第7話 竜人とは
人間の国アリストラ国と獣人の国ヨナーシュ国の間には太古から氷狼が住む一帯があり、その影響で近寄れない雪山が壁のように連なっている。
この雪山がある事で人間と獣人は大規模な軍隊の移動が出来ない。それこそが両者で戦争が起きなかった大きな理由だった。
雪山が後々大きな変貌を遂げるのを知っているので、背後の白い山々を不思議な心境で眺めた。
そのうち、この雄大な景色が失われるなんて。
「セレナ?」
手を引かれ、カシュパルに視線を向ける。
「ああ、いや。何でもない。行こう」
山の中を続く道を、再び歩き出して進み始めた。氷狼の影響を受ける範囲から出てしまえば、昨日までの凍てつく寒さが嘘のように消えていく。
獣人の血を引く子供を理由にすれば、金さえ収めれば関所を越える事はさして難しい事では無かった。
偽造した血縁関係を証明する書類を軽く見ただけで疑いもしなかった。
雪山から遠ざかるにつれて、両国を行き来する人間の商人の数は少なくなっていく。
これから先は更に人間への偏見と敵意が向けられる事だろう。けれどその代わり、カシュパルは生きやすくなるに違いない。
周囲には獣人達が当然のように歩いていて、カシュパルは獣の耳や尻尾を隠さない彼等の姿を物珍しそうに眺めている。
彼にとってはまだ見慣れない自分の同族だった。
「カシュパル。そろそろ帽子を外そうか」
彼の頭には私が贈った帽子がまだ乗っている。アリストラ国の時には随分と助けられたが、もう必要なくなる物だった。
カシュパルはおずおずと帽子を外し、隠されていた角を晒す。日に日に伸びている竜の角は、数年もすれば隠せなくなる程に成長していただろう。
その前にヨナーシュ国に来られて良かった。
カシュパルが居心地悪そうにしていたので何事かと周囲を見回すと、道行く獣人達の視線が此方に集中していた。
それは人間である私よりも、カシュパルの方に向けられている。
同じ獣人なのに何故?
視線を向けてくる彼等を見返せば、慌てて視線を外される。誰かと共に歩いている者達は小声でカシュパルについて何かを話し合っているようだった。
此処でも自分の居場所はないのかと、不安げにカシュパルが私の手を握る。自分の困惑を隠して安心させる為にその手を握り返した。
「大丈夫。此処でなら、居場所が作れるさ」
カシュパルは小さく頷いて顔を少し緩ませたものの、周囲から隠れるように私にぴたりとくっついた。
無理もない。カシュパルは虐げられる事に慣れ過ぎている。そんな彼を連れながら道を行き、視線の意味を考えた。
獣人と人間の混血児が珍しいのか?
純血の竜人であれば耳先が尖り、耳殻には鱗がある。人間の耳であるカシュパルの容姿は一目瞭然に混血児である事を示していた。
……あの時のバルターク・カシュパル王は獣人達に受け入れられていたのだから、混血児とはい人間程に拒絶される訳ではないだろう。しかし、それなら疑問は消えない。
暫く道を進むと少し大きなアンスガーという町に着いた。
獣人の町は大概山や森に囲まれている。この場所も例外ではなく、切り立つ山々が直ぐ近くに見える様な場所だった。
宿屋を訪れると、暇そうに座っていた宿屋の主人が私を見る。人間が来たと面倒な顔をした彼は、隣のカシュパルを見て表情を一変させた。
「りゅ、竜人……ッ!?」
竜人ならば何があるというのだろう。
私は獣人の生活に関してそこまで詳しい訳ではなかった。自分の事を言われたカシュパルが宿屋の主人の無遠慮な視線から逃れようと私の影に隠れる。
「竜人だからなんだ?」
「い、いえ……」
一体何なんだ。
追求してやりたい気もしたが、怯え切った表情とカシュパルの様子から今は放っておくことにした。この調子ではどのみち遠からず知る事になるだろう。
実際思った通り、そんなやり取りが町で物を揃える間に何度も続いた。
そろそろ誰かに聞かなくては。カシュパルは獣人の国でも受け入れられないのかと、すっかり気落ちしてしまっている。
道端で立ち止まり彼の頭を撫でて慰めてやっていると、私達に声をかけてくる男がいた。
「あんたらか。噂になってる人間の女と、竜人の子供ってのは」
話しかけてきたのは黒髪に金の目をした黒豹の獣人だった。
三十代前半だろうか。戦う仕事をしているのか体に傷が多い。口角の上がった顔は明るい印象で自信に満ちている。
「多分、そうだ」
慎重さの滲む目つきに此方の出方を窺っているのが分かった。
神殿騎士だったセレナには、このような戦いに生きる男達の気質の良し悪しが何となく読み取れるようになっていた。直感は悪い男ではないと告げている。
「けれど、何故噂になっているのかが分からない。聞いてもいいか?」
「……そうか、知らねぇんだな。分かった。俺もあんたらに聞きたい事がある。どっかで話そうぜ」
彼は指先で私達を誘うと慣れた様子で飲食店に入って行く。馴染みの店らしく、店主に軽く挨拶してから個室へと先導した。
店内を通る間に男は他の客から声をかけられており、どうやら地元では顔の良く知られた人物であるらしい。
座らせられた個室は壁自体は薄かったが、そもそも他の客の声が十分五月蠅いので何を言っても問題なさそうである。彼は椅子に腰を落ち着けると、まずは自分から名乗った。
「俺はヘルベルト。あんたらは?」
「私はセレナ。こっちはカシュパルだ」
「で、改めて質問は?」
ヘルベルトは腕を組み、敵意がないのを笑みで示しながら質問権を委ねてくれた。
ずっと気になっていたので、こちらから聞かせてくれるのはありがたい。
「カシュパルを見ると、皆の反応がおかしい。何故だか知っているか?」
「そりゃあ分かるさ。獣人ならな。俺達にとって、竜人ってのは貴族や王族だって言えば分かるか?」
「王族?」
予想外の言葉に思わず眉を上げた。隣に座るカシュパルも自分の事ながら何も分からずに目を瞬かせている。
「ああ。ヨナーシュ国で王とは強さと統率力で決められる。つまり、生まれ持っての能力の高い竜人が王座を独占してるんだよ。かの有名な有鱗守護団も全員竜人。で、竜人の性質として身内意識が強い。おまけに人数自体も少なくて竜人同士は顔見知り血縁者ばっかりだ。だからうっかりその辺に歩いている竜人様に失礼をすると、とんでもねぇ目に合う可能性があるってワケ」
「なるほど。よく分かった。……教えてくれて感謝する」
最強と名高い王直属の近衛部隊が有鱗守護団である。他国人の私さえ耳にするような実力者の集まりだ。
私は漸く獣人達の視線の意味を知った。例え辺鄙な場所にうろついている何の力もなさそうな子供だとしても、機嫌を損ねたら首都から権力者が出てきかねないと思ったのだろう。
嫌われるよりはマシか。
何処に行っても目立ってしまう運命らしいカシュパルの頭を撫でてやった。
本人はそれが実際どういう意味なのか分かっていないのか、眉を寄せて考え込む。
「じゃあこっちの番だな。カシュパル。セレナと二人にさせてくれるか?」
ヘルベルトは子供を怖がらせないように明るい笑みを浮かべ、カシュパルに聞いた。
カシュパルが私に顔を向けてどう答えればいいか反応を窺ってきたので、頷いて答えてやる。
「分かった……」
「ありがとな。俺の頼みって言えばおかみさんが面倒みてくれるから」
カシュパルの小さい背中が完全に見えなくなった所で、ヘルベルトは柔らかさの消えた真剣な表情で口を開いた。
「あんたらはどういう関係?」
「姉の子だ。それがどうかしたか?」
「……養育はセレナがするつもりなんだろ?」
「ああ」
彼は苦い顔をして言いづらそうに、けれど覚悟を滲ませる表情で言った。
「悪いことは言わねぇ。カシュパルは竜人に預けた方が良い」
どういう意味だ?
片眉を上げてヘルベルトを見つめると、彼は険しい表情で口を開く。
「間違った教育をされた竜人は、下手な災害より質が悪い。獣人は堕ちた竜人がしでかした事件を親に聞いて育つ」
セレナはヘルベルトの言葉を聞いて、過去のバルターク・カシュパル王の所業を思い出していた。
凶暴で残忍な暴君。人間にとっては正に悪夢である。その姿こそ、ヘルベルトの言う堕ちた竜人なのだろう。
何もなければ竜人にカシュパルを渡すべきだと思っていたかもしれない。けれど私には、カシュパルを人間を傷つけないように養育するという目標がある。
今、確信の持てない状況で手放す訳にはいかなかった。
「忠告はありがたいが、あの子を手放すつもりはない」
「……そうか」
「意外に追及しないんだな」
「ただの獣人にゃ、無理に引き剥がして竜人の恨みを買う方が怖いね。今は子供だとしても、多分ずっと恨まれる」
私が思っている以上に、彼は竜人に対して恐れを抱いているようだ。
あっさりと引き下がると険しい顔を緩め、気の良い笑顔を向けて私に提案した。
「見た所、来たばっかりだろ。慣れてなさそうだし。仕事はもう決めてあるのか?」
「いや。ただ、文様魔術の罠なら得意だからそれを活かしたいとは思っている」
「なら、俺のチームに入るか? 一応俺は、岳牙っていう魔物狩人のチームのリーダーをやっていてな」
実は人間をまともに働かせてくれる場所があるのかと、少し不安に思っていた。
ヨナーシュ国ではアリストラ国よりも強い魔物が出没するという。それは山野を管理しない獣人の気質によるものと、アリストラ国には結界があるからだった。
神族が瘴気を払う為に張ったという結界はヨナーシュ国にも及ぶ広範囲なものだが、強度はアリストラ国よりも幾分も下がっているという。
私一人ではこの国で魔物狩人として生計を立てる事は難しいかもしれないと懸念していたので、彼の提案は正に渡りに船だった。
「いいのか?」
「正直に言えば、野放しにしたくねぇんだ」
歯に衣着せぬ言葉に思わず苦笑する。この地に根差したチームなのだろう。
下手に放っておいて竜人とのトラブルを起こすよりは、自分の手の内で面倒を見た方が良いと思ったらしかった。ならばこちらも遠慮しなくていい。
「よろしく頼む」
友好の握手を交わすと、タイミングを見計らっていたカシュパルが顔を覗かせて聞いてきた。
「終わった?」
「待たせたな。これからヘルベルトさんに世話になる事になった」
カシュパルは私の決定に異を唱えた事がない。今回も素直に頷いて大人しくヘルベルトに向かって礼をした。
「……よろしくお願いします」
私の服を掴みつつ警戒の目をしていたが、それはこれからの関係で消えていくだろう。
未来の覇王を一介の凡人へ。
その計画はゆっくりと、けれど順調に進んでいた。
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