第4話 裏切られない期待


 カシュパルは宿の外の丁度いい石の上に腰かけながら、セレナが置いていった荷物袋を強く抱きしめていた。

 ちゃんと食事をとれるようになれば、竜人の血はみるみるうちに体を回復させた。

 ふくよかさを得た体は彼本来の愛らしさを存分に発揮する。

 黒曜の髪に、吸い込まれるような深い紫の目。整った顔立ちは将来さぞ人々の目を引くのだろうと今からでも十分に分かった。

 人の多い場所では誘拐に気を付けなければならない程だ。

 けれど今は長閑な村に来ており、そういった物騒な犯罪の気配はない。だからカシュパルはぼんやりとセレナの事を思いながら外で待つ事が出来た。

 今でもまだ、夢を見ているんじゃないかと思う。本当の自分はあのスラムで死にかけていて、これは願望が作り出したただの幻想なのかもしれないと。

 だってあんなに優しくて綺麗な人が、誰からも汚らわしいと嫌われた自分を探し出して守ってくれようとするなんて都合が良すぎる。

 彼女と会ってからの毎日が幸せ過ぎて、以前の不幸との差がどうしてもカシュパルを不安にさせた。

 幸福であればある程、突然にそれが消えてしまうような気がした。

 そんな不安定な感情をセレナの荷物袋が和らげてくれる。この荷物袋を取りに、例えカシュパルを鬱陶しく思うようになっても必ず戻って来てくれる筈だった。

 だからそれを必死で抱えて、帰って来た時に直ぐに分かるように外で待っている。

 セレナはヨナーシュ国にカシュパルを連れて行こうとしていた。

 けれどその為にはある程度のお金が必要なので、魔物狩りの仕事をしにカシュパルを置いていったのだった。

 人の手の入らない山野には瘴気というものが溜まる。それはやがて獣や鳥に移り、異形の魔物へと変貌させるのだ。

 普通の獣よりも狂暴で人間も襲う事も多い魔物の討伐は、魔物狩人という職業を成立させるぐらいには頻繁に起きる問題だった。

 魔物が出る依頼で寄ったこの小さな村は、畑の多い長閑な風景が何処までも続いている。家同士の間隔はかなり空いていて人は疎らだ。

 外はそれなりに肌寒かったが、家の中でのんびり待っているのはどうしても耐えられなかった。

「大丈夫、帰ってくる」

 一人呟いて自分を慰めていると、視界の向こうから少年二人が楽し気に駆け寄って来るのが見えた。

 他の孤児達に暴力を振るわれた経験が蘇り、体が震えだす。

 部屋に戻ろうと立ち上がったが、彼らがカシュパルに気が付く方が早かった。

 二人共活発そうな顔立ちで、その内の一人が村の外から来たカシュパルを興味深そうに見てくる。

「お前何してんの?」

 このまま逃げてしまおうか、それとも相手をするかで暫し迷う。

 けれど最初に目を付けられてしまうと、経験上大概後で報復が待っていた。仕方なく足を止めて彼等に向きあう。

「姉さんを待ってるんだ」

 母の妹であるセレナとは年の離れた姉弟と説明した方が理解を得やすく、面倒が少なかった。

「へえ、じゃあ今来てる魔物狩人ってお前の姉さんか」

 相手をしたくなかったので、カシュパルは口を開かず頷いて肯定するだけに留めた。

 けれど彼等は遊び相手を求めていたのか、開放してくれずに更に言葉を続ける。

「暇なんだろ? 俺達と遊ぼうぜ」

「……俺は、姉さんを待ってないといけないから」

 放っておいて欲しくてそう言ったが、少年達が何処かに行く気配はない。

 カシュパルが陽気な性格ではないのを知ると、更に気が強くなったように思えた。

「そう言うなよ。ちょっとぐらい大丈夫だって」

 赤髪の少年は一瞬企むような顔をすると、カシュパルの抱えていた荷物袋を強引に奪ってしまった。

「返せ!」

 慌ててカシュパルが奪い返そうと腕を伸ばすが、赤髪の少年はそれを身軽に避ける。

「はは、だったら取り返してみろよ!」

 閉鎖的な村では外部の人間は新しい情報を齎す体のいいおもちゃだ。それが気が弱ければ尚更だった。

 カシュパルがあまりに大事そうに荷物袋を抱えていたからこそ、興味を引いてしまったのだ。

「返せ! それは、姉さんのだから!」

 カシュパルが必死に取り返そうとする程に、少年達は面白がった。

 漸く荷物袋に手が届きそうになると、少年達はもう一人に荷物袋を投げ渡す。だからカシュパルは二人の間で良いように遊ばれてしまい、取り返す事が出来ない。

 けれどその荷物袋だけは絶対に手放せない。それは自分の物ではなく、セレナの物なのだから。

 ぞんざいに扱われて怒りが噴き出す。自分だけであれば只管にされるままだったカシュパルは、セレナの為に初めて本気の怒りを露わにした。

「返せ‼」

 子供とは思えない迫力の怒声が周囲に響き渡る。それは王たる資質を持つ者の覇気に違いなかった。

 それを正面から浴びた少年達はびくりと体を震わせ、冷や水を浴びせられたかの様に興奮が一気に醒めた。

 硬直した彼等から、カシュパルは鼻息を荒くして荷物袋を取り上げる。必要な物を取り返してしまえば、もう彼等に興味など何もなかった。

 踵を返し、宿に帰ろうとするカシュパルの後ろ姿に少年達は顔を見合わせた。

 カシュパルの迫力に怖気づいた事を、このまま見送ってしまえば認めてしまう気がした。

「な……なんだよ……」

 今のはただ少し大声に驚いただけで、また別の物でからかえば良いだけだ。こんな奴に怖気づいたなんて。そんな筈がない。

 そんな意味の目くばせを少年達は互いにし、今度は茶髪の少年がカシュパルの背後から帽子を奪った。

 馬鹿にする笑いを浮かべながら帽子を高く空へ掲げる。

 そして二人は露わになったカシュパルの角を見て、目を大きく見開いた。

「化け物……」

 顔を白くして慌てて後ろに下がる。閉鎖的な村から出た事のない彼等は獣人を見た事がない。

 初めて見る角の生えたカシュパルを魔物のようにしか考えられなかった。

 カシュパルは慌てて帽子を取り返して頭に被りなおしたが、一度見られてしまった物を無かった事には出来なかった。

「違う。俺は化け物じゃない……!」

「じゃあ、その角は何なんだよ!」

 少年達の脳裏には、大人から聞いた数々の人の形の魔物の話が過る。それらの全ては子供を脅かす為のでたらめだったが、それを判別するには幼過ぎた。

 けれど聞いていた恐ろしい魔物の割には、変身する様子も攻撃してくる様子もない。少年達は自分が怯えている事実を隠す為に強がって見せた。

「睨んだって、怖くねーぞ!」

「そ、そうだそうだ! この村は俺達が守る」

「出てけ!」

 カシュパルは小石を投げつけられた。頭に当たり、久しぶりの痛みがカシュパルを襲った。

 やっぱり、こうなるのか。

 散々殴られ続けて来たカシュパルにとって、彼らの反応は驚く事ではなかった。慣れたように頭を庇う。

 彼等を引き連れたまま宿に帰るのは得策ではないような気がして、仕方なく逃げる事にした。

 カシュパルが反撃しないのを良い事に、少年達は正義感に酔い小石を投げる手を止めない。

 背中にくる衝撃を耐え、唯々走って逃げまわる。痛さで熱を帯びていく背中とは裏腹に頭は冷静だった。

 慣れ切ってしまった暴力に今更動揺はしない。どうせ彼等も飽きれば去るのだから。それよりも何よりも、セレナを失望させる事だけが怖かった。

「……何をしている」

 セレナの声が聞こえた。

 気がついた瞬間、顔を向けてその姿を確認する。今帰って来たらしい彼女は、険しい表情をして少年達を睨みつけていた。

 殺す魔物にはこういった表情を見せるのだろうか。眼光は鋭く、今にも腰の剣を抜き放ちそうな殺伐とした雰囲気を見せている。

 いつもならば誰もが見て見ぬふりをして、カシュパルを助けようとする人は誰も居なかった。

 獣人と関わり合いになりたいと思う人は誰も居ないからだ。

けれど、これからはもしかしたら違うのだろうか。

 胸に喜びと期待の感情が込み上げる。抱いては諦めてきたその感情は、今度こそ裏切らないのかもしれない。

 セレナの視線を受けた少年達は怯えた様子を一瞬見せたが、自分達の正当性を主張した。

「コイツ、どう見たって化け物じゃねーか! アンタも化け物なのか!?」

「化け物ではない。カシュパルは獣人だ」

「獣人……? 獣の一種の……?」

「あの、神族に見捨てられたっていう……?」

 彼等の親がどういう考えを持っているのかが、その言葉で十分伝わった。セレナの眉間の皺が深くなる。

「獣人にも我々と同じ心がある。怪我をすれば痛い。嫌われれば悲しいんだ」

 けれど語るセレナでさえ、そう思うようになったのはカシュパルと暮らしだしてからである。

 だから全く彼等が改心するのを期待せずに少年達を見据え、脅すような低い声で言った。

「お前達がした事は、ただの暴力だ。……立ち去れ」

 冷え冷えとした言葉に少年達はこれ以上口を開く気が無くなったらしかった。

 押し黙り、けれど納得できない様子のまま足早に駆けて去って行く。

 冷え冷えとした視線で彼らの姿が消えるまで見送ったセレナは、カシュパルの傍に寄ると顔を和らげて優しくその頭を撫でた。

「よく耐えて頑張ったな。偉いぞ」

 何故だろう。殴られても、蹴られても全然平気だったのに。

 その優しい一言で堰を切ったように泣きたくなってしまった。

「私の荷物袋を守ってくれたのか。ありがとう」

 荷物袋を持っている事で、カシュパルが何を一番守りたかったのかを察してくれる。我慢出来なくて、とうとう涙が零れ落ちた。

 ひび割れて乾燥した大地に雨が降るように、彼女の優しさが心に染み込んでいく。それはカシュパルがずっと求めていたものだった。

「そんなに泣いたら、目が溶けるぞ」

 セレナは少し笑い、カシュパルの土に塗れた服を叩いて汚れを落としてやる。そして静かに視線を合わせた。

「カシュパル。誰がお前を馬鹿にしても、価値が分からん者だと放って置け。奴らが踏みにじる事が出来る物などお前は何もないのだから」

 セレナの言葉がカシュパルを特別にさせる。地面に這いつくばり、侮蔑の目を向けられるだけだったカシュパルを。

 そうやって子供を蕩ける様に甘やかした後に、セレナは真剣な声色で言った。

「私はお前に多くの事は要求しない。望むように生きればいいと思っている。けれど、たった一つだけ約束して欲しい」

 カシュパルはセレナの言葉を聞き逃さないように涙を拭いて集中する。

「人間を傷つけないでくれ」

 それはまるでカシュパルがこれから人間を傷つけると思っているかのようだった。

 いつだって人間の方が俺を傷つけてくるのに、何でセレナはそう言うのだろう。

「獣人よりも、弱い生き物だから」

 カシュパルにとっては実感もなく納得できない言葉だったが、セレナが本気で言っているのが分かったから素直に頷いた。それを見てほっとしたようにセレナは笑う。

「ありがとう」

 セレナがこうやって俺に笑いかけてくれるなら、どんな約束も厭わない。

 カシュパルはそれがどれほど重みのある言葉なのかをまだ知らずに、透き通るような純粋さでただそう誓ったのだった。


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