋に入ろうとしていた。

 彼女はカシュパルの顔を見て弾ける様な笑顔を向ける。

「カシュパルさん!」

「ティーナ」

 嬉しそうなティーナとは対照的に、カシュパルは無表情で僅かに眉を動かしただけだった。

 ティーナは最近紅盾に入った追跡能力に優れた魔物狩人である。

 まだ十七歳だというが豊満な肉体は既に完成されており、女性的な魅力にあふれた姿だった。

 本人も自覚していて、異性において自信があるのが困った所でもあった。つまりカシュパルを明らかに狙っているのである。

「あの、小型の魔物の追跡で新しい方法考えたので見てもらえませんか?」

「オレクに言え」

 すげない対応にもめげずにティーナは言葉を重ねる。

「オレクさんはちょっと忙しいみたいで」

 申し訳なさそうな顔を作ってカシュパルに迫るティーナに、オリヴェルは額を手で押さえた。

「ティーナさん。今日はこれからカシュパルさんは手が空きません」

 横やりを入れたオリヴェルにティーナの不満げな視線が刺さるが、寧ろ感謝して欲しいぐらいだった。

「セレナさんが帰ってくる日です」

 その名前を聞いた瞬間、ティーナの体が硬直する。紅盾の中において、カシュパルの機嫌を損ねたくないなら忘れてはいけない名前だ。

 新人は初日にその名前を聞いて、数日の内に理解し、一月もすれば勝手に体が最優先するようになるだろう。

 セレナに対するカシュパルの逸話は枚挙に暇がなく、耳を塞いでも聞こえてきそうな程である。

 カシュパルはそれ以上時間を浪費したくないと言わんばかりにティーナの横を通り過ぎた。振り向きもしないその姿にティーナが無念の表情を向ける。

「ああ……行っちゃった」

「彼を困らせないでください。ご存じの通り、潔癖な方ですから」

 ティーナの片思いが成就する事はないだろう。オリヴェルが見る限り、カシュパルは恋愛に興味が一切ない。

 飛びぬけた容姿である為、カシュパルが言い寄られる事はよくある光景だ。

 けれどもどんなに魅力的で艶やかな女性にも視線一つ寄越さない。そして鬱陶しく思えば容赦なく対処した。

 一先ずカシュパルが能力を評価して様子見しているから無事であるだけで、あまりに目につく場合はティーナであっても傍に寄れなくさせられる筈だ。

「別に……本当に用事があっただけだし」

 口を尖らせてそんな事を言うティーナに呆れた溜息を吐いた。彼女はまだ知らないのだ。カシュパルが本当に拒否したら自分がどんな目に合うのか。

 態々教えてやる親切心もないオリヴェルは、扉を勢いよく閉めて出て行ったティーナを哀れむ。

 カシュパルが一言ティーナを否定する言葉を口にするだけで、後は周りが勝手に対処してしまうだろう。

 紅盾は年齢性別関係なくカシュパルの信者のような者ばかりなのだから。それは時に加減を知らない。

 それは全く、恐ろしい程の求心力だった。

「あの調子では見なくなる日も近いでしょうか」

 セレナが善人である為最後の一線を越える事はないだろうが、この町から居なくさせる方法はいくらでも存在した。

 カシュパル自身にタブーはない。周囲の者はそれを良く理解し、意を汲んで実行する。

 友人や仲間と互いに呼び合うが、果たしてそれは本当だろうか。

「望めば王を目指す事も出来るでしょうに。勿体ないですね」

 間近でカシュパルを見ているオリヴェルは、自分の雇用主の能力を他の者と同じように心から信じている。

 活躍の噂を聞いた様々な組織がカシュパルを求めて連絡してきた。中にはかの有鱗守護団の関係者も含まれていたが、その手紙をオリヴェルが見たのは屑籠だ。

 どんな栄光もカシュパルの心を揺らす事はない。

 それはセレナが望まないという、たったそれだけの理由の為だった。

 オリヴェルは考える事の無意味さに気がつき途中で止め、疲れた首を動かす。頼まれた仕事が山の様に残っていた。


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