第12話 竜人の一員


 セレナが岳牙の用事で家を空ける時は、カシュパルは一人で過ごさなければならなかった。適当に夕飯を外で済ませようと、慣れた町をぶらぶらと歩く。

 今頃セレナはヘルベルトと食事をしているのだろう。自分の関与できない繋がりがセレナにあるだけで何故だかとても嫌な気分にさせられた。

 けれども子供の様にセレナにその不満を口に出す事はしなかった。

 理性では自分の為にしてくれていると分かっている。カシュパルはセレナにとって面倒な子供にはなりたくなかった。

 ただ頼られたいのだ。もう自分は、こんなにも大きくなってきているから。

 ふと、目の前の人混みが少しいつもと違う空気である事に気がついた。雑多に行き交う人の群れが一区画だけ誰かを避けている。

 まるで、カシュパルが初めてこの町に足を踏み入れた時のような空気。

 まさかと注視している内に人垣から捩じれる二本の角が見え、予想した事が当たったのを知る。

 正面から近づくように歩いて来たのは、一人の竜人の男だった。

 尖った耳とそれを縁取る鱗は純血の竜人の証。190㎝はあるような体格の良さで、カシュパルもその顔を見上げてしまう。

 人間でいうと二十代後半のような外見だが、竜人の寿命は五百年程もあるので見た目通りではないかもしれなかった。

 彼はカシュパルを見つけると、楽しそうな笑みを浮かべた。

「お前がアーロン・カシュパルか」

 俺を探していた?

 成人した竜人という、明らかに自分の手に負えない相手に胸が不穏に騒めいた。

「そういうアンタは?」

「有鱗守護団団員、マルケイ・ラウロ」

 正当な竜人に対して敬語でも使うべきか一瞬考えたが、カシュパルはあえてそうしなかった。寧ろ威嚇のように普段通りの遠慮ない言葉遣いをした。

 それを咎める事も無くラウロは友好的な笑みを向けてくる。それはまるで子猫が毛を逆立てているのを可愛いと思うような、そんな強者の余裕だった。

「偶々近くに寄ったら、竜人と人間の混血児がいるって聞いてな。それで顔を見に来たんだよ。少し話したいから、俺についておいで」

 提案の形をしていたが、カシュパルの意見は聞いていなかった。背を向けて歩き出したラウロの後を追う。

 竜人の情報など周囲の獣人と同じ程度にしか知らないカシュパルにとって、ラウロの登場は良い予感がしなかった。

 カシュパルの希望はセレナと平穏な日常をいつまでも続ける事であって、竜人の一員として認められたい訳ではない。

「何処出身なんだ?」

「……アリストラ国」

「へえ。こっちに来て何年経った」

「四年」

 そんな事情聴取のような会話を淡々と続けながら二人で歩く。いつしか人の少ない町外れへと来ていた。

「誰と暮らしてるんだ?」

「叔母さん」

「ああ……血縁者か」

 それに少し含みのある言葉を返し、ラウロはカシュパルの顔を見た。

「竜人についてはどれだけ知ってる?『強き者は他者を守らねばならない。恩寵こそ竜の意思』……聞いた事は?」

「知らない」

「竜人なら誰でも知ってる神話の一節だ。お前本当に知らないんだな。お前の父親は何も教えてくれなかったのか?」

「俺が生まれる前に母さんを捨てたよ」

 カシュパルの無知はセレナがさり気なく遠ざけて来たからだった。

 セレナは凡庸な獣人としてカシュパルが暮らす事を望んでいた。栄えある竜人の一員としてではなく。

 その事についてカシュパル自身も異論はない。そんな事は二人の生活の中でどうでもいい事だ。

「そうか」

 カシュパルが父親に対して少し苛立って答えれば、ラウロはきまり悪そうな顔をした後に彼の頭を撫でる。

「混血児だろうが、強さがあるなら我らが竜人の同胞だ」

 親し気に話しかけてくるラウロに認められる事に、カシュパルは何の喜びも見いだせなかった。

「俺が色々教えてやるよ。俺達が特別なのは神話の時代、この世界を去る前に竜が特に祝福したからだ。皆を守れるようにと。だからカシュパル。強さには意味がなくてはならない」

 ラウロは心に響く事を願ってカシュパルを強い目で見つめたが、見つめ返す幼い竜人の同胞の目には何の感情も浮かんでいなかった。

「だから?」

「あー、むやみに他人に手を上げたりしちゃ駄目だって事」

「そんなの知ってるけど」

 可愛くねぇ。

 ラウロは目の前の子供を面倒な相手だと内心思ったが、表に出さずに好意的な仮面をカシュパルに向けた。

 竜人と人間の混血児の話がラウロの耳に入って来たのは、ほんの一か月前の事である。

 それほどまでに情報が遅くなったのは、カシュパルが混血児である事から能力がそこまで伸びないと考えた周囲の思い込みと、辺鄙な田舎という地理的事情の為だった。

 魔物狩人のチームにも入らないカシュパルは珍しい存在というだけに留まっていた。本人の実力が明白に認められるようになったのは最近の事だった。

 ギルドでは手に負えない魔物討伐の出動要請がラウロに出て、近くに寄る事が無ければカシュパルの存在に気付くのは更に数年先になっていただろう。

 情報を集めれば人間の女性と暮らしているのは直ぐに分かった。

 混血児である事を考慮すれば、血縁者であるのは予想の範囲内だ。しかしそうすると法律上無理に引き離すにはいくつかの条件が存在した。

 虐待の事実、本人の意思や、不法行為があれば連れ去る事が出来るが、安易にすれば子供の心に深刻な傷を負わせる可能性もある為に、非常に慎重に見極めなければならない事案だった。

 最もあってはならない事は竜人の子供が洗脳、利用されて裏社会の一員になる事だ。

 一人の竜人が裏社会に流れるだけで、その影響は甚大である。

 過去の悲劇的な事例から、竜人の子供にはある程度関与すべき存在だと竜人達は考えている。

 ラウロもそんな竜人全体の意思を受け、カシュパルが問題ない環境にいるのか見極める為に足を運んだのだった。場合によっては連れ去る選択肢も考えながら。

「叔母さんとは仲が良いのか」

「言う必要ある?」

 警戒を隠さない視線がラウロに突き刺さる。けれど圧を込めてラウロは言った。

「ああ。あるね」

「……良くしてくれている。人間なのに、この国に俺を連れて来てくれたんだから。いつも気にかけてくれるし、優しいと思う」

 客観的に判断できている。威嚇はするが、凶暴性は今の所ない。俺の質問にも答えてくれる。ラウロはカシュパルの様子から、警戒するレベルを少し下げた。

「そか、なら良いんだ」

 そしてラウロの様子を観察していたカシュパルも、ラウロの目的を把握し終えていた。疑われるような事はあってはいけない。けれど、気に入られ過ぎてもいけない。

 だから警戒する様子を解く事はしないまま、大人しく聞かれた事には答える事にする。

「まだチームには入っていないんだって?」

「ああ。まだ若すぎると」

「そんな事言うのは誰だよ。俺の時にはもうマンティコアぐらい狩ってたぞ」

「叔母さん」

「……まあ、人間はそう思うか」

 そんなやり取りを幾つかする内に、ラウロの緊張感が抜けていくのをカシュパルは鋭敏に察していた。

 カシュパルが他人に興味が無かったのは、今まで自分とセレナに影響を及ぼさない事だったからだ。

 けれど今返答次第では脅かされる事態に直面し、ラウロに対していつもの通りではいけない事を悟った。

 声の調子、顔の表情、歩き方まで。純粋な子供が保護者を普通程度に慕う様子を演出する。

 他人の心を自分の思う通りに導いていく。それは今まで実行しようとしなかっただけで、やってみれば息をするように簡単な事だった。

 一言一言に密かな意味を持たせ、気付かれぬ内にラウロの心を掌握する。

「……じゃあ、誰かに何かしろって命令された事も無いんだな?」

「むしろ危ないから何もするなって言われてる」

「そうか。なら良いんだ」

 その言葉を最後に、ラウロから完全に警戒する気配が消えたのが分かった。探るような視線は消え、同胞の子供としての親しみの視線に変わる。

「折角だし時間があるなら、手合わせしないか?」

 町の外を顎で示し誘うラウロに、これが最後の試練である事をカシュパルは悟った。


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