第11話 有鱗守護団
町の外れにある蒼鳥亭という酒場は、酒が安い事もあってよく岳牙の仲間が利用していた。
私が一人で利用する事はあまりないが、情報交換も必要なので適度に顔を出す事にはしている。
今日はヘルベルトに呼び出され、酒と肴でとりとめのない話をだらだらと続けていた。
「まさかシモンの奴がこんなに早く引退するとはなぁ」
「本当に。まだ元気そうに見えたのに」
最近岳牙を抜けてしまった仲間の話だ。その前は倒した魔物の話だった。思いついたままに会話が続いていく。
正直こういうのは好きじゃないが、ヘルベルトは恩人だった。彼がいなければ、仕事を探すのは大変だった。表立った差別も彼のお陰で随分緩和されていると感じる。
だから断る事も出来ず適当に相槌を打っている内に、会話の内容はカシュパルの事へと移っていった。
「そろそろ、カシュパルも本格的な狩りの場に出してやったらどうだ」
「……いつかはとは思うが、まだ早いのでは?」
「遅すぎるぐらいだ。この前手合わせでクレトに勝ってたぞ。過保護だな」
岳牙に所属する鹿獣人の仲間の名前を出し、ヘルベルトは呆れた顔をした。
「別に岳牙じゃなくてもいい。いや、あいつの為を思うならもっと手広くやってるチームの方が良い。正直、人間の血が入ってるから、どの程度の実力になるかは全く期待してなかった。けど」
ヘルベルトは一段声を低くし、私に真剣な目を向けた。
「あいつは間違いなく、竜人だ」
そんな事は分かっていた。環境さえ提供してやれば、カシュパルは獣人達の王になれるのだから。
もしかしたら、今日彼に誘われたのはこの説教を聞かせる為だったのかもしれない。
「セレナ。人間の子育てがどうだか知らねぇが、同じに考えるな。守ってやるだけでなく、一人で立てるように育てろよ。次、カシュパルが狩りに入れろって言ってきたらもう断る気はねぇからな」
「そうか」
素直な返答が予想外だったのか、ヘルベルトが片眉を上げる。
「お、観念したか」
「……私はあの子が、普通の獣人として生きて欲しい。目立って幸せな事なんて、多くないだろうから」
「そりゃあ、無理だ。何よりあいつ自身が強くなることを望んでる。竜の子をいつまでもトカゲとは言い張れない」
流石に、これ以上無理を言ってカシュパルを狩人のチームに入れさせないのは難しそうだ。
カシュパルが料理人でも目指すと言ってくれれば、こんなに頭を悩ませる事もなかったのに。
カシュパルは恐らくセレナの為に強さを求め、そしてその背を追って魔物狩人になろうとしている。
ヘルベルトの尤もな言い分に無言で酒を仰いだ。私達が静かになった分、他のテーブルの会話が漏れ聞こえてきた。
「……ゃ、……て。多分あれは、有鱗守護団の団員だった」
「嘘だろ? 何でこんな辺鄙な場所に……」
血の気が下がって、椅子を倒して勢いよく立ち上がった。
竜人が近くにいる。カシュパルを隠さなければ。下手に才能を認められ、有鱗守護団の元に連れて行かれてしまえばもう手が出せない。
「ヘルベルトすまない。続きはまた今度」
そう言って去ろうとした私の腕を、ヘルベルトが強めに掴んで止めた。
「ヘルベルト?」
「……大丈夫だ。カシュパルにとって悪い事はしねぇよ」
その言葉に、はっと気がついた。
「有鱗守護団が来るのを知っていたのか?」
「アイツを腐らせるつもりか? 少しでも面倒みりゃ分かる。カシュパルは並じゃあねえぞ!」
そんな事、誰よりも分かっている。
罵声を浴びせる代わりに、ヘルベルトを睨みつけた。
「……知らせたのか?」
「そこまではしてねぇ。だが、近くにいるのは知っていた。カシュパルに会いにくるだろうとも。セレナ。落ち着いて考えろ。カシュパルをこんな場所で燻らせるのは勿体ねぇだろ」
獣人にとって、竜人がどれだけ特別なのかはもう散々分からされた。
そして潜在能力を目の当たりにしながら、どうにか凡人に押し込めようとする私の行動は頭を掻きむしる程もどかしい思いに駆られた事だろう。
けれどこれは余りにも勝手で、行き過ぎた行為だ。
まだ手を放す訳にはいかない。あの子が、何があっても人間を恨まないという確証がまだ得られてない。
育てだしてまだ四年だ。カシュパルの心に決定的なまでに人間への愛を育てなければならない。
「あの子は私の家族だ。少なくとも独り立ちするまでは」
ヘルベルトに吐き捨てるように言った。
「勝手な事をするな」
剣でも抜いてやろうかと思った。不穏な気配はヘルベルトも十分感じているだろう。だってこれは、命がけの子育てなのだから。
恩人とはいえ、カシュパルの事に首を突っ込むならばヘルベルトも敵だ。
暫く睨みつけていると、ゆるゆると私を掴んだヘルベルトの手から力が抜けていく。
やがて諦めたように放し、苦笑を浮かべて緊張した空気を緩ませた。
「分かったよ。確かに俺が出しゃばり過ぎた」
許してくれというように両手を軽く上げる。私は彼に答えず、ヘルベルトを振り向きもしないまま蒼鳥亭を飛び出した。
残されたヘルベルトは自分の馬鹿な行動を自嘲する笑みを浮かべ、残った酒を仰ぐ。
「もうちっと子離れしてもいいだろ」
そんな寂しげなヘルベルトの声は騒々しい周囲の雑音に掻き消され、聞く者は誰も居なかった。
カシュパルの居場所が分からないので、私はとりあえず自分の家に戻ってみる事にした。
人を避けながら走り続け、どうかまだ竜人と出会っていないようにと胸の内で願う。
周囲からの雑音にカシュパルの耳を塞いで、普通の獣人になるように目を閉じさせて。
私の愛を心から信じるようにしなければならない。
そうして全て私の手の中にある事を確認できた時こそ、彼を手放す事が出来るだろう。
全く反吐が出そうな理由だった。
自分の醜さに胸が詰まり、思わず足が遅くなる。息を切らして走っていたのが嘘のように、私は肩を落として歩きだした。
アンスガーの町に一人歩く人間の姿は、誰が見ても孤独に満ちている。街灯の下では闇が濃くなり、俯く顔から表情を読み取れなくした。
竜人達に仲間として迎え入れられる事は、カシュパルにとって栄光への第一歩となるに違いない。
バルターク・カシュパル王も元々の所属は有鱗守護団だった。その中で実力を認められ、王への道筋を手にしたのである。
在野の魔物狩人になるならまだ良い。そこから獣人の王と万人に認められるには、試練と困難がいくつも転がっているだろうから。実質王を目指さないのと同義だ。
けれど過去と同じ有鱗守護団の所属になる事は、避けたい未来だった。
『セレナ』
あの子が私を呼ぶ声が脳裏に過った。私を信じて、養母として慕ってくれているその声が私の罪悪感を肥大させる。
「私の、可愛い……カシュパル」
ただ純粋にあの子を可愛がれたら良かったのに。
きっと何もなかったなら、諸手を上げて彼の栄光の道を応援しただろう。
けれど私は、故国の仇を殺さないでいる重荷を負わねばならなかった。
たった一人、私だけが遂行できる使命を曲げた責任が私の心を押し潰す。
顔を上げるといつの間にか家に辿り着いていた。明かりがついておらず人気もないからカシュパルはいないようだ。
ここにいないなら何処にいるのだろうと考えた時、町の外から誰かが魔術を使ったような音が聞こえてくる。
直感でカシュパルがそこにいるのだと分かり、私は再び焦る気持ちで駆け出した。
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