第9話 唯一の家族
一角兎の角を換金し、ギルドの一角でカシュパルはセレナを待っていた。討伐から帰ってくる魔物狩人のチームは大体初めにこの場所に顔を出す。
いつものように行き交う獣人達の視線が鬱陶しく纏わりついてくるが、幼い頃から色々な意味で注目される立場だったので気にも留めなかった。
一角兎の角はそれなりの値段になり、重くなった革袋に帰って来たセレナがどんな反応をしてくれるかを想像する。
最近切り詰めていたから、きっと喜んでくれるだろう。
セレナの稼ぎでは二人の生活費に余裕がある時は殆どない。
けれどもそれに不満がある筈もなく、ただカシュパルはそのせいでセレナが無茶をしないかだけが心配だった。
ギルドの扉が開く。見覚えのある岳牙のチームのメンバー達の姿に、帰って来たのだと口元を緩ませた。久しぶりのセレナとの再会に気分が高揚する。
しかしヘルベルトに背負われたセレナの姿に、浮かれた気分が凍り付いた。
「セレナ! 怪我でもしたのか!?」
「カシュパル」
ヘルベルトがカシュパルの姿に気づき、深刻ではないと教えるように軽さを意識して言った。
「大丈夫、怪我じゃなくて毒にやられたんだ。ルールーの毒だから死にはしない」
ルールーは爪に毒を持つ怪鳥だ。確かに死ぬ事は稀だが、麻痺するし高熱が出る。全く大丈夫ではない。
そう思ったが、今此処でヘルベルトに噛みついても仕方ないのは分かっていたので苦々しい気持ちで舌打ちした。
「セレナ。俺が分かる?」
ぐったりした様子の彼女に話しかけると、僅かに顔が動いてカシュパルに頷いた。麻痺してしまって動けないらしい。
苦し気に眉を寄せるセレナが見ていられず、自分の心臓が締め付けられたように感じる。
「家に送って行く。解毒薬も飲んでるし、暫く休ませてやってくれ」
ヘルベルトの言葉に大人しく頷く。仲間達と別れ、ギルドを出て歩くヘルベルトの背中を追った。
自分が背負うと言い出したかったが、体格的にヘルベルトの方が適していると頭では理解しているので言葉を飲み込む。
ただ、その運び方が少しも危険な様子がないかと目を光らせた。結局のところ、仲間を担ぎ慣れているヘルベルトには余計な心配だったが。
家に帰り、ヘルベルトはセレナのベッドに彼女をゆっくりと降ろした。カシュパルもそれを手伝った後、上掛けを隠す様にセレナにかける。
横になれたセレナが落ち着いたように大きく深呼吸をしたのを見て、漸くカシュパルも少し心を鎮める事が出来た。
「カシュパル……大丈夫だ、から」
「……分かってる」
こんな状態でさえカシュパルを気遣うものだから、カシュパルはセレナを安心させる為に内心の怒りと焦りを隠した。
セレナはカシュパルに少し笑い、次いで運んできてくれたヘルベルトに顔を向ける。
「……すまない」
「何言ってんだ。仲間だろ」
通じ合っているかのような二人のやり取りが、カシュパルの胸を騒めかせた。
共に仕事に出ている仲間なのだから、カシュパルが知らない彼等の時間があって当然だ。けれどそれに強い疎外感を覚えるのは何故だろうか。
気に食わない。
「後は、俺が」
「ああ。……ゆっくり休ませてやってくれ」
カシュパルは追い払うようにヘルベルトを帰らせた。セレナの世話を他の誰にもさせるつもりはなかった。
二人の空間になった所で理解出来ない苛立ちは消えたので、落ち着いてセレナから装備品を外す作業に入る事にする。
皮鎧やベルト、礫のホルダーなどを取り外し、水で絞った手拭いを持って来て汗ばむ顔を拭う。
楽になったようで、気がつけばセレナは瞼を閉じて穏やかな呼吸をしながら眠ってしまっていた。
カシュパルはベッドの隣に腰を下ろし、セレナの寝顔を見ながら思いに耽る。
この人が強くないと気がついたのは、ヨナーシュ国に来てから然程時間が経っていない頃だ。
セレナは狩りに行く度に執拗なまでに道具や情報の準備をする。そうしなければ獣人の男達に混じっての狩りなど、とてもついていけなかったのだろう。
恐らくカシュパルの為にヘルベルトが多少強引にセレナを岳牙に入れなければ、人間の女など相手にもされなかったに違いない。
それでも当初苦い表情でセレナを見ていた岳牙のメンバー達が、仲間だと認めてくれるようになったのはセレナの努力に他ならない。
ヨナーシュ国でセレナが暮らす為には、そうした懸命さが必要だった。
早く大きくなりたい。セレナを守れるように。
カシュパルの為に、セレナがしてくれている事の大きさを知っている。だからカシュパルも、セレナの為に自分を捧げるつもりだった。
彼女の後を追って魔物狩人となり、沢山お金を稼ぐようになったなら。
全ての危険からセレナを遠ざけ、いつも穏やかに暮らせるように守るのだ。
体格が出てきたカシュパルを、ヘルベルトが大人だと認めて仲間に入れてくれる日も遠くない。
活躍する自信はあった。右を見ても左を見ても、カシュパル程の才能を持った者はいなかった。
だからこの苦悩の時間も、もう少しで終わる事だろう。
「う、」
セレナが苦し気な声を出した事に気がつき、カシュパルは絞った手拭いを額に置いた。
もしもこのまま熱が下がらなかったら?
一瞬浮かべてしまった想像が、カシュパルの心臓を凍り付かせた。
何を馬鹿な事を。このぐらいなら人間でも一晩の間に回復するだろう。
けれど凍った心臓が冷たい血液を全身に流し込むので、カシュパルは代わりにセレナの呼吸をじっと見つめた。
傍にいる事が伝わるように、大きくなった自分の手でセレナの手を握る。
セレナはカシュパルが渇望した精神的充足を全て与えていた。
彼を見て優しく微笑み、些細な事でも褒め、寂しさを感じないように抱きしめて温もりを与えた。
そしてまた犠牲的とも言える献身的な振る舞いは、カシュパルの中でセレナを他人と一線を隔す唯一の存在にした。
細い糸を心に括る様な愛が惜しみなくカシュパルに注がれる。
毎日毎日重ねられていくセレナの慈愛は、太く武骨な一本の縄よりも余程緊密で強固で盲目的にさせる束縛だった。
しかもそれはカシュパルを生かしたいという、全くの善意を根底とする。セレナは自分が意図的に行う以上に、彼女自身の善性で完璧にカシュパルを導いていた。
しかしながら余りにも自然に成されたので、両者ともにその深さを意識する事は今の所なかった。
セレナの手を握り食い入るように見つめて何時間が経っただろうか。
漸く熱が下がって来たのを見て、漸くカシュパルは地に足が付いたような気持ちになる。
そして目が覚めた時にセレナにかえって心配させてはならないと、蒼白な自分の顔をどうにか普通に見えるように努力した。
日が落ちて解毒薬が効いて来たのか、セレナの意識が戻って来る。そしてすぐ傍にカシュパルの姿を見つけ、ずっと看病してくれていた事を知った。
「大丈夫か?」
「……もう大分楽になった。ありがとう」
カシュパルはほっとして深く息を吐く。身動きの取れないセレナの代わりに、上掛けを深く被せた。
「暫く仕事は休んで欲しい。心配だ」
「ああ。そうしようかな。最近少し忙しかったから」
カシュパルがどんな気持ちでこの半日を過ごしたかを知らずに、セレナはそんな事を言った。
言質を取ったカシュパルは、それほど酷くないように見えるセレナに漸く胸を撫でおろす。
これで当分の間無理をしようものなら、強引にでもセレナを休ませるつもりだ。
本当はずっと家に閉じ込めてしまいたい。だってセレナはカシュパルに残された唯一の家族なのだから。
この人を守れるほどの強さを。
焦がれる気持ちで、カシュパルはいつも願っていた。
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