第四話

 あれ以来僕は、彼女の前ではピエロを演じ続けた。デート中は彼女を楽しませる事に徹し、兎に角僕自身の人格を殺しきり、彼女がどうすれば僕との間に非日常を感じ取ってくれるのか、どうすれば心に安らぎを与えられるのか、というのを一番に考え、行動した。

 だがしかし、僕の魂が牢獄に囚われてしまった、という感触は、どうしても抜けなかった。デートを終えて家へ帰宅した後、さっきまで握っていた手は知らないおっさんの陰茎を握った後の手なのではないか、さっき僕とマウストゥーマウスした唇は、どこかの気持ち悪いロリコンおじさんが吸った唇なのではないか……などと想像して、今日も吐く。

 そして、吐けば吐く程、僕の目に映る世界から、少しずつ色が抜け落ちて行った。最初は青、次に緑、更には黄色……と、段々と世界の『美しさ』が、僕には理解できなくなっていった。そんな自分に対して、更に吐き出したくなるような自己嫌悪に陥るという無限ループに入ってしまうのだ。


 そんな僕にとって、『家』は唯一のシェルターだった。スピーカーを頭につけ、床に横たわってしまえば何時の間にか夢の中という、幸せな国へと行けるのだ。

 そこは、僕の想像通りになる世界。一人になりたいと願えば一人になれるし、食べたいものを願えば出てくるし、彼女の『純情』を奪った奴らを全員殺してしまえ、と願えば、殺すことも出来た。実際、ある日の夜にこんな夢を本当に見てしまい、自分でも恐れ戦いてしまった。

 ただ、最近はそんな自分にとっての楽園が、破壊されつつあった。

 というのも、自分の母親が僕が2歳くらいの頃、別の既婚者と不倫をしていた事が今更発覚したのだ。きっかけは、家の箪笥の裏に隠れていた、一枚の写真が出てきた事らしい。子は親に似る、なんて言ったもんだが、こんな形でソックリになっても、ねぇ。

 それからと言うもの、父親は僕の事を考え、離婚こそしないと判断したが、その代わりと言ってはなんだが、母親への日常的なDVが始まった。

 この尻軽、きったねぇケツはよしまえやキショいねん、触んなや不倫野郎のDNAが映るやろ、お前はマナー講師なんか辞めて不倫ママー講師でもやっとけや……など、父親の罵倒語録だけで文庫サイズなら辞書が作れそうな程、バリュエーション豊富に母親を大声で罵り、暴力を与えた。空調さえ消せば、何時でも静かな安穏空間を作り出せたこの家は、たった一枚の写真でスラム街へと変貌した。

 幾ら不倫の加害者とはいえど流石に母が病んでしまいそうだったので、父を止めようか、と何度も思った。しかし、父が『過去』という自分が干渉できない恐ろしいモノに対する無力さから来るフラストレーションに対してそんな発散方法しか取れない不器用さに、少し共感できてしまったからだ。申し訳ないが、これに関しては母が自分自身で解決策を見つけるべき問題だと僕の中で定義し、僕はイヤホンで『家』でも『外』でもない、新たな自分の世界に浸るのがニューノーマルになった。

 しかし、イヤホンで音を遮断するのにも限界がある。どれだけ音量を大きくしても、そんな世界を破れてしまう程けたたましく響き渡る皿が割れた音だとか、そんな音には地震や津波などの自然災害と同じで、僕一人で抗う事はできない。だから、僕は近くにある海岸沿いの公園に聳え立つ、小さな四阿に通うようになった。

 市街地からは車で20分程かかる為、人があまり寄り付かず、いたとしてもそれは釣りを目的とした人達ゆえに、園内でも少し入り組んだ場所にある四阿には誰もよりつかない。今の僕にとって、そこが一番居心地の良い場所だった。

 景色を眺めるのにも物凄く丁度良い場所で、少し黒ずんだ海が180度で見渡す事ができ、振り返ってみると、近くの工場から出る排気ガスで少しばかり色の濁ったタンポポを鑑賞する事も出来る。しかし、どちらも濁っているからか、あまり美しいモノには見えないが、何となくシンパシ―を感じる部分があった。タンポポは『排気ガス』という人工的な悪意に巻き込まれ、海は人が捨てたゴミによって本来の透明感を失うという人間の無意識的な悪意に巻き込まれている。魂……があるのかは分からないが、彼らもまた、地球という牢獄に閉じ込められ、汚されていく自分の姿を唯々諦観するしか出来ない。誰もそんな自分に助けの手を差し伸べようともしない。でも、それが『社会』なんだろうな、と僕は仄かにアンニュイな気分に囚われた。

 何時の間にか季節は色褪せ、輝いていた日々が遠くなり、冬がやってきた。

 気温は平地でも5度近くまで冷え込み、海岸沿いは更に冷え込むことが予想されるゆえに、四阿に行く機会が少なくなった。

 だからと言って、家に篭るのも非常に息苦しい。半年たった今も、父の罵倒大会は更にエスカレートし、最近では白痴等の差別的な用語までをも登場するようになった。

 普段、デートをするだけでもかなりの精神的な体力を消耗しているのに、家でもそんな罵倒をも聞いているせいか、遂には僕の精神まで段々と参ってくる。

 とにかく、何か心を癒せるものが欲しかった。そんな最後の希望に縋りたかった。でも、癒しってどういう意味なんだろう。遠い昔に忘れてしまった「うつくしいもの」との相関性はあるのだろうか。分からない。でも、行ってみる価値はあるんじゃないか。

 そう考えた僕は、「うつくしいもの」の代名詞であるといえるだろう、夕日を見に行くために、自転車を走らせた。


 淀川大橋の欄干にもたれかかった時に僕の瞳を擦る夕日は、何の取り柄もないこの街を彩る唯一の有形文化財だと思っていた。しかし、それすらもう焼け落ちて、肌にできたシミのように、汚らしく黒ずんでいる。「うつくしいもの」とは何か、を思い出したくてここまで足を運んだのに、目に映るのは、もはやゴミ処理場にも近い景色。

 そんな落胆の雨に打たれながら欄干に腰掛け黙り込む僕の前を、2人の女子高生が僕の方を眺めながら自転車で軽やかに駆けてゆく。恐らく彼女達は、何でここに人がいるんだろう、早く渡ったらいいのに、くらいにしか考えていないのだろうが――それを実は理解しているのだが、彼女達の視線は、僕を非難し、今すぐにでも消し去りたいような想いを感じてならないのだ。さしずめ、僕は社会のお荷物、不純物、不協和音であり、世界遺産の横に立ち並ぶ巨大SCのような、そこに存在する事で美しい景色を台無しにする最悪な存在として僕を認識しているように感じてしまう。

 その横を走る車道もそうである。40キロ制限の道を70キロくらいで駆けるその姿には、僕をいつ殺してやろうか、でもここで殺すと俺まで死ぬから今回は勘弁しといてやる、と言わんばかりの強迫観念を感じる。もちろん、当の車本人にそんな気持ちなど更々ないのは承知の上で、だ。

 それほどまでに、僕の心は追い詰められていた。

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