第8話 憧れ


 あれから四年の月日が経った。

 人形のような愛らしさだったカシュパルは体格が随分成長し、身長だけで言えばセレナを既に超えていた。

 顔立ちに幼さはまだあるが、すらりとした手足は毎日少しずつ男の骨ばったものへと変わっている。

 短い柔らかな黒髪が風に吹かれ、長い睫毛が紫の宝石のような瞳を装飾した。

 角も今や隠しようがない程伸長し、誰が見ても竜人だと一目で分かる容姿である。

 魔物の討伐や薬草の採集などの仕事を斡旋するギルドと呼ばれる機関にも既に所属しており、簡単な魔物の討伐には積極的に出るようになっていた。

 町近くの森で一角兎という低級の魔物をカシュパルが狩っていると、金の髪と目をしたオレクという同世代の豹獣人が近づいて来た。

 彼はヘルベルトの従弟で、彼を慕ってアンスガー町にやって来た魔物狩人見習いである。

「おーい、カシュパル」

「オレク。何の用だ?」

 振り向きもせず答えたカシュパルの声は随分と素っ気無いものだったが、オレクにとってはもう慣れた反応である。

 他者を拒絶しているのではなく、ほぼ全ての関心が一人に集中しているだけのようだ。

 それを間近で見て認識しているオレクとしては、残った僅かな他者への関心の一部に自分が含まれているだけでも十分に思う。恐らく友人と言っても許される仲だ。

 竜人ってのは、皆こうなのか?

 その極端さを疑問に思うが、オレクにとってはカシュパルが唯一の竜人なので他の竜人の事は分からない。

「セレナさんがもうすぐ帰ってくるらしいぞ」

 一角兎の角を回収する作業をしていたカシュパルはセレナの名前が出た瞬間手を止め、漸く顔を向けた。

「セレナが?」

 分かりやすく顔を輝かせるカシュパルに苦笑した。今更な事だが、彼の養母への感情の強さは筋金入りだ。

 親離れ出来なそうだよな。

 カシュパルが恋人を作り、セレナから離れる日が来るのがオレクには想像がつかなかった。

 その事について通常ならばからかわれる年頃だろうが、カシュパルに関しては口に出せる者はいなかった。

 オレクはちらりとカシュパルが手にする袋に視線を向ける。袋の中には二十は下らない一角兎の角が入っていた。半日で集める量ではない。

 一角兎は素早く、また身を隠すのが得意である。大きな群れで行動する訳でもないので数を集めるのは簡単ではなかった。

 カシュパルは探索の能力と戦闘の能力だけでも既に同世代から抜きんでていた。

 年齢を気にしてヘルベルトが渋っていなければ、十分に魔物狩人のチームに入って活躍できる力がある。

 かつてカシュパルの繊細な美貌から侮っていた周囲の輩は全て、次第に明らかになった彼の能力の高さに今は口を噤んでいる。

 強さに敬意を抱く獣人として、人間の血を半分引いていてもカシュパルを馬鹿にする者はもう誰も居なかった。

 そんな彼の唯一にして最大の地雷がセレナである。

 人間である彼女を軽んじて実際に肉体的に痛い目に合わされた者が半分、あらゆる方法でもう二度と口にする気が起きない経験をさせられた者が半分。

 お陰でアンスガーの町の住人達の中でセレナを見くびる者は皆無である。

「帰る」

 踵を返して町の方向へと歩き出したカシュパルの後をオレクは付いて行く。きっと町に着けば一目散にセレナの元へ行くのだろう。

「いつぶりだっけ?」

「四日と八刻」

「時間まで数えてるのか?……今更だったな。何でもない」

 セレナに関して執着心を見せるカシュパルに呆れた視線を向ける。すると先を歩いていたカシュパルの足が不意に止まった。

「どうした?」

 横の草むらをじっと眺めているので、同じようにその方向に目を向けるが特に変わった所は見当たらない。

カシュパルは足のホルダーから礫を取り出し、その長い腕を真っすぐ伸ばして構えた。

「どいた方がいいぞ」

 カシュパルに言われて漸く、何か大きな気配が此方に向かって突進して来ている事に気がつく。

 魔物か?

 町に近い場所では強い魔物は少ないとはいえ、全く出てこない訳ではなかった。

 不安な気持ちがオレクの中に湧き上がるが、同時に揺らいだ様子のないカシュパルの姿が頼もしく映る。

 彼の傍にいれば、どんな事態であっても大丈夫な気がした。

 オレクが剣を構えると、草むらから翼の生えた虎のような魔物が襲い掛かって来た。

「グオオォォン‼」

「空虎……⁉」

 空虎という魔物は移動する範囲が広く、積極的に動き回る習性がある。この為、運悪く予期しない場所で人に遭遇してしまう事があった。

 こんなの、大人が数人がかりで倒すような魔物じゃねぇか……!

 空虎が動揺するオレクを弱者と判断し、狙いを定めて大きく大地を蹴り跳躍する。

 青ざめながら向かい来る空虎の牙を防ごうと剣を握る手に力を込めると、カシュパルが冷静にその口に正確に礫を弾き飛ばした。

 ボンッ

 小爆発の魔術が込められていたのだろう。口内で発動された爆発により、空虎の頭が内側から四散する。

 頭を失った体が、その場に砂袋のように崩れ落ちた。

 あまりにあっけなさすぎる討伐に、オレクはカシュパルの顔を見る。凛とした雰囲気は少しも揺らがず、倒した事に対する喜びも特に感じられない。

 あの必殺の一撃を当てられる確信があったに違いない。そして外したところで彼にとっていくらでも対処できる相手だったのだろう。

 空虎など大した相手ではないと思っているのが、その冷たい紫の目から言わずとも知れた。

 同世代の同じ魔物狩人を目指す者として、鳥肌が立つ程の強さ。竜人の天才的戦闘能力。正に、生まれからして違うのである。

 愛想がなかろうが、オレクはカシュパルを思わず追ってしまう。

 傍にいる事を許されただけでそれが幸運だとまで思わせる。

 カシュパルの友人という立場はオレクにとって誇らしい称号と同じだった。

 一方的に抱く過剰な期待にも容易く応えてしまう彼に、知れば知る程深みに陥っていく。

 カシュパルに付いて行けば栄光というものが何であるのか、きっと知る事が出来るだろう。

 これほどにオレクの胸を躍らせる彼のような者は大人の中にもいなかった。それどころか国中を探してもいないだろうとさえ思える。

 魔性のような求心力に無意識の内に曝されて、若く純真なオレクは忠犬のように後を追う毎日だった。

 幸いなのはカシュパルが悪意を持って支配する気が全くない事で、そうでなければ非常に厄介な悪童の集団が出来上がっていたのは間違いない。

 カシュパルは良くも悪くも、セレナ以外の事に関心がなかった。

「……カシュパル、これも持って帰るか? 確か翼が高く売れるけど」

 オレクの質問に一瞬だけ考える素振りを見せたが、直ぐに首を横に振った。

「やる」

 カシュパルも懐が豊かな訳ではない。けれど今はどうやらセレナに会う事を優先したらしい。オレクは思わぬ臨時収入を素直に喜んだ。

「ありがとう!」

 感謝するオレクに軽く手で答え、カシュパルは一人で町に向かってしまった。

 カシュパルは他者を気にしない。どれだけ注目と関心を寄せようと、それを気にするのは彼の性分ではなかった。

 オレクはその後ろ姿に惜しみない憧憬の目を向ける。少年の理想の格好良さを具現化したような存在。

 強さが、外見が、魂が。きらきらと煌めいていてオレクを惹きつけて離さない。

 カシュパルが魔物狩人として正式にどこかのチームに入ったなら、数年以内に間違いなく有名になるに違いない。

 その時傍に立つ自分の姿こそ、今のオレクの夢であり目標だった。

 追いつけない事は分かっている。けれどその背を追って行きたい。

 そんな風に思いながら、横たわる空虎に向けて一先ず解体用の小剣を向けるのだった。


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