第6話 道中

 

 ゆったりとした流れの川沿いの道を歩いていると、カシュパルが隠し切れない好奇心を水面に向けている事に気がついた。

 澄んだ川の中には魚影が躍り、子供の目を奪っている。

 そう言えば、子供らしく遊んだ事がないのかもしれない。

「……入ってみるか?」

「いいの?」

 分かりやすく目を輝かせたカシュパルが微笑ましくて笑ってしまう。普通の子供のように、少しずつ自分の欲求を表す事が出来るようになってきていた。

 人通りも無いので、カシュパルは子供らしく服を脱いで足を川に浸す。その感触が気持ちいのか、水を手で掬ったりして遊びだした。

 ただの子供にしか見えないな。

 純粋な彼に警戒心を抱いている自分が馬鹿馬鹿しく思え、苦笑する。

 ついでに昼食の支度をするか。

「カシュパル、おいで」

 呼べば素直なカシュパルは川から上がって私の隣に来た。自分の足のホルダーに詰められた小さな金属片を取り出して彼に見せる。

 その礫のような金属片には魔術文様が描かれていた。

「これは小片型魔術補助道具。まあ、大体皆『礫』と呼ぶ。予め金属に魔術文様を書いておくことで発動を短縮させる」

 分かりやすくカシュパルの目の前で魔力を指先から流してやれば、文様に魔力が宿り淡く光った。

それを行儀よく興味深げに眺めているカシュパルに機嫌を良くし、川に向けて姿勢を正した。

「見てろ」

 親指で礫を勢いよく弾けば、水面にそれが触れた瞬間に電撃が走った。激しい音を上げて光が瞬く。

「わ、」

「簡単な行動不能系の魔術を込めておいた。こうして川に投げ込めば、飯には困らない」

 指さした水面には気絶した川魚が浮かび上がっていた。しかしそれらは水の流れに押されてみるみるうちに遠ざかって行ってしまう。

「セレナ、魚が……」

「見せたかっただけだから構わないさ。……カシュパル、やってみたいか?」

「うん!」

 一つ礫を渡すとカシュパルは見様見真似で試してみるが、上手くいかずに礫がぱきりと割れてしまった。

 落ち込む様子が可愛くて、思わず頭を撫でてしまう。

「今度練習しよう」

「うん……」

 少し沈んだ返事をするカシュパルを笑った。

 心配する事はない。過去、バルターク・カシュパル王は魔術、剣術、戦術全て天才的な才能を見せていたのだから。

 純粋な獣人は人間の使用する繊細な文様魔術は生まれながらに不得意である。操作が難しいのか、威力が十分に発揮されないのだ。

 しかし代わりに肉体強化や属性を付属させるような魔術が得意だった。どちらが優れているという訳ではないが、違いは違いとして存在した。

 けれどカシュパルは獣人の中で最も能力の高い竜人と人間との混血児だ。過去の偉業を思い返す限り、カシュパルはその両方の能力を、最良の状態で手にしている。

 そんなカシュパルであるが、今はまだその片鱗もない程に未熟だった。

「また魚を浮かせるから、下流で捕まえてくれ」

「分かった」

 カシュパルが移動したのを確認し、上流で魚を気絶させる。浮いた魚は水に遊ばれながらカシュパルの方に近づいていく。

 そしてするりと手をすり抜けた魚を追いかけて、カシュパルは川の中央へと寄って行った。

「わ、」

 小さな悲鳴と共にカシュパルの姿が消え、私は血相を変えて立ち上がった。

「カシュパル!」

 しまった。川の深度を見間違えた!

 川底の深い場所にまで彼が近づいていたのを、澄んだ水のせいで気付けなかったのである。

 藻掻きながら浮き上がろうとするカシュパルを川沿いに追いかけ、近づいた所で躊躇なく水に飛び込んだ。

 魚達が人間の姿に驚いて逃げていく。水音がごうごうと膜を張ったように鈍く聞こえた。

 カシュパルが必死に助けを求めて私に手を伸ばそうとするのが歪んだ視界で見える。

 私はその小さな手を握り、力を振り絞り彼を水面へと一気に引き上げた。

「げほっげほっ!」

 再び流されないように、激しく咳混むカシュパルを抱え上げて川から上がる。

 簡単に追いつける流れの遅い川で良かった。幸いな事に水は大して飲んでいないようだった。

 けれど余程怖かったのか彼は顔を青ざめさせている。

「もう大丈夫だ」

 震えるカシュパルを抱きしめてやれば、私の服を手が白くなる程に力強く握りしめて離さない。

「大丈夫」

 カシュパルが落ち着きを取り戻すまで、何度も何度も繰り返し小さな背中を撫でた。

 やっと呼吸が戻ってきた所で漸く顔の強張りを解いていく。けれど自分の失敗に申し訳なさがやってきたようで、私の顔色を窺いながら謝った。

「セレナ……俺、足を引っ張ってばかりで……」

「子供はそんな事気にしなくていいんだよ」

 きっと今まで彼の周りにそんな言葉をかけてくれる人はいなかったのだろう。

 カシュパルは無垢に私を信じる表情で、少しだけ表情を緩ませた。こうして彼の心に信頼という名の糸を括る。

 カシュパルを休ませ、私は自分で二人分の魚を捕獲した。濡れた服を着たまま乾かし、魚を焼く為に焚火を作る。

 そうして並んで魚を食べる事にしたのだが、カシュパルは食べている間もずっと落ち込んだような調子だった。

「幼いんだから、出来ない事があっても良いんだ。少しずつ出来る事を増やしていこう」

 未来を知る私は、天才のカシュパルが未熟に過ごす期間は短い事を知っている。今が寧ろ彼の人生において希少なのだ。

 だから確信に満ちて呟けば、幼い子供は目を瞬かせた。

「そうかな」

「そうだよ」

 慰められたのか嬉しそうに私に擦り寄って来た。可愛く思って湿り気の残る頭を撫でてやる。

けれどそんな穏やかな行動とは裏腹に、冷たい声が脳内を過った。


 そのまま死なせてやれば良かったのに。


 目を強く瞑り、その声を掻き消した。

 この子の純粋さを見ろ。ただ可愛らしく、庇護を必要とする子供じゃないか。

 未来で伝え聞いた残虐さの片鱗もない。寧ろどうしたら『あの』バルターク・カシュパル王になるのか分からない程である。

 間違えて別人を育てているのじゃないかとさえ思えたが、記憶した情報から目の前のカシュパルで間違いなかった。

 だからそれは今の所私の接し方が上手くいっているという事なのだろう。

「そろそろ行こう」

 立ち上がり焚火を消して、食べ終えた魚の残骸を川に流す。

 歩き出した私から離れないようにカシュパルも傍に寄って来たが、警戒する目を川に向けて私の手を掴んだ。

 余程溺れた事が怖かったのだろう。けれど川沿いの道はまだ当分続く筈だ。折角だからと思いついた提案を彼にしてみる。

「練習しようか」

「練習?」

「ああ。川で泳ぐ練習」

 カシュパルの見上げる顔には少しの怯えが混じっていた。

「大丈夫。川に落ちても、また助けてやるから。克服するまで見ていてやる。いつかお前が一人で立ち向かえるように。まだ見ぬ誰かを助けられるように」

 カシュパルは私の顔をじっと見た後に、響くものがあったのか素直に頷く。そして不安に思う事があったのか確認してくる。

「セレナは俺から離れて行かない?」

 どうやら一人でと言われ、私がいない未来を想像してしまったようだ。

 確かにいつまでも傍に居られるわけじゃない。けれど事実を伝えるには、カシュパルには癒えていない傷が多すぎた。

 だから言葉を濁して別れが遠い事だけを口にする。

「……そうだね。まだまだお前は小さいから」

 何も知らず一心にセレナを慕うカシュパルは、頬を桃色に染め上げて喜んだ。

 二人で並んで歩く様子はまるで本当の家族の様で、暗い未来などまるで起こりえる筈がないかのように温かさに満ちていた。

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