第五話(完)
あくる日、またもや僕は彼女とのデートの日だった。
しかし、昨日の事もあり、僕は遠出したくなかった。そんな移動に対して体力を消耗してしまっては、僕はもう人間として終わってしまう、彼女の彼氏じゃいられなくなってしまう。
そう危惧した俺は、前日に集合場所を、海岸公園の四阿に変えたい、と彼女にお願いしてみた。すると、驚くべき事に、『寧ろ行ってみたい、そこ』というポジティヴな返信が返ってきたのだ。僕は部屋にあったものを乱雑に入れ、家を出る。
そういった経緯もあって、今僕と彼女は例の四阿に腰掛けている。今日はいつも通り、曇りだったが、濁った海とタンポポを眺めるには丁度良い天気だ。
しかしながら、これは思ったよりもフラストレーションの堪る最悪の判断だった、と過去の自分を恨みたい。ここはあくまで僕のパーソナルスペースで、他人に侵入させるべき場所ではなかった。つまるところ、ここでは僕と言う人間の素が出てしまう訳で……。
「なぁ」
「どうしたの」
「お前さぁ、なんで奨学金取らずに援助交際なんかやってんの」
始まってしまった。もう、僕自身を止める事の出来る存在は一人もいない。それは、僕自身を含めたとて、だ。
しかし、彼女は黙りこくった。
「なんで黙ってんねん、奨学金さえとりゃあ、オメェは苦しい思いしなくても良かったんちゃうんけ」
「で、でも。未来に借金を残したら、返せる自信ないし……」
「そんなん、お前が夢叶えたら一瞬でチャラなるやろ。なんや、お前そんなに夢に対して自信無いんか。お前の夢ってあれか、キャバ嬢か」
「……ちょっと、そんな言い方は無いんじゃないの」
「でも、お前が夢に向かって邁進してる所なんて一切見たことないけどな。お前の夢がなんなんか知らんけど」
「わ……私の夢はファッションデザイナーで」
「ワシがプレゼントした服来て援交行った挙句そのままの服装で朝帰りして俺とのデートに参戦しとった奴がファッションデザイナァ? 笑わせんなや」
もう、僕を今まで塞き止めていたプライドは、忘却の彼方へ消え去った。そこにあるのは、魂の牢獄から解放されようと藻掻く、惨めな僕だけだ。
「うるっさいな、人の夢なんか何でもええやろ!」
そんな僕に対して、彼女も遂に堪忍袋の緒が切れたようだ。こうして、自分自身の置かれている状況を俯瞰的に認識できている今は、奇跡のように思える。本体のコントロールは既に不能だが。
「そうよ、夢なんか援交をするテイに過ぎないわよ! ウチは家族が甘やかしてくれなかったから、その分体さえ許せばなんでも買ってくれるし、何処にでも連れてってくれるのよ! あなたには恵まれた父が居たから分からないでしょうが」
「なんやねん、俺かてお前の事いっぱい甘やかしたやないか。それじゃ不満かいな」
「アナタの財力なんか高校生レベルでたかが知れてるのよ、んじゃあゲーム機買ってっていうたら買ってくれた? シャネルのネックレス買ってっていうたら買ってくれた? 答えはノーでしょう」
「お前は高望みしすぎやねん、ボクもそんなネックレスなんか買ってもらったことないぞ」
「それはアナタがオトコノコだからでしょうが! 女子はみんな欲しいもんなのよ!」
心のウチでは状況を俯瞰的に見ていたつもりだが、段々言葉と気持ちがリンクしてくる。
「なんでよ、あたしの何がダメなのよ!」
腹が立つ。しばきまわしたい。四の五の何を言ってるのか解らんが、生意気なこいつを消し去りたい。うざい。死んでほしい。
「ねぇ、答えなさいよ!」
「もう……うっさいな、承認欲求のバケモンが」
その瞬間、僕の目の前がフラッシュでも焚いたかのように真っ白になった。キーンという金属音でも聞こえてきそうな情景だが、その代わりに流れてくるのは、漏れ出した呻き声。目を頑張って凝らしてみると、見覚えのある顔についた、口腔から流れ出したものだった。
「なん……で」
そしてまた、聞き覚えのある、女性の甲高い声が聞こえてきたような気がした瞬間、曇り止めでも塗ったかのように、ようやく視界がクッキリと見えてくる。それも、さっきまでよりもより鮮やかに、より色濃く。
目の前に、ぐったりと横たわる彼女のお腹から流れ落ちる、鮮烈な色をした血。そして、その血と全く同じ色をした液体がこびり付く、僕の左手に握りしめられているナイフ。いつこんなものを鞄に入れたんだろう、僕は。それから少し遅れて、手の甲に冷たい風がすり抜けていくような心地を得た。それに反して、掌は灼けるように熱い。
なんとなく刃先に触れてみると、さっきまでこいつは生きていたんだな、と認識できる程生暖かかった。鼻にベットリと突く、鉄分の匂い。それすらもう僕にとっては気持ちがよかった。
僕は遂に奪ってしまった。彼女が身を濁りの強い白濁とした液に染めてまで大切にした、薄汚れた魂を。僕の魂を地獄のパラレルワールドに閉じ込め、一人勝ちをしていた忌まわしき魂を。
こうなると、僕は腹癒せに彼女にとっての『たいせつなもの』を全て消し去りたくなった。彼女の魂が昇華されたこの世の中で、それはもう既に『たわいないもの』なのだろうが、そんな痕跡を全て消し去ることが僕にとっての、今世で最後の義務だと思った。
まず、彼女の持っていた鞄を、波打ち際に捨てられていた水や風に強いライターで火を付けた。空港のデューティー・フリー・ショップに売られているような、誰しもが聞いたことのある有名高級ブランドのそのバッグは、芦屋に住むような成金でもない限り、僕達のような高校生が持てるモノではない。彼女が言うところの『親みたいなもの』に人として認めて貰った形ある証拠なのだろう、僕とのデートに持ってくるくらいなのだから。
中には僕とこの前撮ったプリクラくらいしか入っていなかった。プリクラは図らずしもよく燃えた。
しかしながら、鞄もまた面白い程簡単に燃えた。このブランドは確か、全製品が本革で作る、という高級感への拘りが強いブランド。基本的に燃える鞄というのは合皮で出来ており、本革がライター程度の日でこれ程面白く燃える訳が無い。そう考えてみると、この鞄に描かれたロゴは、Cの字が少し崩れているように見える。
鞄が燃え尽きてしまうと、次に燃やすは彼女の服。皮肉な事に、今日の彼女の服装は図ってか図らずか、『あの日』と全くの同じ装い。それほどまでに大切にした、僕のシースルートップスと、花柄のスカート。供養するには丁度良かった。当たり前ではあるが、服は布で出来ているのでよく燃えた。まるでキャンプファイヤーのようだった。しかしまた不思議なことに、服は灰一つすら残さず燃え続ける。まるで異世界に服だけ転移してしまったかの如く。
服まで全て燃え尽きてしまうと、そこにあるのは淡い青色に染まった、彼女の肌だけだった。日本人離れしているたわわな胸、パンツだけは不燃性だった故に綺麗なままを維持した下半身。そんなものを見ても、やはり僕の陰茎は少しも反応しなかった。
何故だか分からないが彼女の表情は、モルヒネでも打ったのかの如く、幸せそうな笑顔を見せていた。元々マリアのような美しく左右対称な顔形を型取ってある彼女が四阿の椅子に横たわる姿は、体全体に垂れる熱血なパッションカラーも相まって、過去一美しく感じた。刺さったままのナイフは、現代アートのようにも思えた。
しかしながら、これは彼女が一番蔑ろにしたもの。『親のようなもの』にブランドバッグ(のような何か)を買ってもらい、大きなお金を受け取り承認欲求を満たすための道具。彼女にとって、一番この世に残しておきたくないもののように感じた。だから、僕は一切手を加えず、四阿に放置する事にした。今後の処遇は行政が決めればよい。
彼女の『たいせつなもの』を殆ど奪いきり遂にやる事が無くなった僕は、取り敢えず上を見上げてみると、そこにはさっきまで夜だったハズの空が色濃い青空に変わっていた。正面を向いてみると、沖縄の海よりも透き通り、川の底をも見えそうな勢いで浄化された淀川に、振り返ればいつの間にか真っ白に生まれ変わり、たわわに種を蓄え新たな種を作るべく奮闘するタンポポ。彼女が色を亡くしてゆく代償として、この世界は段々と美しさを思い出していった。
そう。この海岸公園は、いつの間にか社会からの勝利を収めていたのだ。
「僕の色は、取り戻されたんだ」
誰に伝える訳でもなく僕はそう吐き捨て、格別な満足感と共に、美しく橙色に焦げた白い柵を飛び越え、護岸ブロックの上に立つ。彼女が嘘を吐いてまで守ろうとした、最後の『たいせつなもの』を亡くす為に。
「さようなら、汚れたいだけのキミ」
そして間もなく、僕は入水した。おしどり夫婦の愛のように暖かい、僕の大きな掌を握りしめながら。
汚れたいだけ 風早れる @ler
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