第10話 狼獣人の少年
体の調子はすっかり良くなり、仕事に出ても問題ないまでに回復した。けれど余りにカシュパルが私に休養を促すので、久しぶりにゆっくり過ごす事にする。
とはいえ体は元気なので、今日は二人で町に繰り出し買い物をする事にした。
民間同士では嫌い合っている両国民だが、意外にも経済的には互いに依存している。
主食の小麦はアリストラ国からの輸入品が殆どだ。他にも文様魔術が得意なのもあり、生活魔術道具などもアリストラ国産が珍しくなく見る事が出来る。
一方で、魔術道具の原材料となる魔物の素材をアリストラ国はヨナーシュ国から輸入していた。
カシュパルを連れ市場に来た私は並ぶ食材の選択肢の少なさを嘆き、大きく溜息を吐く。
山からそのまま取って来たような物ばかりだ。慣れたがやはり、食事はアリストラ国の方が美味かった。
アリストラ国民は緑の民と呼ばれる程、耕作能力に長けている。どんな不毛の地でも数年の内に作物を収獲できるように変えてしまえるのだ。
それは建国以来、王族が土地を豊かにせよと国民に推奨してきた結果に他ならなかった。
歩きながら目についた必要品を購入していくと、横からカシュパルに荷物を奪われた。
「ありがとう」
感謝と共にカシュパルに目を合わせると、柔らかく笑う顔が見える。
それは直視した殆どの人を動揺させる程の威力だが、幼い頃から見続けている私には見慣れたものだった。
可愛い私のカシュパル。
暗い覚悟を捨てた訳ではない。けれどそれでも一心に私を慕ってくれるカシュパルは、孤児院の弟妹達と同じく可愛い存在だった。
「あと、買わなくてはならない物って何かあったか?」
「大分買ったから、多分大丈夫。もし何か後で思い出したなら、俺が買ってくる。今日はもう大分歩いたから帰ろう?」
魔物狩人として何日も歩き続ける事もざらにある私に、そんな心配をするのだから思わず笑ってしまう。
とはいえ唯一の頼りになる人が体調を崩して不安になる気持ちは私も分かった。自分もエイダ先生に対して同じような思いを抱いたから。
此処はカシュパルの気持ちを尊重して、大人しく帰ってあげよう。
「そうだね」
足を止め家に帰ろうとした時、ふと視界に走ってきた人が買い物客の男にぶつかるのが見えた。
少し不自然なぶつかり方だったので思わず様子を見ていると案の定、男は財布を探すような仕草をする。
盗られたのか。この人混みではもう相手は見つけられないだろう。
既に盗人は遠くに走り去ってしまっている。けれど今気がついたばかりの買い物客の男は後ろを見て、その場にいた貧しい身なりの灰色の髪をした狼獣人の少年を睨みつけた。
「お前か!?」
「はっ? なんだよオッサン!」
「とぼけんじゃねえ。お前が俺の財布盗んだだろ!」
どうやら酷い誤解をしているようだった。必死で少年は否定をするが、激昂している男は聞く耳を持たない。
男が腕を振り上げたのを見て、慌てて彼等に声をかけた。
「待て。偶々見ていたが、その子じゃない。その子は貴方に触りもしなかった。その前に、貴方にぶつかった男がいただろう。多分その時に盗られたのだと思う」
「ああ?」
男は私の顔を見て、酷く不快な表情をした。
「人間ごときが黙ってろ! 獣人様に口きいて良い身分じゃねえだろ!?」
カシュパルのいない所では、この町の者ではない獣人達に侮られ馬鹿にされるのは間々ある事だ。
だから私自身は最早何とも思わないのだが、後ろにいたカシュパルの機嫌が急降下していくのが背中から伝わってきた。
「獣人様? は、大した身分だな」
カシュパルはそう吐き捨て、自分が誰の連れなのか分かるようにぴたりと私の背後に立った。
男はカシュパルにも苛立たし気な視線を向け、直視した顔の端正さに視線を奪われる。
次いでその頭にあるその角に気付き表情を一変させた。
「ぅげ、竜人……」
まだ子供だとしても獣人にとって竜人は恐れるべき相手であるらしかった。
そしてその考えは正しく、カシュパルには目の前の男など簡単に倒せる相手だろう。
ヘルベルトに頼んでどうにか狩りにも参加させないようにしているのに、余計な気を利かせた仲間達がカシュパルを勝手に鍛えてしまう。
彼ら曰く、竜人を鍛えないなんて勿体ないだろ!との事だった。人の気も知らずに。
ともかくそう言う訳で、持ち前の天才的な才能は既に片鱗を見せており、強者としての圧を感じる程だった。
「もう一度言ってみろ。人間がなんだって?」
男はもごもごと口を動かした。そして何も言葉を発さずに、舌打ちして逃げるようにその場を去って行く。
その背中を敵意に満ちた目で見つめるカシュパルに、助けられた少年がおずおずと声をかけた。
「あの……ありがとう。助けてくれて」
「俺じゃない」
ぴしゃりとカシュパルは少年の言葉を遮る。そして視線で私を示した。
「お前を助けたのは、セレナだ」
カシュパルの目に、少年の心を見通そうとする冷徹さが宿る。
カシュパルにとって人間は仲間ではない。けれど同様に、獣人に対しても仲間意識を持っていなかった。
セレナという大事な家族を侮辱する種族に対して、どうして同胞だと思えるだろう。
だからカシュパルは人間にも獣人にも所属せず、他者との関係性はただセレナへの対応だけをみて自分の態度を決めていた。
「あ、そうだよな。俺はリボル。助けてくれてありがとう」
「私はセレナ。こっちはカシュパル。リボルも災難だったな」
「本当だよ」
子供らしく素直にセレナに感謝をし、笑顔を向けるリボルにカシュパルは表情を和らげた。
「俺、竜人って初めて見た。やっぱり強いのか?」
この町では珍しい竜人にリボルは目を輝かせる。その憧憬の眼差しを意にも介さず、カシュパルは淡々とその質問に答えた。
「さあ? 弱くはないと思うが、俺より強い奴もいる」
「そっか!」
どう答えても嬉しいらしかった。リボルの灰色の尻尾が勢いよく左右に振れる。
竜人は強く、首都の竜人達は特にこの国を守る最強の剣であり盾である。少年にとっては竜人であるだけで憧れの存在らしかった。
「また見かけたら話しかけてもいい?」
「……勝手にしろ」
「ありがとう!」
いつものように興味なさそうなカシュパルだったが、リボルの努力次第で仲良くなれるだろう。拒否はされなかったのだから上出来だ。
私はカシュパルが普通の獣人になる事を望んでいた。友人が出来れば私が去った後もカシュパルを支えてくれるに違いない。
王たる者の資質のせいか、カシュパルは本人の望む望まないに関わらずよく他者から慕われる。
彼が王道を行くなら従者になるだろうが、普通の獣人になるなら良き友人になってくれる筈だった。
「カシュパルとセレナさんってどういう関係?」
「家族」
「義理の姉弟?」
「いや、叔母だ」
カシュパルと楽しく会話していたリボルの顔に困惑の色が混じる。私はそれを見て、彼が嗅覚の良い狼獣人である事を今更意識した。
まさか、血縁関係が分かるのか……?
体温が数度下がった気がした。人間より鼻が良い獣人とはいえ、獣と全く同じ精度の嗅覚を持つ者はいない。
しかも職業的な意味もあって体臭には気を配っていたのに。
彼は特異体質と言っても過言ではないほどの嗅覚の持ち主だ。
私はカシュパルの後ろに立ち、彼に見えない角度からリボルに向かって指を口元に当てて黙っているようにと指示を出す。
それに気がついたリボルははっとしたような顔をした。
「それが、どうかしたか?」
「あ、ううんなんでもない!」
どうやら黙っていてくれそうだ。内心胸を撫でおろす。
「リボル、悪いけれどそろそろ帰らないといけない。また会おう」
「うん! また、見かけたら声かけて」
私は会話を切り上げ、不自然にならないようにリボルに背を向けた。
大丈夫。気のよさそうな子供だったし、きっと黙っていてくれるだろう。
自分にそう言い聞かせた。私がもしカシュパルと何の血縁関係もない他人だと獣人達にばれてしまったら、貴重な竜人の子供であるカシュパルとは引き離されてしまうかもしれない。
それにはまだ早い。カシュパルが人間に対し敵意を持たないと確信できるまで、彼を手放す訳にはいかなかった。
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